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           読 書 猿   Reading Monkey
            第93号 (本のシンプルライフ号)
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■■寺田寅彦『寺田寅彦随筆集』(岩波文庫)===============■amazon.co.jp

 本を、何千冊とか何万冊とか持ってる人間はバカではないか。スライド書棚の
広告に出てくる、愛用者の本棚の中身を見るにつけ、そういった考えを禁じ得な
い。
そういう友人のひとりの屋号をとって、蔵書量についての単位を考えたことがあ
る。

 ラクイン(lakuin,La)
 本の(特に蔵書の)国際単位。

 「蔵書」は誰のものでも多かれ少なかれ増殖する性質を持っている。ものの数
が倍の数になるまでの時間を「倍増期」と呼ぶが(放射能などでいう「半減期」
の反対である)、単位ラクインは本の冊数を倍増期で除した無次元数である。い
わば蔵書の強度のようなものを表す。
 ちなみにラット一匹を死に至らしめる放射能の量を1ラドという。
 単位ラクインを考案中に発見された法則等に以下のものがある。

 ラクインの法則    「本棚を組み立てると、必ず蔵書は入りきらない」
 ラクインの法則発展形 「広い部屋に引っ越しても、必ず物は入りきらない」

 ラクインの原理    「論文や本を送って貰ったら、読んでも読まなくても
             とにかくすぐ礼状だけは書け」。
             これは「送って貰った論文や本を実際に読むかどう
             かの確率は、送られてきた時からの時間の経過に反
             比例する」という法則に則ったもの。

 しかし、実際のところ、そんな蔵書をすべてうっちゃって、『寺田寅彦随筆
集』5冊かぎりを手元に置く、そんな生活を夢想しない読書家がいるだろうか
(全集ほどかさばらないし)。
 久方ぶりに読み返すと、大好きな科学随想だけでなく、高知に旅したせいか、
今まであまり気のとまらなかった「花物語」なんかがしみるように読めた。


■■アファナーシエフ『ロシア民話集』(岩波文庫)===========■amazon.co.jp

 岩波文庫のは抄訳なのが残念。全訳は中村白葉の古典的名訳の復刻が思潮社
から出ている。
 グリムには「ハレおばさん」という魔女が出てくるが、ロシアではこれに当
たるのが「ヤガーおばさん」というキャラクターである。両方ともあちこちの
話によく登場するのだが、キャラクター的にはヤガーおばさんの方に軍配があ
がる。

「骨の一本足のヤガーおばさんは大急ぎで石臼にとびのると、杵で漕ぎ、箒で
あとを消しながら追いかけ」てくるのである。

 岩波文庫のはロマン・ヤコブソンの解説付き。これをサービスと見るか、嫌
味と見るかは人によって分かれるだろうが。
 訳にもくふうがみられる。
 そういえば、プロップという昔話の構造分析の先駆者がいるが、彼の分析の
素材は全部このアファナーシエフの集めたものに負っている(とレヴィ=スト
ロースが言っていた)。 


■■新田博衞『気ままにエステチックス』(勁草書房)==========■amazon.co.jp

 元はあの『理想』の匿名コラム。「竹林子」だの「葵」だの、世のはかなむよ
うな、吹き出さずにはおれない筆名(ペンネーム)の由来が、コラミストの正体
とともに明らかにされる(親をうらみそうになる、このどうしようもないタイト
ルとともに!)。このヒトこそ、「大原野のソクラテス」(というあまりに京都
ローカルなリングネームを編集子から勧められたが、丁重に断ったそうだ)こ
と、新田博衞だったのである。
 同じ哲学者エッセイでも、土屋賢二や池田晶子あたりを楽しめるヒトにはお勧
めしない。タバコはオトナになってから。


■■柴田治三郎編訳『モーツアルトの手紙(上・下)』(岩波文庫)====■amazon.co.jp

 放っておいて虫歯がひどくなったので歯医者に通った。完全予約制ではないの
で、何日の何時頃という予約である。この「頃」が困る。
 待合室に入ったところですぐに呼ばれる時もあれば、少し待つときもある。先
日、少し時間がありそうなので、待ち時間をつぶすために、歯医者の目の前に
あった古本屋に寄ったら、『モーツアルトの手紙』があったので買った。どうで
もいいことだが、編訳者の柴田治三郎はキルケゴールやウイリアム・ジェームズ
やデカルトなんかを訳している人だ。
 でも、幼いアマデウスの書簡のいくつも読まないうちに、すぐに呼び出された
ので治療室に入った。ここの治療室にはいつもクラシックが流れているが、この
とき結構なボリュームで流れていたのが、リムスキー・コルサコフの『シェーラ
ザード』であった。嵐で船が難破するシーンなんかで思い切り歯をがりがり削ら
れるっていうのは、これはこれでなかなか乙なものである。


■■岸田秀『ものぐさ精神分析(改版)』(中公文庫)==========■amazon.co.jp

 岸田秀というのはまたえらくモノを知らないヒトだが、そのことが「唯幻論」
(みんな幻想だ)に対する「唯脳論」の優位を決定的にしてしまったのだとした
ら、あまりにやるせないことである。養老猛の「教養」の比較優位なんて、ただ
無難なエッセイが書ける程度のことでしかない(それにしても岸田秀のはひどい
が)。マトモなヒトからは高い「お布施」をとり、そうじゃないヒトは自分の病
院に放り込んでいた「脳内革命」のお医者さんを加えて、「思い込み三羽ガラ
ス」と並べると、どれも「本を読んで気が楽になりました」なんてヒトはいそう
だが、どうあがいても3人の内で一番救われて無さそうなのが岸田秀である。
 そこで岸田秀の本の帯に使えるようなコピーを考えた。どの「唯幻論」でもイ
ケる。万が一、著作集など出ることがあったなら(しかしまあ山本七平でも出る
んだからねえ)なおよし。

「無理があっても信じろ!」


■■松任谷由実『ルージュの伝言』(角川文庫)=============■amazon.co.jp

 この中で、松任谷由実というヒトは、覚醒剤にはまるのは、好奇心が欠如して
る証拠だ、と言っている。


■■寺山修司『書を捨てよ,町へ出よう』(角川書店)===========■amazon.co.jp

 さて、この言葉(「書を捨てよ,町へ出よう」)は古来さまざまな仕方で理解
されてきた。

・たわいのない現状追認「本なんか読まなくっても、町へ繰り出せば、お金なん
 かちょっとでフワフワ」
・「我々に欠けているのは、もはや『市街戦』の体験だけだ」
・「アカデミックなトリビアリズムなど、無関心のひとつのバリエーションにす
  ぎない」
・「もはや書斎や象牙の塔にとじこもっている時ではないのだ」
・「書物と町は、すり合わすことができぬほどかけ離れてる」
・「我々はむしろ世間(世界)という書物を読まなくてはならない」
・「捨てるような書物を、ぼくらは一度だって持ったことがあるだろうか?」
・「書物のことばで語るのをやめ、町の言葉で話をしよう」
・「泣かないわ、おしゃれをしよう」
・たわいのない現地調達のススメ「本は町へ出て買え」


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