催眠を根っこから理解する:催眠のモジュール・モデル

これであなたの催眠の理解が変わる!!
だれにも催眠の仕組み・原理が分かる、応用できる
催眠のモジュール・モデルの紹介と解説。

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「脳は分業している」という常識からはじめよう


 脳や神経系の仕組みについての我々の知識は、とても「わかった」と呼べるレベルにないが、催眠を使いこなすのにしっておくべき必要最低限はそれほど多くはない。

(1)脳からでた神経は、体のすみずみまで行き渡り、心身のすべての働きに関わっている。
(2)脳はいくつかの部分(サブ・システムと呼んでも、エージェントと呼んでも、またモジュールと呼んでもいい)からできており、それらは互いに「綱引き」をしながら全体の脳のハタラキが決まる。
 この「綱引き」を難しくいうと拘束充足という。図にするとこんな感じだ(図1)。
図1 脳神経系はモジュールの分業からできている





 とてもおおざっぱな図にしたのは、わかりやすさと扱いやすさのためだ。必要に応じて、もっと細かく描くことだって、もちろんできる。
 たとえば人間は、とてもたくさんの筋肉を持っている。したがって上の図の「筋肉のモジュール」は、「大腿筋のモジュール」や「僧坊筋のモジュール」やその他大勢の筋肉についてのモジュールの集まりだろう(もちろんそれぞれの筋肉のモジュール同士も互いに連絡をとっている=「綱引き」をしている)。だから本当は「筋肉のモジュール群」と呼ぶべきだ(皮膚感覚のモジュールやイメージのモジュールなどなど、についても同じことだ)。
 この知識は、ほとんど常識といってもいい。けれど、具体的に催眠を使う場面では、思い出す必要があることが少なくない。なので下に書き出しておく。
(3)モジュールは、さらに下位のモジュールからできている(それは正確には「モジュール群」と呼んだ方がいい)。
 
 しかし、催眠にとって、もっとも重要なのは、次の知識だ(これなしには催眠も、あるいは神経系を持ったどんな動物の活動も、あり得ない訳だが)。
(4)モジュールに働きかけることで、そのモジュールや別のモジュールを活性化したり、不活性化(沈静化)できる。
 これは簡単な実験で確かめることもできる。
 たとえば、糸の先に五円玉でもぶらさげて、糸の先をつまみあげてみる。「うごけ、うごけ」と繰り返し言葉を唱えよう(心の中でもいい)。すると、糸にぶらさがった五円玉は動き出すだろう。催眠をやる人なら知らない人はいない、いわゆる「シュブルールの振り子」だ(図2)。
図2
シュブルールの
振り子





 道具をつかわなくても、カラダひとつでも、確かめることはできる。
 両腕をのばし、手のひらを向かい合わせて、2センチくらい離して、その位置をキープしよう。誰かにやってもらって、あなたはただ「手がくっつく、手がくっつく」と言葉をかけてあげるのでもよい。友達がいない人は、自分でやっても差し支えない。もちろん、自分でやるのと相手にやってもらうのと、二通りを試してみるのをお勧めする。多くは手のひらはやはりくっつく。中には(意識的に/無意識に)抵抗してか、腕がぶるぶるふるえる人もいる。ごくまれに、逆に手が離れている人もいる(らしい)。だから、多くの人を相手に試してみることから、多くを学べるだろう。
 いうまでもなく、これらは「言葉のモジュール」に働きかけることで「筋肉のモジュール」に影響を与えたのである。

 重要なのは、様々なモジュール間で働きがけが存在すること、そしてその強さは人によっても、周囲のモジュールの活性化の度合いによっても(つまり時と場合に応じても)、異なるということだ。

 モジュール間の働きがけをいくつか例示してみよう。

 私たちがどれほど細かく異なる心のシステムを区別するかによって、完全なリストは非常に長くなる。
 例えば視覚は大まかに形、色、動きの認識に小分割される。しかもこれらの区分のそれぞれは細かく分けられる。

 例えば、形に対処する視覚システムの部分は、犬の形を猫の形から区別することができる。
 これらの形の1つが恐れの感情にリンクしている人たちがいる一方で、愛の感情にリンクしている人たちもいる。

催眠の「モジュール・モデル」

 上の知識から、次のことが推察される。

(5)あるモジュールを不活性化(沈静化)できれば、それとつながる他のモジュールたちは、いつもとちがった、より大きくより自由な動きができる(かもしれない)。
 なんとなれば、モジュール同士は互いに結びつき、お互いの動きを互いに制限している(それでモジュール同士は連係がとれる)。あるモジュールが不活性化(沈静化)して、それだけ周囲のモジュールへの影響が減れば(「綱引き」の影響を減って)、その周囲のモジュールたちはそれだけ制限から脱するだろう。
 このことを説明するために、できるだけ簡単なモジュール連関図で、「何か見ているとき」(図3)と「何も見ていないとき」(図4)を比較しよう。説明を簡単にするために、登場するモジュールは、最低限に限っている。

図3 
「何か見ているとき」には、
「イメージのモジュール」への入力(働きがけ)は、
「視覚のモジュール」と「言葉のモジュール」の二つになる







図4 
「何も見ていないとき」には、
「イメージのモジュール」への入力(働きがけ)は、
「言葉のモジュール」だけになる





 どちらが、「言葉がイメージに及ぼす影響」が大きいか、いうまでもないだろう。
 これを「言葉でイメージを操作する」立場に立って考えれば、「視覚のモジュール」からの働きがけは、イメージ操作の自由を拘束する制限とみなされる。「視覚のモジュール」からの働きがけに縛られて、それだけイメージ操作の幅(自由度)は小さくなる。逆に「視覚のモジュール」からの働きがけが少ないほど、それだけイメージ操作の幅(自由度)は大きくなる。

 結論を先にいえば、これが催眠(トランス)のアルファでありオメガである。
 たとえば、催眠導入によくつかわれる筋肉のリラクゼーションでは、「筋肉のモジュール」が沈静化して、他のモジュール間の影響力がそれだけ増す。つまり言葉による暗示やそれが引き起こすイメージの作用は、それだけ大きく、またより制限を受けないものになる、ということだ(図5)。

図5
 筋肉のモジュールが沈静化して、
他のモジュールの制約が減る
(すると言葉モジュールやイメージモジュールの影響力が増強されるだろう)







「モジュール・モデル」で催眠を理解するメリット

 この簡単なモデルの利点のひとつは、これまでに人類が経験してきた数多くの催眠の経験から、その現象面だけではなく、そのメカニズムを引き出して学ぶことができることだ。
 これにより、催眠の応用は、あらゆるレベルでずっと柔軟なものになる。つまり伝習的に手法や対象を繰り返すのでなく、手法のリバースエンジニアリングやその組み合わせによる新手法の開発、未だ知られていなかった現象の発見、それに実践的にはずっと重要な、相手に会わせて手法や暗示を細かくチューニングする事に、役に立つ。

 たとえば催眠トランスへの導入、つまりモジュールの不活性化にはいくつものやり方が考えられる。
 エネルギーレベルを落としたり、「退屈」させたり、オーバーフローさせて麻痺させたり、いつもの働きがけから急に見覚えのない働きがけに切り替えて混乱させたり、あるいは二つ以上のパートを拮抗させて互いに身動きがとれないようにさせることもできるかもしれない。これらのうちのいくつかは、ある特定のモジュールを標的としたよく知られた催眠の技法に対応している。しかし、あまり知られていない技法や未知の方法への応用にも道を開いている。たとえば、同じフレーズを何度も繰り返すことが言葉モジュールを「退屈」「疲労」させる手法なら、同じ運動を繰り返しさせて筋肉モジュールを「退屈」「疲労」させる手法があるかもしれない。抵抗の強い被催眠者に有効なフラワーズ法(まぶたを忙しく閉じたり、開けたりを繰り返すして目の疲れを誘発する)のは、そのひとつかもしれない。これはほんの一例だ。

(6)モジュールや働きがけを入れ替えることで、既存の手法から数多くの手法を派生させることができる。
 また、催眠についての、シンプルで取り扱いやすいモデルを手に入れたことで、催眠を今まさに使っている場面でも、この応用は使える。つまり相手に合わせて、より反応しやすいモジュールへと催眠導入手法を切り替えたりできるだろう。言葉のモジュールやイメージのモジュールも、細分化して考えることができるのを思い出せば、より細かなチューニングが可能になる。相手や状況に併せてチューニングするというのは、エリクソンのような天才だけに許されたことではなくなり、むしろ大いにチューニングすべきであることが示される。

 モジュールモデルは、催眠のさまざまな側面について、統一的な理論的説明を与える。また「右脳や大脳旧皮質に潜在意識がある」といった迷妄や逆に意識が脳のどこか特定の場所にあるという(ミンスキーがいうところの)「単一エージェントの誤謬」や「小さな人間説」に逆戻りすることなく、大脳神経系や認知科学の知見と催眠についての知識とを結び付けて考えることが可能になる。
 たとえば、催眠トランスとは、どんな状態か、つまり脳神経システムのどこがどんな風になっていることをいうのか(じつは、この言葉を示す特定の(他から区別できる)状態はないので、この言葉は---「意識/無意識」「顕在意識/潜在意識」といった言葉と同様に---便利ではあるが、対象のない言葉である)明らかになる。
 また同様にして、通常の状態と問題のある状態とを、モジュールモデルによって陸続きに理解できる。問題のある状態から催眠を使って抜け出すにはどうすればいいか(=催眠暗示の使い方)について、多くを教えてくれる、ということだ。

(7)モジュールへの働きがけを考えることで、さまざま催眠現象や催眠導入への統一的な理解と、催眠療法(催眠を通じた問題解決)上の戦略の基盤を手に入れることができる。
 ※「催眠のモジュール・モデル」の名称と説明は、いま勝手に考えたが、その内容は、The Principles of Hypnotherapy, Dylan Morgan, Eildon Press, 1996.及びHypnosis for Beginners, Dylan Morgan, 1998.(いわゆる催眠のMorganicアプローチ)に、ほとんどすべてを負っている。ぜひ一読あれ。





補遺:他の催眠理論との関係について


 現在までのところ、完全な催眠理論は存在しない。
 「霊の仕業」や「動物磁気」など、現代の催眠家なら採用しないであろう、すでに歴史的存在になってしまった「理論」を除くと、催眠の理論は大きく4つに分けられる。


1 催眠の神経学 Neurological Approaches


 この系譜には、「催眠 hypnotism」の名付け親ブレイドが含まれる。

 ブレイドの催眠理論は、催眠が脳のある部分だけを選んで大きく亢進させたり逆に抑制したりできるという発見を基本に置いている。彼は「催眠 hypnotism」という名称を、正確には「ニューロ・ヒプノティズム」、つまり「神経系の眠り」という意味で使った。この言葉は、被催眠者の神経系の活性が、ほとんどの部分で抑制された状況を指している。もちろんブレイドは、この状態と普通の睡眠がはっきり区別できることに気付いていた。ニューロ・ヒプノティズムは、ほとんどの神経の抑制とともに、ある部分の神経が大きく亢進している状態なのである。

 ブレイドのアイデアは言い換えるなら、神経システムの、特定のサブシステムについてそれぞれ活性レベルを自由に上げたり下げたりすることができる、というものだった。これは我々がこのサイトで採用している、催眠のモジュール・モデルの先駆でもある。

 
 ブレイド(の理論と用語)が、先行するメスメリズムに勝利をおさめたのは、パス法も相手に触れることもなしに、メスメリズムにできるすべての状態を生み出すことができたからである。

 しかし、ブレイドが「催眠状態hypnotic state」という概念を用いたのは失敗であったと我々は考える。彼が、被催眠者から、「一通りの、画一的な」反応しか得なかったのは、彼の実験方法からすれば当然の結果だった。彼はたった一つのやり方しか催眠導入を使わなかった(知らなかった)のだ。そのせいで、彼は、一通りの、画一的な「催眠状態」という概念を提示することになった。ブレイドから150年もの時間が経とうと言うのに、我々の世代の催眠家や研究者たちは、いまだに、ただ一つの「催眠状態」という考えを用いて、催眠を語ったり、考えたり、それを測ろうと実験したりしている。そればかりか「催眠」のただひとつの定義を求めている。

 多くの催眠手法と経験の蓄積を持っている我々は、次のような疑念を抱かざるを得ない。最初の仮定が、つまり、「単一の催眠状態」という概念が、多様な催眠現象を説明するには単純すぎるのではないだろうか。
 
 この疑念は、より科学的な探究にも向けられる。多くの研究者が、催眠に関わる「たったひとつの」脳の部位を探し求めようとしてきた。あるものは、それは右脳であるといい(せめてShoneみたいに左脳の抑制と同時に右脳が亢進する、くらいは言ってほしいが)、あるもの(Waxman)はRAS(Reticular Activating System 網様体賦活系)がそうだといい、あるもの(Tinterow)は睡眠を司る部位がそうだといい・・・。ここでも我々がいうことは先と同じである。「単一の催眠中枢」という概念は、多様な催眠現象を説明するにはあまり単純すぎるのではないだろうか。

 たとえば「睡眠」ですら、現代では、それが「ひとつの状態」などではないこと、寝て覚めるまでに、いくつもの状態を経過することを我々は知っている。「睡眠」においてすら、脳神経系はすべてが一時に抑制されるのではない。ある時は脳の高次機能が抑制され他の機能が亢進するだろう。またある時は・・・。こうした認識は、当然、催眠というものに対しても光をあてるはずである。たとえばRossiは、一日に経験する覚醒と睡眠のサイクルと、催眠現象とを結び付けている。こうしたサイクルは、およそ90〜120分の長さで、睡眠の中だけをとっても観察される。催眠にも、また・・・。

 あるいは睡眠とは正反対の考え方もある。この考えはむしろ、睡眠中の高い注意集中を強調する。なるほど催眠トランス中の被催眠者は、催眠者の声だけに集中している。「催眠」の名付け親であるブレイド自身が、「催眠hypnotism」の語を(一方の側面だけしかあらわしていないと)反省して、別の言葉にしたいと後年願っている(しかし、すでに事は遅しだった)。

 脳の部位ではないにしろ、脳の機能の分化(一番シンプルなのは意識と下位意識(あるいは無意識)だろう)に着目して、催眠の理論を構想した者も多い。この立場に立てば、催眠は片方の(つまりは意識の)機能の抑制・鎮静化であり、それに伴う無意識機能の顕在化である。あるいは別の機能分化を考えるなら、ひとつの身体に複数の「人格」を想定する分離理論(dissociational theory)の派がいる(シャルコーの下で学び、のちにその理論を批判したジェネなどがいる)。分離理論派の最近の盟主ヒルガードは、催眠による痛みの抑制について有名な研究を残しているが、彼によれば催眠である部位(たとえば右腕)の痛みが抑制できるのは、その部位に対応した「人格」を 抑制・鎮静化したが故に、である。この考えは、近年数多く報告された多重人格向けに、フロイト流の上下分割機能論とは異なる、横に切り分けた心機能論として、着目されてもいる。
 

 我々はもう少し最近の脳科学の成果を受け入れて、脳の機能の単位はもっと小さく、そしてそれら小単位の相互作用によってのみ、脳の機能が実現されると考えている(もちろん「意識」などが、脳のどこかに陣取って、他の機能単位を操縦しているだなんて、夢想しない)。

 我々は、催眠のモジュール・モデルによって、なぜかくもたくさんの催眠技法が存在し、また無数の催眠状態が観察され、さらに同一の働きがけに対して、かくも多様な反応が見られるのか、を説明できると考える。むしろ「単一の状態/スケール/部位」を取らず、システムとしての神経系をまるごと視野に入れること(つまりシステムとして脳と催眠とを考えること)の方がずっと、ストレートなアプローチではないかと考えている。

 

2 催眠の暗示理論 Suggestion Approaches


 ファリア師にはじまりベルネイムに流れ込む立場であり、そして現代でも催眠の本質についての主要な立場をなすものに暗示理論がある。

 暗示理論によれば、催眠はつまるところ暗示の結果である。我々は、自分たちが抱える信念に一致した行動をとる。そして暗示によって、信念の変えることができるなら、行動を変えることができるだろう。また思考は精神のプロセスであるので、新しい信念が生じるなら、脳の中では新しい特定のプロセスが惹起するだろう。あるいは何か新しい信念を受け入れることで、それまでにあった古い信念を追い出すことが、そして古い信念に対応する脳内プロセスを止め減退させることが、あり得るだろう。暗示と言う言葉が脳機能の一部に働きかけ、その活性化/沈静化をもたらすとすると、暗示説もまた、催眠のモジュール・モデルの先駆であると言える。

 暗示説のアプローチをとれば、もっともらしい例の議論:「暗示と催眠はどこがどう異なるのか?」を蒸し返す手間は回避される。ベルネイムは、まったく催眠導入をつかわず、単なる暗示だけで被術者を劇的に変えてしまう事例を体験していた。例えば、つよく働きかけるだけで、まったくの無実の男に「自分の犯した」盗みについても記憶を「仔細もらさず」思い出させることができた。これなどは、ステージ催眠でよく見かけるケースそのままである。しかも、この場合、催眠は使われていないのだ。

 ずっと新しい研究においても、暗示の効果と催眠の効果との違いを見つけだすことはできていない(バーバーとその同僚たちは、催眠でできることはすべて暗示でもできると、結論するに至った。多くの追試がそれを確認している)。これら研究自体もまた、固有の「催眠状態」を確定しようという動機に基づくものだったのであるが。


 しかし催眠の暗示理論もまたいくつかの弱点があるように思える。

 弱点のひとつは、暗示が脳に働きかけるのは確かだとしても、脳のどこに対して、またどのようにして働きかけるのか、についてはすべて暗示理論の埒外に置かれていることである。

 次の弱点は、ひとつめの弱点から出てくる。暗示理論は暗示と脳の関係を省いているがために、ある暗示は効き目があり、別の暗示には効き目がない、といったことがどのようにして生じるのかを説明できない。

 そして最後に、我々には致命的な弱点と思われるのは、「問題(症状)は消えていきます」という以上の/以外の働きかけ(暗示)がどうあるべきか、暗示理論は実質的に何も教えてくれないことである。
 

 催眠のモジュール・モデルは、もっと小さな単位への「暗示」というアイデアを基礎としている。つまり暗示は、脳全体に影響を与えるというよりも、脳機能を構成するモジュールのいずれかに影響を与えると考えるのである。モジュール間の関係から、どの暗示と暗示を用いればいいか、どの暗示にどの暗示をつなげれば良いかを、考えることができる。催眠のモジュール・モデルはまた、ある暗示がどの暗示と機能的に等価であり、つまりどの暗示と代替可能であるか、そしてより大きな範囲で言えば、既存の暗示構成と同じ働きをする異なった暗示構成のバリエーションがどのようなものであるべきか、考える基盤ともなる。
 

3 催眠の社会理論 Sociological Approaches

 
 ブレイドたちの立場、すなわち催眠のメカニズムをすべて身体(脳神経系)の内側に求める立場に対して、正反対の立場を取る一群がある。その立場にたつ人々は、催眠のメカニズムを生理学的に探求するのでなく、むしろ社会的に‐具体的には、催眠者と被催眠者との関係に求めようとする。

フィレンツェは、催眠者‐被催眠者の関係が、親と子の関係に似たものになると指摘した。つまり催眠者は「親/保護者」の役割に自分を合わせ、被催眠者は「(従順で疑問を持たない)幼子」を演じる、といった具合に。

もっともより広い、あるいはより社会(学)的な見方をすれば、それはフィレンツェが観察しまた所属した、伝統的な医師‐患者関係が、催眠をかけ/かけられる二人の関係に反映しているのだとも言える。催眠の歴史を飾る催眠家たちの多くは、現在の我々が期待する以上に権威的な役割を要求され、あるいは自ら演じた。彼ら権威催眠家たちは、次第に権威を増してきた医学者のカリカルチャアだった。医者たちは権威を振りかざし、患者はそれをなんの疑いもなく受け入れる。精神分析家が発見した転移は、すでに医師‐患者関係の中に存在していた。分析医は患者の背後に身を隠すことで(親としての役割を隠すことで)、転移関係を自らも演じてしまうシナリオとしてでなく、患者が抱えてきた過去の「投影」だと、言うに至ったのだ。

 また催眠を「関係」として捉える視点は魅力的であるが、フィレンツェの指摘は、催眠のメカニズムを探求する我々の目的からすれば、まるで不十分である。フィレンツェの指摘が説明できるのは、被催眠者が「子供っぽく」なることだけである。催眠の様々な側面を説明するにはまるで足りない。


 他に、催眠者‐被催眠者の関係と似ているとされる関係には、たとえば性愛関係がある。フロイトも一時この説をとっていたことがある。ある人が誰かに恋をしているとすれば、その誰かに心を開き、その言葉やしぐさから大きな影響を受けるのは当然であるといえる。実際のところ、被催眠者が催眠者に恋愛感情を持っているならば、被催眠性や被暗示性とも著しく高まることが知られている。
 
 もちろん、催眠の理論をその上に構築しようとすれば、この視点はあまりにも狭い。まず催眠者‐被催眠者が異性のペアだろうと、同性のペアだろうと、同様に催眠現象のすべてが観察される。さらに踏み込むためには、リビドーと異性愛、同性愛の関係についての複雑で泥沼のごとき議論に深入りする必要がある。


 次に、権威者と従属者の関係がある。これもまた、かつての権威催眠の時代ならともかく、現代催眠のほとんどすべてを説明できないだろう。

 しかし、ここから上位‐下位の正確を弱めた「社会的承認(コンプライアンス)」の理論がある。スパノスはこれを催眠の原理に置いている。確かにコンプライアンスについての原理やそれを用いた承諾を得るための様々なテクニックについては、催眠家にとっても有用であり、別のところで検討している

 「社会的承認(コンプライアンス)」論の中核は、社会的役割の期待と受容である。特定の状況設定(たとえば診察室)において、治療者としての役割を負う催眠家と、被治療者(=病人)の役割を負う被催眠者。

 パーソンズが指摘したように、「病人役割(sick role)」は、《病人は、通常の社会的役割がある程度軽減ないしは免除される代わりに、医者や看護者に協力して治癒を早める義務を持つ者》という役割であり、これと対となる「治療従事者」は、《患者との共同目標として健康回復を掲げ自分の個人的利害よりも優先させ、また患者に対して感情的な関係を持たない者》という役割を担っている。「病人」は仕事を休んでも非難されない(通常の社会的役割がその部分で免除されているから)が、病気を治す努力を怠ったり、病気を治そうとする治療従事者の指示に逆らったりすれば非難されるだろうし、多くの場合、自ら罪悪感を覚えるだろう。こうして舞台と役者がそろった状態では、片方(患者)だけがその役割を逸脱するのは難しい(社会的圧力がかかる)だろう。

 この社会心理学的理論は、汎歴史的である。たとえばメスメルの患者が激しいクリークを引き多し、エリクソンの患者が静かに手を持ち上げるだけ、といった違いを、期待される役割の違いとして説明できるだろう(役割は、社会拘束的であるのだ)。また、役割の期待は時におそろしいほど効果をあげることを我々は知っている(たとえばミルグラムの実験で、相手が苦しんでも電気ショックを与えつづけた被験者の例など)。だからこそ、個人に直接働きかけるよりも、集団を変える方が(また集団の変化を通じて個人を変える方が)速やかで効果も大きい。人々は状況や期待に応じて、その思考や行動をいかに大きく変えるかを知れば、この催眠の社会心理学的理論は、極めて有力な説明であるように思える。
 また儀礼的行為が「聖なるもの」と人々の紐帯を作り出すというデュルケムの指摘を受ければ(ことによると、デュルケムの指摘は、ダンバーがいう「猿の毛つくろい=言語起源説」によって基礎付けられるかもしれない。毛つくろいは個体内的には脳内麻薬物質をもたらし、個体間的には選別機能を備えた信頼形成をもたらす)、催眠の本質は、実は個体的なものではなく、人間の社会的動物としての機能の一部として、進化の過程で獲得されたものであるかもしれない(つまり集団催眠こそが進化的には本来的であって、個人催眠は進化からみれば誤用もしくは副作用なのかもしれない)。宗教の社会的機能を支える個体内蔵されたメカニズムは、我々が催眠トランスするときに働くものと、おそらく共通しているだろうからだ。

 我々が唯一批判するとすれば、あらゆる社会的紐帯も、家族関係も、社会集団も、持っていない存在については、催眠の社会心理学的理論は説明力を持たないということである。成瀬悟策のように、いわゆる「動物催眠」が、我々人間における催眠と、いかなる共通点もないと断じることができれば、この点は弱点でなくなるだろう(人間は、なんらかの社会的紐帯を持ち、家族で育てられ、何らかの社会集団の一員となる、動物であるから)。一方、催眠のモジュール・モデルは、紐帯もなければ集団もなさない、卵から生まれるのでエディプス的関係も持たない、そんな動物における催眠(動物催眠)をも、催眠と陸続きのものとして説明可能することができる。
  

4 催眠の情報理論 Information Approaches

 最近、ロッシは、催眠の情報理論について次のような議論を行っている。我々の催眠のモジュール・モデルは、モジュールが他のモジュールの活性度を変化させることができるという点を出発点にしているが、その一方、ロッシの情報理論的なアプローチは、同様に我々の身体が多くのシステムから構成されており、それぞれのサブシステムがお互いに情報をやりとりするという点を基礎においている。両者はよく似ている。サブシステム同士の情報のやりとりは、もちろん、それぞれのサブシステムの活性度を変化させるからである。
 
 これをロッシ自身の言葉で言えば、「心理社会的な我々の世界、精神、身体から細胞生理レベルの間における、サイバネティック(あるいは循環的)な情報の流れ(フロー)こそが催眠療法が扱う主たる領域である」と表現される。

 しかしこれまでのところ、催眠の情報理論は、催眠中の「情報のやりとり」が、治療に必要な体内の化学レベルの変化をどのように引き起こすかという点に集中しており、催眠導入やその他催眠技法を分析する段階には至っていない。また我々の視点からすると、催眠療法を「心身コミュニケーションのサイバネティック・ループによって生み出される心理的リズムの同調作用および利用」に限定しているため、不要な混乱に陥っているように思える。 

 それとは対照的に、我々のとる「催眠のモジュール・モデル」は、催眠療法の領域について広く合意されたいっさいのレベルを対象にできる。すなわち、社会レベル、心理レベル、身体的レベル、そして生化学レベルの、多くのサイバネティクなシステムについて、考察することができる。しかも(ロッシのように)何か新しい特別な原理を導入しなくても、これまで蓄積された催眠についての知見を統一的に把握できる。さらに「催眠のモジュール・モデル」は、様々な状況におけるサイバネティック・プロセスの力学(ダイナミズム)をいっそう明確にできると考えている。


5 催眠のモジュール・モデル Morganic Approaches

 このサイトで我々が採用した「モジュール・モデル」ないし「催眠のMorganicアプローチ」は、ベストではないにしろ、他の理論よりは「まだまし」だと考えている。
 その理由は、「ただひとつの催眠状態」あるいは「一次元の量で表わされる催眠深度」という概念を使わない/使うことができない催眠理論であるからである。おそらくは(我々の考えでは)、「ただひとつの催眠状態」あるいは「一次元の量で表わされる催眠深度」ことが、これまでの催眠理論が陥った隘路だった。これまでの催眠理論は、生理的なものにしろ、心理的社会的なものにしろ、「ただひとつの催眠状態」に対応する催眠の源泉を求めていた。ある者は脳神経系の特定部分(たとえば右脳や睡眠中枢)にその源泉を探り、あるものは暗示や役割行動や転移にそれを求めた。それら理論は、催眠現象のいくらかの部分を説明したが、いくらかの取り残しがあった。そこで折衷説が登場したが、それも決定的なものではなかった。
 我々はこれらの説明が、意識の統一性をあまりにも「神聖なもの」と見た、レトロペクティブなものに思える。潜在意識や変性意識を持ち出すのは、意識を「至高のもの」とする誇り高いが、今では混乱した考え方だと思う(「小さな人間」説を参照せよ)。脳神経系の過程で、意識はまったく部分的なものにすぎない。意識はそのほとんどすべてを捕らえていない。むしろその過程から生み出されるのに、自ら(=意識)がその過程をコントロールしていると信じ込む誤謬を犯す必要はない。
 意識が、脳神経系の様々な過程の「結果」だと認めてしまえば、変性意識を持ち出す必要もなければ、意識の変わり具合に応じた一元的スケールを「催眠の深さ」とする必要もない。潜在意識や無意識という「実在」を考える必要もない(脳のプロセスがほとんど意識できないのだから)。

 我々のすぐれた目(というか視覚系)は、しかし光スペクトルの受信機としてはかなりの限界があり、まったく異なるスペクトル分布を区別できず、同じ色として(たとえば「青」や「赤」として)知覚する。それと同様に、まったく異なる脳神経のモジュールの活性化具合が、意識というすぐれた(しかし脳の過程を捉えるにはまったく限界のある)自己知覚系にとっては区別できず、同じ「催眠状態」としてとらえられたとしても無理はない。実のところ、催眠の「状態」は、個人差はもとより、セッティングや催眠者や導入手続きによっても、様々に変化し得る。たまたま伝統的でよく知られた催眠導入に、うまくマッチする人がいるだろうし、マッチしない人もいるだろう。実のところ、我々が知る催眠導入たちが、まったく幼稚であるかもしれず(何しろ長い間変わっていないものもある)、それによって「被催眠性が低い」とその恩恵から弾かれている人たちがいる可能性もある。

 我々が採用した「モジュール・モデル」は、我々が日常いくらも体験している疑・催眠体験とでも呼ぶべき、いわゆる催眠状態と多くの重なりを持った体験と催眠にかかわる導入/暗示/状態などの、催眠家が従来からいく知っていた知見とを、統一的に理解できる。日常での疑・催眠体験は、それぞれのモジュール間の連絡(綱引き)がゆるんだ状態に他ならない。それはあるモジュールの活性度の低下からも生じるし、あるモジュールが特定の情報に集中(とは集中した対象以外の情報をカットオフすることである)することからも生ずる。そして、各モジュールの細部(もまたモジュール群の組み合わせ/連関から構成される)は、それぞれ個人ごと、あるいは個人でも時間の経過によって、異なっているだろう。我々の「脳で起こっていること」についての知識は、決して十分とは言えないが、それでもこのモデルは、今後も蓄積されるであろう脳科学や認知科学の知見を受け入れ、改良していける余地を持っている、と考えている。



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