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           読 書 猿   Reading Monkey
            第92号 (ほいちょビーグル号)
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■■淀川長治『淀川長治映画塾』(講談社文庫)=============■amazon.co.jp

 武藤康史はかつて、『私の映画教室』(新潮文庫)を読むとき彼の口調を耳の
奥底でよみがえらせることのできるわれわれは、歴史的にも稀な幸福者である、
と書いた。そうして本当にそういう時代が来てしまった。厳密には彼の著作でな
いこの本をとりあげるのはそういった訳である。この書は、90年代初頭、つま
りは彼の最晩年に神田のアテネ・フランセで開かれた「淀川長治映画塾」の講演
録である。その録音テープを、彼のあのナラティブをなんとか忠実に活字におこ
そうとしたもの、と評価したい。二度と再び、彼の口調を耳にすることはかなわ
ないからだ。

>  その次、パール・ホワイトの『鉄の爪(アイアン・クロー)』が来た。これで
> やっと私は映画がわかるようになりました。これを観たのが8歳ですが、8歳で
> やっと分かってきた。『鉄の爪』、観ました。連続活劇がただただ、ただただ活
> 劇じゃなかった。パテの連続活劇は美人をたくさん使って、ストーリーはみんな
> 運命的なものが多かった。「アイアン・クロウって何、兄さん」「アイアンは
> 鉄、クロウは爪」「そうか」というので、アイアン・クロウ、アイアン・クロウ
> と私言ったこと憶えています。
>  これは大金持ちの家、お父さんとお母さん、生まれたての赤ちゃん。それが
> パール・ホワイト。ところが、そこにいる家付きの医者が主人のいない間に奥さ
> んを犯しちゃって、奥さんに「あんたを犯したから亭主に言うよ」と言って、奥
> さんの指輪、奥さんのネックレス、奥さんの小遣い、どんどんとっていったんで
> すね。しまいに奥さん元気なくなった。主人が聞いた。
> 「おまえ、どうしたんだ、どうしたんだ」
> 「実はこれこれで、私はあの人にカネを払わねばならないんです」
>  びっくりした。そんなことがあったのかというんで、弁護士を呼んできた。そ
> この主人は仲間を二人呼んできて、三人で地下室に引っ張り込んで、その男の顔
> に焼きごてでジグザグの傷をつけた。おれの妻を犯した、おまけにゆすりをして
> いる。それだけでない、右手の先を斧で切っちゃった。放り出した。その男は死
> なないで、復讐してやる、絶対復讐してやる、絶対復讐してやるといってやがて
> 10年たちました。そんなのが昔、連続活劇だった。
>  その男がここに鉄の爪を付けた。そして必ずあの娘をやっちゃう。その娘がや
> がて18歳になりました。きっとあの娘の顔にジグザグつけて腕も切ってやる。
> それが鉄の爪の怖い怖い話で、パール・ホワイトがその娘。はーっとびっくりし
> ました。危機一髪、危機一髪に青年が助けてくれる。マスク付けた青年。スマイ
> リングマスク、笑いの面つけてる。見たらおかしい。おかしいけど危機一髪で助
> けてくれる。
> (中略)
>  そういうわけでパール・ホワイト、パール・ホワイト、もう夢中になった。私
> はそのころ小学校2年生、3年生、もう夢中で夢中で、喜んで観たら、ぼくの学
> 校の教室の生徒も、みんな下町の子だからみんな連続活劇観てる。みんながぼく
> を運動場に連れていって、「連続活劇ごっこしようか」「しよう、しよう」と
> 言って、ぼくは悪漢になろうと思ったら、「あんたは悪漢になれない、あんたは
> パール・ホワイトだ」言われて(笑)、ぼくは学校の4つの柱にくくりつけられ
> た(笑)。そして「何か言え」。サイレントだから何も言えないの。弁士が言っ
> たでしょう。ぼくはしょうがないから「あれえー、あれえー、あれえー」と言っ
> たら、そこへ学友が相手役になって、ぱっと助けてくれる。敵は逃げる、撃ち合
> いする、なんていう、そんな遊びばっかりしとって、ぼくのあだなはパール・ホ
> ワイト。学校でもそういうことになった。
>  けれども、私がパール・ホワイトいう名前を恥ずかしいなと思ったら大間違い
> で、ずーっとのちですけど、あのフランスの有名な監督のジャン・ルノワール、
> あの人の小学校時代のあだ名がパール・ホワイト(笑)。だからよかったなあと
> 思って。そのぐらいパール・ホワイトはみんなのあこがれの的でした。

全編600ページがこんな感じなのである。


■■『ファインマン物理学(全5巻)』(岩波書店)===========■amazon.co.jp

 これまたナラティブな書物。ファインマン先生の、わくわくする語り口、スジ
の運びを、控えめに押さえた翻訳がよくフォローしてる。カルフォルニア工科大
学で1961年から62年にかけて行われた物理学入門講義を教科書にしたものだが、
一年生をどうにも退屈させてしまういままでの入門講義を大改造すべく、ファイ
ンマンは最初から飛ばしてくる。最も優秀な学生に合わせたというその講義は、
かなりハイブローかつハイテンションだが、名調子にだまされてハイスクールの
生徒でも読める(読み通せるかどうかは怪しいが)。
 さて、2年連続の講義のちょうど1年目が終る年度末講義。翻訳ではちょうど
2巻の最後だが、ファインマン先生はちょっとした謎をかける。異星人が握手を
するにはどうすればいいか。なんとか握手の習慣を教えられたとして、どうやっ
てミギとヒダリを伝えるか。さまざまな検討の結果、量子力学における対称性の
破れに注目する。異星人にも物理学者がいれば、それでミギとヒダリを伝えられ
る。しかし、反物質でできた異星人なら、対称の破れも反対になる。もし彼が左
手を差し出すなら、気をつけろ。手を触れた途端、大爆発する!
 ところで、どうして宇宙には対称性のやぶれがあるのだろう。神様がこの宇宙
を作ったのなら、宇宙は完全のはずではないのだろうか(すなわち対称的にでき
ているはずでは)。そこで話は、日光の東照宮へ飛ぶ。やあ、これは見事な彫り
物。しかし、あそこだけ彫り物が反対になっているが、さて。ガイドさんが得意
げに、教えてくれる。どうです、見事なたくみの技でしょう。あまりにも見事な
この仕事、神様が人の技に嫉妬しないように、わざとああして逆さに掘ってある
んですよ。なるほど!この宇宙も、人が神の技に嫉妬しないように、わざと対称
性がくずしてあるのにちがいない!では、これで今年の授業を終了する。


■■吉田戦車・川崎ぶら『たのもしき日本語』(角川書店)======■amazon.co.jp

ニホンゴについての、清新にして忌憚のない省察。

> ちんちん/
> 戦車:「ち」は「ちんちん」で、語り合ってみないか。
> ぶら:「ちんちん」について口頭で語り合うという意味なら大いに結構だ。
>    「ちんちん」というのは幼児語だが、立派に日本語の幼児語だからな。
> 戦車:やっぱり幼児語だろうか。
> ぶら:幼児語に特有な繰り返し音だしな。ぶーぶ、わんわん、ぽんぽん、など
>    と言うがごとしさ。
> 戦車:なるほどな。確かに母親が子供を風呂に入れながら、「ちゃんとチンポコ
>    洗いなさいよ」とは、いや、言う場合もある気がするな。
> ぶら:地域や日常の言葉遣いによってはな。ただ下品だろう。「ちんちん」と幼
>    児語的にしただけで、上品なご家庭でも安心してお遣い頂ける語になるの
>    さ。「珍宝」と言えばいくらか上品な感じになるかも知らんが、「珍棒」
>    ではいかんという気がするのさ。
> 戦車:なるほど。いずれにせよ「ちんちん」というのは、新しい言い方に思える
>    な。
> ぶら:音としてはあったかも知らんが、幼児語または上品語としては新顔だろう
>    と俺は思う。しかし、少し前だが、幼児語版女性器名に適当なものがない
>    ということが埼玉県の教育委員会だかで問題になったというニュースがあ
>    ったろう。その時点での結論としては「女子もオチンチンで統一しよう」
>    ということだったが、どうにも違和感が拭えないよ。確かに「オマンコ」
>    には性交の意味もあり都合がわるいのだろうが。
> (「たのもしき日本語」p52-53)


■■井上正蔵『人生の知恵XI マルクスの言葉』(彌生書房)======■amazon.co.jp

 エラスムスではないが「抜き書き」集を作っていたことがある。本や何かで気
に入ったフレーズが見つかれば抜き出しておくだけのことだが、そんなのが昔は
「一人前」になるための必須の学習だった。ペンを執り、壇上に立つ人は、あら
ゆる場合に役立つTopicsの豊富な蓄積がなくてはならない。自然、自家用のセン
テンス(金言集)をつくるため、ペンを手に書物を読むことになる。エラスムス
の『格言集』Adagiaや、モンティーニュの『エセエ』だって、そんな風にでき
た。

 今では「抜き書き」は作るものでなく、本屋で買ってくるものらしい。
 彌生書房のこの「人生の知恵」シリーズは、なんというかヘンテコだ。ヘッセ
やシェイクスピア、サン=テクジュペリあたりは順当なところだが(もちろんそ
れぞれの著者の著作からフレーズを拾って編んであるのである)、「10 パス
カルの言葉」と「12 ハイネの言葉」の間にこんなのが挟み込んである。
 編者がドイツ文学者であるためか、哄笑を誘うようなマルクスの毒舌があまり
収録されていない(いずれ「猿」にも登場しよう)。友人のひとりは、彼から悪
口の言い方を学んだと言うのだが。


「世界史の最後の形態は、喜劇である。ギリシャの神々は、すでに一度、アイス
キュロスの『縛られたプロメテウス』のなかで、傷ついて悲劇的に死んだので
あったが、ルキアノスの『対話』のなかで、もう一度、喜劇的に死ななければな
らなかった。このような歴史の筋道は、どうしておこるのか。それは、人類が人
類の過去と明るく別れるためである」
(『ヘーゲル法哲学批判』叙説)

「人間は、一度徹底的に体験したものに、記念のしるしをあたえたくなります。
詩は、行動のために失った場所を、感情の中で取り戻そうとするものです」
(1837年11月10日 父宛の手紙)

「ギリシア人の芸術が未発達の社会段階から生まれて来ながら、なお現代のわれ
われにたいして魅力を与えるのは、それは少しも矛盾ではない。魅力はむしろ、
芸術がそこで発生し、かつ、そこでのみ発生することができた未成熟な社会的諸
条件が二度と再びやって来ないということと、分かちがたく結びついている」
(『経済学批判への叙説』)

 「ぼくは、そのうえ信じています。どんなに小さくとも、公然たる実践という
ものは、すべての人をかぎりなく元気づける、ということを」
(1847年10年26日 ヘルヴェーク宛の手紙)



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