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           読 書 猿   Reading Monkey
            第94号 (ぽけっとりふぁれんす号)
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■■中村堅太郎『長崎けんみん信組の新航路』(ダイヤモンド社)======■amazon.co.jp

 九州は佐世保にとある信用組合がある。
 富裕客や商工業者相手の営業をやめ、不動産担保の貸付をやめ、信組の目玉商
品である定期積立をやめ、その一方で、超低金利のこのご時世に普通預金で4%
の利率を出し、金融機関なら普通手を出さない(それ故にサラ金のエジキになり
がちな)「生活者に対する小口貸付」に力を注ぐ。
 これを変わり種と思ってはいけない。もともと信用金庫、信用組合は、明治
33年の産業組合法の時代から、銀行が相手にせず、保証会社からも保証を受け
られないために、やむなく高利貸しから金を借りていた庶民のために作られたの
だ。この信用組合の変貌は、したがって正しい先祖がえりなのである。
 「けんみんはサラ金になった」と後ろ指を指されながら、めざしてきたのは逆
に多重債務者を立ち直らせ、悪徳サラ金を駆逐することだ。けんみん信組のお客
さんは、銀行が相手にせず、保証会社からも保証を受けられないために、やむな
く高利貸しから金を借りて多重債務に陥っている人達である。けんみん信組は相
談を受けると、その人のすべての資産や負債をリストアップし、収入や生活費な
どの収支を弾き出し、ライフサイクルを検討し何年後にどれくらい金が必要かを
計算して、将来に渡って資産負債総額が将来どのようになるかをFP(ファイナ
ンシャル・プランニング)の手法も使ってシミュレーションして見せる。多重債
務者の多くが毎月をどうしのぐかに精一杯で、将来のことまで考えられないのだ
が、これでは返済への意欲も生じない。年利27%ほどであちこちから借りてい
る負債をまとめて借り直し金利負担を減らせばどうなるか、奥さんがパートとし
て月に3万円稼げればどれだけ違いが出るのか、これなら私立大学は無理でも国
公立なら子供を大学へ入れられそうだ、と財政面からその人の生活を診断し、無
理のない返済計画の案を示し、時には借金苦で諦めていた希望が決して不可能で
はないと「これなら頑張って10年で返そう」と返済への意欲を芽生えさせる。
 FP(ファイナンシャル・プランニング)は、日本ではバブル期にお金持ちの
資産運用の手法として導入されたが、ここでは豊かならざる人々のマイナスの資
産(負債)をなんとかするため、いわば処方箋を書くための技法として用いられ
ている。そして「投薬」としてけんみん信組は年利12%のローンが用意してい
る。多くの消費者金融と比べればマシでも、決して低いとはいえないこの金利に
は、生活再建のためのコンサルタント料が含まれていると考えられる。またこれ
により、この低金利時代にけんみん信組は普通預金で4〜5%という高利率を維
持してる。
 主幹産業が廃れ高齢者率が高く人口も少ない地域で取組まれるけんみん信組の
この取組みは、いくつかの点で見るべき点がある。ひとつは、せっかくの地域の
人々の稼ぎが高金利によって地域外に吸い出されるのを防いでいること。また預
金の高金利によって、預金が地域外に流れること防いでいること。信用組合は営
業範囲が地域に限定され、もともと資金の地域循環を作ることと、銀行に相手し
てもらえない人々が高利貸しに苦しめられることを防ぐためにつくられたものだ
が、その本来の狙いをけんみん信組はこうして実現している。


■■小林多喜二『蟹工船』(岩波文庫、新潮文庫他)============■amazon.co.jp

 あの名作『天才バカボン』に出てくる決めセリフのひとつに「国会で青島幸夫
が決めたのだ」というのがある。今のよい子には何のことだかさっぱりだろう
が、彼は都知事になるまえには国会議員などもやっていて、その前には伝説の楽
団クレージーキャッツに歌詞の提供などもしていた。
 朝日新聞は、国歌には一番インターナショナルな日本の歌「上を向いて歩こ
う」を、と天声人語で提案していたが、これを受けて街宣車が本社屋をとりかこ
み「せっかく戦争をできるようにして、日本の自信喪失をマッチョにまぎらわそ
うとしてるのに、スキヤキ、スシ、テンプラとは何事か、この家畜人ヤプーめ」
というツッコミがあったということは聞かない。私はせっかくなら、「国会で青
島幸夫に決め」させて、「スーダラ節」ではなく「だまっておれについてこい」
あたりを採用すべきであったと思うのである。著作権という言語の牢獄のために
自由な引用は出来ないが、あの、「かねのなああいやつぁ、おれンとこへこぉ
い」とかいう奴である。まさに福祉国家ではないか。しかも「おれもなああいけ
ど、しんぱいすんな」と歌い上げるのである。

> 「アナタガタ、カネ、モッテナイ」
> 「うんうん、モッテナイ、モッテナイ」ノーマネーのしぐさ。
> 「アナタガタ、貧乏人」
> 「うんうん、貧乏人、そう!貧乏人」
> 「ダカラ、アナタガタ、プロレタリア。ワカル?」
> 「うんうん、ワカル、ワカル」
> ロシア人は金持ちの格好をしながらあたりを歩き出した。
> 「オカネモチ、アナタガタ、これする!」(ふんじぱる格好)
> 「オカネモチ、ダンダン、大きくなる」(おなかが大きくなる)
> 「ウウウウ・・」(みんなですすり泣き)
> 「あなたがた、何してもダメ。貧乏、貧乏。ドンゾコ・・・・わかる?」
> 「ウウウ、ワカル、ワカルよ、」(泣く)
> 「ソ、日本の国、ダメ。働く人、コレ」(ダメなポーズ)
> 「ウウウウ・・・」(泣く)
> 「働かない人、これ、エヘン、エヘン・・・・エバッテイマス。ワカリマス
> カ?」
> 「うんうん、よく分かる、よく分かるよ」
> 
>  しかしよくよく考えてみると、これが世に言う「赤化」というやつじゃない
> んだろうか、と彼らは思った。しかしそのわりにはばかに当たり前の事ばかり
> を云うし、何よりもグイ、グイと引き込まれる。
> 「わかる、ほんとう、わかる!」
> 
> 「働かないで、オカネモウケル人イル。プロレタリア、いつでも、コレね。こ
> れ、だめ!。プロレタリア、あなたがた、一人、二人、三人・・・・百人、千
> 人、五万人・・・十万人、みんな、みんなナカヨシ。強くなる。だれにも負け
> ない。大丈夫、大丈夫」
> 「ん!ん!」
> 「働かない人、逃げる。大丈夫、ほんとう。働く人、プロレタリア、威張る。
> プロレタリア働くの一番偉い。もしプロレタリアいない、みんなパン無い、み
> んな死ぬね。ワカル?」
> 「ん!ん!」
> 「日本、まだ、ダメ。ロシアの国、働く人ばかり。働かない人、威張ってない
> です。ロシア怖い国じゃないよ。ワカッテルノ?」
> 「んーんー。わかるよ。ワカル」
> ロシア人奇声をあげてダンスのような足踏みをした。

 なんど読んでもお腹が痛くなる(笑)。


■■桐島いつみ『私は主人公』全3巻(集英社ぶーけコミックス)======■amazon.co.jp

 私はもう自分の分は持っているのであるが、これの話をしたところ読みたいと
言う人がいたので、その人に送るために買ったのだが、それにしてもそうするこ
とがよかったのか悪かったのか、なかなかに悩む今日この頃である。


■■生物学御研究所編『那須の植物』(三省堂)==============■amazon.co.jp

>  コケイラン
>   Oreorchis patens (LINDLEY) LINDLEY
>  産 地:七重谷。
>   花 :6月2日に花があった。
> 
>  ツレサギソウ
>   Plantanthera japonica (THUNBERG) LINDLEY
>  産 地:西岩崎。
>   花 :6月23日に花を見た。
> 
>  マイサギソウ
>   Plantanthera neglecta SCHLECHTER
>  産 地:那須地方の所々にある。
>   花 :8月1日(つぼみ)から11日の間、14日・17日に花を見た。

 こういう淡泊な記述がいつまでも続く。なにしろ植物誌なのである。
 この書ができた経過は、これまた淡泊な序文に詳しい。

>  大正15年8月から、服部広太郎博士の指導のもと、生物学研究所の加藤四
> 郎・故真田浩男の両名の採集した那須の植物を、標本にすることを始めた。それ
> らは、故牧野富太郎博士に見てもらったりしたが、数も少なく、規模も小さかっ
> た。
>  昭和23、24年ごろから、だんだん力を入れて調査するようになり、採集し
> たものを、本田正次・木村有香・佐藤達夫・北村四郎・原寛の諸君に同定しても
> らったり、また諸君といっしょに野外で観察する機会にもめぐまれるようになっ
> た。
>  この本に扱ったのは、那須のうち西那須地方を含まない地域である。そこは植
> 物分布上おもしろい所であるのに、従来まとまった植物誌が無いことを思い、ま
> た上記の諸君もすすめてくれるので、専門家でもないし、まことに不備なもので
> はあるけれども出版することにした。
>  この著が植物学研究の資料になり、植物愛好者が一人でもふえ、また学生の植
> 物観察の際などにも、広く利用されるようになったら望外のしあわせである。
>  (中略)
>  この著の出版に非常に協力してくれた本田・木村・北村・原の四博士と佐藤君
> に対してはもとより、服部博士、加藤・故真田の両名、富山一郎博士をはじめ研
> 究所の人たち、採集に一方ならぬ協力をしてくれた川村文吾・秋元末吉の両名、
> 標本の同定に当たってくれた故牧野富太郎・大井次三郎・佐竹義輔・前川文夫の
> 諸博士、植生図の作成につとめてくれた国土地理院の院長はじめ同院の人々、三
> 省堂の社長はじめ社員、このほか、直接・間接に助けてくれた人たち、および関
> 係の宮内庁職員の労苦に対して、深い感謝の意を表する。
> 
>  昭和37年3月
>                            裕  仁
> 

 古本屋で300円だった。


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