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           読 書 猿   Reading Monkey
            第64号 (ひらがなの日号)
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■森鴎外『栗山大膳・渋江抽斎』(ちくま文庫版森鴎外全集6)========■amazon.co.jp

 表題二作の他に七篇の歴史小説が一冊に収録されている。こうされてみると
大作とばかり思っていた「渋江抽斎」は実はささやかながら充実した中編の作
品だったと気が付く。それに紙数という点でいけば、次の「伊沢蘭軒」(この
全集の第七・八巻)「北条霞亭」(同第九巻)の方がはるかに「大作」なのだ
が、そんなことはどうでもいい話だった。
「渋江抽斎」はめちゃくちゃ面白かった。個人的には、もと新聞連載という事
情もあってかだらだらと続くのが読むのに適していたこと、主人公の抽斎が早
くも小説の中ほどで死んでしまうのにそれでも小説は続くことや、幾度となく
当然のごとく繰り返される「抽斎歿後の第十三年は明治四年である」というよ
うな倒錯した歴史意識が、非常に嬉しい。いかにも小説らしい小説と言うべき
で、「小説の小説」なんてお題目は軽く飛ばされ空の彼方に消えてしまう。こ
れは立派に現代文学だ。
 他の小説はあまり面白くない。「抽斎」の方法が空振りした失敗作だとして
も、そうたいして外れてはいないだろう。しかし、それら「失敗作」にあって
も鴎外の禁欲的な筆致はこれほど嫌味だとむしろ新鮮で、鴎外を禁欲と呼ぶな
ら司馬遼太郎のことは淫乱と言わねばバランスを欠くことになる。
 ところで、この巻になぜ「栗山大膳」が収められているのか理解できない。
読めばわかるように、これは「境事件」や「大塩平八郎」の系譜に連なる作品
である。
 それから徹底的に外しまくっている脚注や、好意的に見てもただの「文庫解
説」にわざと徹しているとしか考えられない中野美代子の解説にはうんざり
だ。編集者の猛省を促したい。
 そういう訳で次に「抽斎」を再読するなら岩波文庫版にしたい。こちらの解
説は斎藤茂吉だ。格が違うのだよ、と言ってみたところで始まらないが。


■■古川俊之『寿命の数理』行動計量学シリーズ13(朝倉書店)======■amazon.co.jp

 人の寿命の研究と物の寿命の研究は、従来別々に進められていた。前者は生
命表分析と呼ばれるものに結実し、後者は信頼性工学というジャンルへと展開
した。
 しかし研究の進歩は、奇しくも両者がまったく同じモデルにいきつくこと
で、再び合流する。1951年スウェーデンの機械工学者ワイブルがボールベ
アリングの寿命分布の記述のために考案したワイブル分布モデルは、形状母数
mをプラス・マイナス・ゼロとすることによって「摩擦故障型……時間が経つ
ほど増える故障」「初期故障型……時間が経つほど減る故障」「偶然故障型…
…時間経過とは無関係にランダムに起こる故障」をそれぞれ扱える。古川らは
独力で、人間の生命表分析(これは寿命を「死亡の秩序」から分析したもので
ある)を取り扱うモデルを開発したが、これは若年層(新生児ら)の死亡を
「初期故障型」として、青年層の死亡(自殺その他)を「偶然故障型」とし
て、年齢が重なることによる疾病などを「摩擦故障型」として、それらの複合
したものだった。これは複合ワイブル分布モデルに他ならない。

 このモデルを使って、たとえば「医者の不養生」なることわざを検証してい
く。まず医学部の同窓会誌(東京大学の鉄門クラブの名簿)を手がかりにデー
タを集め、生命表を作成する。人文系はもちろん、理工学部でも卒業後20年
も立つと、消息不明者は全体の20〜30%となるのが普通であるが、医学部
だけは中世のギルド社会よろしく、医師免許だけでなく、医師会、学会などの
登録と言ったつながりで動静がほぼ完全にわかるのである。これを分析する
と、医師のワイブル分布は、日本人全体のワイブル分布とほとんど変わらな
い。古川先生曰く「医者は不養生でもなければ長寿でもない。寿命に関する限
りただの平均的市民であり、医学の限界を暗示している」。

 とにかく汎寿命方程式に先鞭を付けたことで、「寿命」現象を統一的に扱え
るようになった。縄文人からハプスブルク時代のウィーン人、長寿国ビルカバ
ンバから職業別寿命、地球の寿命、建造物の寿命、録音テープの寿命、商品人
気の寿命、ストライキの寿命、戦争の寿命、結婚の寿命、歯の寿命、病気の寿
命、記憶の寿命と、あらゆる「寿命」が登場する。

 たとえば日本の相撲は、競技上の危険は格闘技としては高くないのに、競技
者の寿命はすごぶる短い。力士は空腹のまま猛稽古し、大食して眠ることで成
長ホルモンを分泌させカラダをつくっていく。主にこの大食が膵臓のランベル
ハンス島の機能を疲労させ、高血糖と動脈硬化に陥らせると従来考えられてき
たが、旧ソ連の金メダリストの早死にが成長ホルモンドーピングによることが
明らかになってくると、伝統的な力士のカラダのつくりかた、すなわち成長ホ
ルモンを自家分泌させる「ちゃんこドーピング」が短命の原因ではないかと推
測されるようになった。


■■高辻正基『恋愛というカオス』(四谷ラウンド)============■amazon.co.jp

 浅羽が言ってたが、経営学とかビジネス理論というのは「流行理論の墓場」
であって、ビジネス書にそのタームが現れるようになると、たいていはまあお
しまいである。昔、「ホロン経営」なんてのもあったが、今ならさしずめ「複
雑系」だろう。
 なんでもこの本は、「カオス理論で恋愛を、カタストロフ理論で三島由紀夫
を、散逸構造論とエントロピー法則で日本社会を読みとく」そうで、著者本人
いわく「20年早すぎた」らしいが、案の定きっかり20年遅れてる。シアワ
セだろうな、こういう人って。


■■樋口陽一『比較のなかの日本国憲法』(岩波新書)===========■amazon.co.jp

 このあいだ、連座制の適用とかで、はじめて選挙法違反でクビになった国会
議員が「この制度は憲法違反だ。裁判で戦いたい」などと言っていた。この議
員が所属する保守政党は、その党是にずっと「憲法改正(自主憲法)」を掲げ
ているのだが、「憲法にそれだけ守ってもらうほど、あなたは憲法に対して何
をしたのか」と言われてもしょうがない。加えて言えば、その政党は長年日本
国の政権を担当しており、一方で日本国憲法第99条には天皇以下の公務員
(当然大臣も議員も含む)に憲法尊重擁護義務がうたってある。
 日本ってへんな国だ。
 自由主義といえば日本ではずっと「便乗ファシスト」を意味したし、現状維
持を意味する保守勢力が(憲法擁護の義務を負う政権を担いつつ)「憲法改
正」というラディカリズムを唱え、逆に現体制変更・打破を意味する革新勢力
が現行「憲法」を保守する。ヨーロッパじゃ、国を守るってことは、憲法を守
る(遵守するだけでなく、防衛する)ことなんだけどね。


■■P.グリマル著、高田康成訳『キケロ』(文庫クセジュ)=========■amazon.co.jp

 たいした本ではないが、これしかないのだからしょうがない。逆に「何故こ
れしかないのか」、言い換えれば「ヨーロッパに長きに渡り絶大な影響を与え
たキケロが、日本においてかくも冷遇されているのは何故なのか」の方が興味
を引く。おかげで日本人は西洋のなんたるかを知ることなく、ヒューマニズム
を「人道主義」と勘違いして訳してしまい、レトリックは修辞か美辞麗句に堕
落してしまい、議論や話し合いがへたくそのまま、「民主主義」も「市民社
会」も根付かず、おまけにとうとう戦争にまで負けてしまったのである。
 この件については訳者による「キケロ学の不成立について」という小論が巻
末に添えられている。
 極東の島国ニッポンは、ヨーロッパを真似るについて、英仏独を参考にした
のであるが、最終的にはヨーロッパの後進国だったドイツに狙いをしぼった。
これから成り上がるについては、プロシアの末足(すごい追い上げ)が参考に
なると思ったのである。
 しかし、後進国には後進国なりの悩み、コンプレックスがあった。西洋近代
は俗にルネサンスから始まったといわれるが、ドイツにはそのルネサンスがな
かった。中世を振り払い近代化を進めるにあたっての「本源への回帰」を欠い
ていたドイツは、まったくおくればせながら、極めて観念的・理念的な「回
帰」を行う。
 ルネサンスが極めて人文的・ローマ的、すなわちキケロ的な古典古代への
「回帰」であったとするなら、ドイツの「回帰」においては、病的ともいえる
ギリシャへの志向がそれに替わる。これが19世紀ドイツに吹き荒れる「ギリ
シャの暴挙」である。劣等感の裏返しである、本源主義、ホンモノ志向は、あ
らゆる亜流をあしざまに罵ることになる。
 ギリシャ熱にうなされたゲルマン魂は、ギリシャの亜流としてのローマ、あ
らゆるラテン的なものを攻撃する。その反響はいまも我々がよく知る「哲学
史」に見ることが出来よう。哲学史を書いたあれらの哲学者たちは、古代ギリ
シャ哲学の以降には、ドイツの観念論しか(やがてそれに統合されるものし
か)認めなかった。折衷主義、見るべきモノのないローマ・ラテンの哲学と
は、今も「哲学史」における通説である(哲学史にかかったゲルマン的バイア
スを見よ)。 
 なによりも攻撃は、ラテン的なモノを代表するキケロに集中する。キケロは
もはや亜流あつかいされるだけではすまない。たとえばプロイセン科学アカデ
ミー会員のローマ史学者として、政治的にも絶大なる影響力をふるったテオ
ドール・モムゼン。カエサルに象徴される君主原理を高らかに礼賛する彼は、
共和原理の代表者としてのキケロへの暴言でむしろ知られる。今世紀のキケロ
研究が、ヨーロッパ中にふきあれた「モムゼン・ショック」からの復興にその
努力の多くを費やさなければならなかったほど、キケロ殺しとしてのモムゼン
の影響は甚大だった。
 ヴィンケルマンにはじまり、モムゼンをその代弁者のひとりとする、ドイツ
近代の「ノイ・フマニスムス」(新しいヒューマニズム)は、当然の事ながら
「古いヒューマニズム」(ヨーロッパ近代のヒューマニズム)と自らを画する
ものと主張した。「ノイ・フマニスムス」がいかなるものかといえば、「古い
ヒューマニズム」が弁論・修辞に彩られる古代ローマを想定するのに対して、
「ノイ・フマニスムス」の方はもっぱら詩的な古代ギリシャを想定する。前者
が言葉の、現実社会での働きを重視せざるを得ないのに対して、後者はあらゆ
る表現手段・表現媒体を越えた(つまり言葉も現実社会も超えた)ところへと
抜け出てしまう。その意味で「ノイ・フマニスムス」は、近代ヒューマニズム
の「超剋」に他ならなかった。そしてこれは、ナチスが敗北するまでドイツを
中心地に広範な影響力を行使し得たのである。
 そしてその近代ヒューマニズムこそ、キケロ的雄弁の伝統の上にあるものに
他ならない。ヴィンケルマンらが発見したギリシャ詩人の「高貴な素朴さ」か
らすれば、キケロの修辞など悪しき技巧にすぎないというわけだ。彼らは、弁
論家キケロに、そして社会で他人と生きなければならない人間に、何故「言葉
を弄すること」が必要かを理解しなかった。
 そして近代ドイツの風下に立っていた日本である。ある調査によれば、ほと
んどの旧制中学の図書館目録にモムゼンの書はいくらも見えるのに、キケロの
ヨーロッパ語訳すら見出すことは困難だったという。



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