催眠療法/臨床催眠の種類とその解説



Therapy 催眠療法の「真実」という程のことでもありませんが
催眠暗示」と「退行催眠でトラウマに直面」
という以外にも、いろいろあるみたいです。


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臨床催眠による心理療法の実際


 エリクソンは、レディメイド(既製品)な療法を嫌った。心理療法は、クライエントに応じてすべて異なっているはずだと考えた。確かにエリクソンの事例集 をみると、自由闊達で変化自在、思いもつかないようなアプローチが行われている。その人ひとりのための、その時だけのアプローチであるように思える。

 しかしこうした文学的修辞を重ねても、とりわけ門外漢には、臨床催眠を用いた療法(催眠療法)がどのようなものか、少しも伝わらないだろう。
 ここでは、エリクソン派に属する(と思われる)Yapkoの入門書から、催眠療法の常套パターンのいくつかを紹介することで、いくらかでもイメージがつ かめるようにしたい。

 多様なアプローチのうち、示すことができるのはほんの一部だが、そのいずれもに共通する点を確認しておきたい。
 ひとつはエリクソンが強調した「雪だるま効果」=最初のわずかな変化が、つぎつぎと次のより大きな変化を引き起こし、結果大きく根本的な変革が行われる こと、である。介入そのものが小さくとも、それが適切に行われるなら、変化が変化を呼び、最終的には目的を達成できる根本的な変化が生まれるだろう。その ため、介入だけを見るならば、その処置は小さく些末な部分に対して行われ、しかも「表面的」ですらあるかもしれない。ここでは催眠は、より重要で基底的だ とされる心の奥底やキー・ストーンである「無意識」への、アクセス手段ではない。よくいる類いの催眠術師が、「催眠療法は、心の奥底から変え、根本的に問 題を解決する」などと宣うのとは、ちがっている。
 もう一つは、治療に活用される資源(リソース)は、むしろクライエント当人が持っているという前提である。それは、これまでの経験であったり、その記憶 であったり、知的な情報処理の能力であったりするだろう。ここでも、求められるのは時に神秘的な憧憬をもって期待される「無意識」や「潜在能力」の類いで はなく、日常的に使われているむしろ卑近な資源(リソース)である。催眠は、何か特殊な能力を引き出したり、あるいは特殊な経路で「心の奥底」に暗示をと どける訳ではない。むしろ普段使いの「使い古した」能力や体験の組み合わせが、当人やその周辺が思っても見なかった可能性を持っていたことを気付かせる 「舞台設定」を手伝うに過ぎないのだ。


1 個人史の書き換え Change Personal History

 悪名高い「偽記憶症候群」のごとき、記憶の植え付けではない(Yapkoは、催眠療法家として、件の記憶回復療法への批判書を書いている)。また呼び名 は異なっても、これと同種のアプローチはさまざまな臨床家によって行われている。
 幼い頃に母親を亡くした青年の例で説明しよう。
 早くに母親と死別した彼は、「母親は何も好きで事故に遭い、私から去ったのではない」と理性では理解できるてはいるが、一方で「母親に裏切られた」とい う想いが拭えず、他人との、特に女性との親密な人間関係を結ぶことができないでいる。
 セラピストは催眠を用いて、青年を年齢退行age regressionさせる。就職したとき、免許をとったとき、大学の卒業はどうだったか、入学の時は、高校は、中学は、……とライフイベントを辿って、 記憶をさかのぼっていく。その中で、幼いながらも感じていた(そして普段は忘れていた)母親との好ましい経験のひとつに、青年は辿り着く。
 この経験を起点にして、今度は逆方向の年齢進行age progressionが行われる。「もし仮に、あなたのお母さんがその事故に遭わなかったとしたら、6歳のときの「入学式」は、どうな風だったでしょ う?」「10歳の時、父親の仕事の都合で新しい町に来たときは?」とライフイベントを経てさっきとは逆に実年齢へと戻ってくる。この作業の中で、さきほど 「母親がいないがために(それぞれのライフイベントで味わった)悲痛感」が検討される。つまり、あるものは母親がいれば楽しい体験であっただろうし、また ほかのあるものは母親がいたとしても変わらず悲痛であったろうと、年齢進行の中で「体験」される。このことは「母親がいなかったから」と理由付けされてい た出来事のネガティブな解釈を、別の観点から再検討することにつながる。出来事への意味付けが変われば、「母親の裏切り」という枠組みも、それに起因する 人間関係の問題を、維持することは難しくなるだろう。
 
 「個人史の書き換え」に用いられる資源(リソース)は、当人の記憶であり、当人の知性(推測能力)であり、当人の想像力(体験のリアリティ)である。 「個人史の書き換え」が目指すのは、リフレーミング(違う枠組みで事実を見直すこと)であり、またゲシュタルト療法でいうところの「未完の体験」を完成さ せることであるが、催眠(による年齢退行と年齢進行)とはそのための場を提供する。
 

2 トラウマのためのインシデントプロセス critical (traumatic) incident process


 インシデント・プロセス(Incident Process)は元々、ケース・メソッドから発展したケース・スタディ(事例研究)の一方法を指す言葉である。
 ここではトラウマとなっている過去の出来事に対して、クライエントにとって安心できるトランスに入ったのち、年齢退行でその出来事に接近し、セラピスト のサポートの下でトランスに入ったままその出来事を観察し、報告することで、トラウマを克服する。
 セラピストの立ち会いを得てトラウマに向かうこと、しかもセラピストが「導入」したトランスという(「人工的」で「守られた」)枠の中でそうすること、 また普段は襲われるように受動的に想起してきた当の体験に対してむしろ能動的に接近することなど、普段とは違ったアプローチをとることで、トラウマを生ん だとされる出来事に対して、別の観点から「体験」できることが重要である。こうして普段避けていた「想起すること」が、必ずしも痛みや苦しみを引き起こす ものでないこと、あるいは痛みや苦しみを(少なくとも同じようには)呼び起こさずとも、当の出来事を眺め直し調べなおすことができることを、クライエント は「体験」する。
 
 セラピストの支持のもと、催眠による年齢退行によって、リフレーミングを行おうとするところは、先の「個人史の書き換え」に似ている。異なるのは、「肯 定的な過去」を起点に過去から現在にかけての出来事の意味・解釈の変更・見直しを図るか(個人史の書き換え)、あるいは「否定的な過去の出来事」への能動 的ないつもと異なる接近によってそうするかの違いである。
さて、この催眠によるインシデント・プロセスは、必ずしもネガティブなトラウマ的出来事(インシデント)だけに用いられるのではない。というのは、過去の ポジティブな出来事もまた、現在のクライエントを苦しめることがあり得るからだ(かつての栄光の大きさ故に、より悲痛な現在を生きなければならない人を想 像できるだろうか?)。この場合もまた、催眠は、いつもと違う接近をもたらすために用いられるだろう。常に悲惨な現在との比較で過去の成功を思い返してい る人は、催眠による年齢退行でその成功に近付くことで何を得るだろうか。たとえば現在をより能動的なものに変えるかもしれない経験や「過去との連続性」を 発見できるかもしれない。

 この方法によるトラウマから来る苦痛の緩和は、俗に言われるような「トラウマとの対決/トラウマと向き合うこと」を必ずしも必要としないことに注意しよ う。実のところ、そうした「トラウマとの対決」は不要なばかりか有害であることが多いことが分かっている。
催眠による年齢退行の中でクライエントが経験するのは、「トラウマ的な悪感情抜きで、トラウマを生んだとされる出来事を思い出すこと/再体験すること」で ある。言い換えれば「脱トラウマ的に、トラウマの起因と接触すること」である。トラウマ(の苦痛)に接触することではない。
したがって年齢退行の誘導は、苦痛や苦痛を予想するための不安からクライエントを守ることを第一に置かなければならない。思い出したくないものは思い出さ なくてもかまわないこと、苦悩と戦うことはこれっぽちも必要でないこと、そしてトランスの中で「体験」するものは決して現実ではないことは、強調されるべ きだろう。また、出来事の意味(解釈)がトラウマ的なのではなく、むしろ出来事自体がトラウマとなるような場合(たとえばレイプや戦場体験など)は、異 なったアプローチがあり得る。たとえば出来事自体は想起せずに、悪感情だけを切り離して一定時間(たとえば30秒)だけ想起させる方法がある。このとき、 悪感情の大きさを(出来事時を100として)数字で表示させる暗示を与える。出来事と切り離すことで、感情の大きさは通常65〜80程度におさまる。感情 の想起後は、リラックスないし睡眠へと導き、その回のセッションは終わる。このトランスという体験枠で守られながら、感情だけを想起するセッションを繰り 返すことで、悪感情の大きさ(の数字)はどんどん減っていくだろう。悪感情が十分小さくなったあと、より距離をおいたイメージ(たとえばモノクロームの映 像など)で出来事を想起しても、すでに苦痛なしでそうした出来事を取り扱える自信をクライエントは手にする。
 

3 宿題を出す Homework Assignments

 行動療法や認知療法が広まるにつれて、心理療法は診察室のカウチの上だけで行われるのではなく、家に持ち帰って行う「宿題」が出されることが珍しくなく なった。クライエントは、診察室で指示された課題を自分の日常生活のなかで行うことで、治療のなかで得られたものを自分の生活に移し替えていく。あるいは 「治療」を、日常の中でも継続していく。
エリクソンやエリクソニアンも、よく宿題を出す。宿題は催眠ではないが、しかしエリクソニアンはそれを単なる「技能の練習」とは考えない。クライエント自 らが経験するメタファーだと考える。メタファーを経験するのは、なにも催眠トランスの中だけとは限らないのだ。

たとえば、エリクソンがそうしたように、エリクソニアンはよく、クライエントに「山に登る」という課題を出す。
「自分は不幸であり、他の人はみな幸福だ」「他の人はあらゆることを楽しんでいる、私にはあらゆることが苦痛だ」「私はなにも持っていない。他の人はたく さんもっている」とまあ、自己否定感の激しいうつ病のクライエントがいる。彼女の信念を否定しようとしても(説得)、また現実を検討させて彼女の極端な見 解があてはまらないことを確かめさそうにも(認知的再構成)、彼女はそのことをかたく信じていて、信念はどうにも揺らぎそうにない。
セラピストはそこで、彼女に「すばらしい登山コース」を推薦した。そうした道中の景色の素晴らしさや泉の美しさをうっとりするほど詳しく描写した(こうし た描写は催眠家には容易なものだろう)。しかし、実のところ、そのコースは退屈きわまりないものであり、「泉」というのも地面に突き刺さった鉄管からちょ ろちょろと水がこぼれ落ちているだけなのである。
その「登山課題」の翌日、セッションがもたれた。クライエントはそれまでとは違い、セラピストが部屋に入ってくるのを今か今かと待っていた。言ってやりた いことが山ほどあったのだ。あの登山コースにはまったく失望した、それにあなたが言った「美しい泉」は水が流れ出すただの鉄管だった、うんぬん。何故あな たがあんなコースを熱心に勧めたのか、何故あんなにも美化したのか、わからない、と。黙ってそれを聞くセラピストを見て、やがて言いたいことを言い終え て、トーンダウンしたクライエントには気付くことがある(もちろん気付きはすぐ訪れることもあれば、そうでないこともあるのだが)。つまりは「私の失望は 現実をあまりに美化したために生じた」ということである(これは勿論、誰もがクライエントに対して知ってほしかったことだ)。
この「登山課題」には、普通に/あるいは催眠中に言葉で伝えるかわりにクライエントが行動することで自ら気付く、という他にも、いくつかの意味を持ってい る(ひとつの行為や出来事に、複数の意味が含まれることこそ、メタファーの真骨頂である)。山を登ることは「自らの力で困難を克服する」ことを象徴(シン ボル)しているし、身体的な活動自体が抑うつ状態に拮抗する効果を持っている。また体をつかって物事を成し遂げる経験はそれだけで自己尊重self- esteem感を高める効果があるだろう。自ら得た教訓は、たとえすぐに意識化されなくても、これまでクライエントが無意識に使っていた認知パターン(自 分を低く見積もり、自分以外のものを高く見積もる)に拮抗するだろう。そして、現実を歪めて見る役割をこの場合セラピストが演じており、クライエントは思 わずいつもとは逆にそれを指摘し正す役割を演じている(クライエントの歪んだ現実認識は、これまで幾人もから間違いを指摘され、修正を求められてきただろ う。そうした経験が「私は間違っており、他の人は正しい」という信念をますます強化していき、クライエントをますます憂鬱にさせいったのかもしれない)。 この役割の交代は、態度の変容をもクライエントにもたらしている(セラピストの間違いを指摘し正しようというクライエントは、憂鬱depressedにで はなく、積極的activeにそうする)。

この介入は、原因への遡行(さかのぼり)をいささかも必要としていない点で、多くの心理療法から隔たっている。エリクソンがそうだったように、エリクソニ アンは、病理学的なアプローチを取らない。問題(症状)に診断名を与えたり原因を究明することは多くの場合必要でないばかりか、問題(症状)を固定化させ る危険すらある。エリクソニアンは、その問題(症状)がなぜ生じたのかよりも、どのようにして維持されているのか、そしてどのようにすれば変化し維持され なくなるのかに関心がある。「かたくなで間違った信念」と「(他人からの)信念が間違っているという指摘」の循環が問題(症状)を維持し強化しているなら ば、何か別のアプローチが求められている。この宿題は、「いつもとちがうこと」をいくつも引き起こすきっかけになっている。催眠そのものの適用ではない が、変化のための催眠を考えるのに、いくつものヒントを与えてくれるだろう。

4 枠組みを変える Reframing

 物事の意味は、その物事をどんな枠組みに置くかで変わってくる。


Ericksonian Hypnotherapy
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