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           読 書 猿   Reading Monkey
            第66号 (ラテン中世号)
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■■イーフー・トゥアン『個人空間の誕生』(せりか書房)=========■amazon.co.jp

 ある哲学者は(もう故人だが)いろいろ歯切れの良い暴言を吐く人だった
が、地理学についてこう言っていた。「なんや、風呂屋の数、数えたりする
ガクモンやろ」。
 著書は、中国生まれの地理学者である。このチャイニーズ・ジオグラファー
が、「ヨーロッパにおける近代的個人の発生」という問題に取り組むところが
ミソである。これが歴史学者だったり社会学者だったら話にならない。
 論旨は今ではさほど新鮮なものではない。近代的自我の発生(自−他の分節
化)を「空間の分節化」からみるといった呈のもので、副題の「食卓・家屋・
劇場・世界」だったりするので、とりあげられる事例は、大騒ぎの粗野な食事
からテーブルマナーの成立へ、広間での雑居状態から個室へのひきこもりへ、
観客と役者が一体化した劇から純然たる観る劇へ、といったものになる。つま
り「近代的個人の発生」を「歴史的変化」として追っているので、いつのまに
か地理学者が歴史学者を演じてしまっている。つまりはこれでは話にならな
い。
 加えて言えば、「近代的自我の発生」を「自−他の分節化」といった心理的
事象として取り扱ってるので、いつのまにか地理学者は発達心理学者を演じて
しまっている。しかも「空間の分節化」なるものも、たかだか自我に対応する
「環境」でしかない。もっと徹底的に地理学すべきだと思う。バカな建築家が
これを読んで勘違いしないことを祈るばかりだ。


■■西村恵信訳注『無門関』(岩波文庫)=================■amazon.co.jp

 禅の、いわゆる「公案」を集めたもので、編者は無門慧開。公案集としては
比較的新しいものだが、日本に入ってきたのが遅かったので、これの前の世代
の公案集である『碧巌録』なんかと同じ扱いを受けた(と解説に書いてある
)。『臨済録』なんかの、禅の始祖たちの言葉を集めた語録と違って、それら
の言葉に編者の言葉を加えた一群のものの一つであるそうだが、語録も語録な
ら、それに加えられた注釈も注釈である。
 
 ある時、弟子が師匠に尋ねた。「私はこの道場に入ったはばりの新米です
が、何か教えてください」。師匠が云うには、「朝飯はすんだかい」。坊主は
答えた。「食べ終わりました」。師匠「それでは茶碗を洗っておきなさい」。
弟子はいっぺんに悟ってしまった。
   私=無門に云わせれば、和尚はうっかり口を開いたばっかりに内臓まで
見せてしまい、肝心なところまで丸出しだ。ところその弟子ときたら、せっか
くことの真相を示されながらそれと分からず、鐘を瓶と間違ってしまったの
だ。
   歌で云えばこうだ
   単純に明らかなことだから
   かえって掴むのが遅れる
   目の前にある灯りも火だということが早く分かってれば
   飯もとっくに炊けてたろうに

 無門の言葉はむろんのこと解説ではないが、かといって批評でもない。少な
くとも批評性はない。まだ語録だけの方が面白い。


■■倉多江美『倉多江美の本 さくらサクラ』(小学館FLビッグコミックス)=■

 さくらさんの夫は職業が作家で、内田栄造という名前である。


■■『ケンブリッジ ラテン語講座』(泰流社)==============■amazon.co.jp

 イギリスの初等ラテン語コースの教科書(学校で使われている)を翻訳した
もの。
 よい本だが高い。高いだけじゃなくて、思わず例文にのめり込んでしまうひ
どさである。三年次までは作った例文が主体で、四年、五年次になると古典文
が登場するのだが、その作った例文が。
 日本で言えば、中学校の英語の教科書を思い出せばだいたい内容は想像でき
ると思う。父はカエキリウス(両替商)、母はメテルラ、息子はクゥイーント
ゥスである。奴隷がクレーメーンスで、料理人はグルミオー、犬がケルベルス
である。

>グルミオー:私は料理人である。私は食物を料理する。
>カエキリウス:私は両替商である。私はお金を持っている。
>パンタガトゥス:私は理髪師である。私は髭を剃る。
>シュパークス:私は奴隷商人である。私は奴隷を売る。
>詩人:私は詩人である。私は詩を朗詠する。
>クゥイーントゥス:あなたは何を料理していますか
>グルミオー:私は食物を料理しています。
>クゥイーントゥス:あなたは何を持っていますか。
>カエキリウス:私はお金を持っています。
>クゥイーントゥス:あなたは何を剃っていますか。
>パンタガトゥス:私は髭を剃っている。
>クゥイーントゥス:あなたは何を売りますか。
>シュパークス:私は奴隷を売ります。

 奴隷のクレーメーンスは勇敢で、主人一家を助けたりして、とうとう解放さ
れて自由民になったりするが、同じく奴隷のコックであるグルミオーはどう
か。

 料理を運んだグルミー。主人のカエキリウスと客人は女奴隷の歌を鑑賞しな
がらその料理を食べて、やがて寝てしまう。
 
>グルミオーが食堂に入ってきて、そして、あたりを見回す。
>料理人は食物が食卓の上にあるのを見る。
>グルミオーは食物を食べ、ブドウ酒を飲む!
>カエキリウスはグルミオーを見ていない。
>料理人は、食堂で、堂々と食べている。
>料理人は女奴隷を見つめる。
>女奴隷はグルミオーを喜ばす。
>グルミオーは女奴隷を喜ばす。
>グルミオーはこの上なく幸せである。

 しょうがないコックである。

 カエキリウスが床屋にやってくると、床屋は老人の髭を剃っている。そこに
詩人がやってきて詩を朗読する。

>カエキリウスは笑うが、理髪師は笑わない。
>詩は稚拙なものである。
>理髪師は怒る。
>「悪党め!悪党め!」とパンタガトゥスは叫ぶ。
>老人はおびえている。
>理髪師は髭を剃らない。
>理髪師は老人を切る。
>おびただしい血が流れる。

 しょうがない床屋である。

>ローマ人は言う。「われわれはローマ人は建築家である。われわれは道路や橋
>を建てる。」
>「われわれはローマ人は農夫である。われわれは最良の農地をもっている。」
>ギリシャ人は言う。「われわれギリシャ人は彫刻家である。われわれは美しい
>立像を造る。」
>「われわれギリシャ人は画家である。われわれは絵を描く。」
>ローマ人は言う。「お前たちギリシャ人は怠惰だ。お前たちはいつも役者を見
>ている。」
>ギリシャ人は言う。「お前たちローマ人は野蛮だ。お前たちはいつも戦ってい
>る。」
>ローマ人は言う。「われわれは賢い。われわれは役立つものを作る。」
>ギリシャ人は言う。「われわれはお前たちより賢い。われわれギリシャ人は
>ローマ人を教えている。」

 しょうがない連中である。

 写していると止まらないが、因に、舞台はポンペイで、例の火山の噴火で、
最後にはみんな死ぬ(のだったと思う。今手元にないので確かではないが)。



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