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           読 書 猿   Reading Monkey
            第88号 (24時間の使い方号)
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■■武内元代『結び方大全』(池田書店)================■

 この「猿」にである、「今までで一番影響を受けた本は何ですか?」などと聞
いてくる人が居る。時にこんな愚問にも、丁寧に何冊かをあげつらう人もいる
が、そういうのが「人の道」というものかもしれないが、猿には通用しない。中
には「私はこのベストセラーを読みました」と云うかわりに、「××は私が今ま
でで一番影響を受けた本です」などと挨拶してくれる。さあ、そこでじっと動く
な、おれが今から『窓際のトットちゃん』の話をしてやる、といきまいてもしか
たがないが、だいたい本当に書物から影響を受けたような人間はめったにない。
そして大抵ろくなもんではない。
 まったく影響を受けた訳でない、実用一点張りのスバラシキ書物を紹介する。
 タイトル通りの内容である。目次を見ると、ほとんど詩のようだ。こま結び、
片なわ結び、もろわな結びから、淡路結び、鶴結び、梅結びに菊花結び、かのう
結び、あげまき結び、かけ帯結び、宝珠結び、とんぼかしら、シープ・シャン
ク、ショートニングパッシングスリーノット。基本から水引、装飾、引っ越し
用、キャンプ用、救急用の包帯、三角巾の結び方から昆布巻きから折れ松葉・結
び豆腐、茶巾ずし、和装用に帯の各種締め方からスカーフの巻き方、リボンの結
び方、園芸用のテコ結び、ごんぞう結び、筋交いしばり、手品のためのコインお
としや子供遊びの草相撲、あやとり、手首抜き、そして最後に紐やロープの束ね
方・片づけ方で締めている。


■■林真理子『着物の悦び』(新潮文庫)================■amazon.co.jp

 ほんとうにこの人は何をやっても大間違い。金にアカして何百万の着物をバカ
のように買うのだが、バカ丸だしというより、何か新興宗教にはまって何億とつ
ぎ込む(ほかにやることない、おもいつけない)成金ババアのよう。
 ときどき、この「バカで豪快な金遣いを見るとスッとする」という手取り16
万くらいのOLの人がいるが、ご用心ご用心。


■■『戦争論妄想論』(教育史料出版会)================■amazon.co.jp

 ゴーマニズムうんぬんたらいう本を楽しめるのは、勉強の出来ない奴かイジメ
られっ子くらいのものだというのが通説だったが、昨今の度重なる学力低下と、
一億総イジメ時代というので、自分のアタマをつかったこともなければ、自分で
本をさがしたこともない、意に添わない不当な取り扱いをされた経験だけはたっ
ぷりあって、我が身をかえりみればとても「人権」だと正気では口に出来ない、
だからまず「主権」が重要だ、くそくらえ、という連中がめずらしくないらしい。
 この本は8人かそこらの共著だが、及第点なのは、冒頭の宮台真司と、あと水
木しげるくらいだろう(それだけで用は足りるという意味だが)。もっとも、宮
台すら難しくって何言ってるのかわからない、という連中までいるというのだか
ら(字を読めないのと同じではないか)、類書のうちではマシな方だが、どれだ
け役に立つかはわからない(この本が読める奴なら、小林よしのりなんかおかし
くて読めないだろうから)。もっとも「保守はオトナの思想」といきまく、目玉
が自意識にしか向いてない幼稚な保守ばかりの国だからね。


■■プラトン『パイドン』(岩波文庫、他)================■amazon.co.jp

 ソクラテス最後の一日を描いた対話篇『パイドン』で、ソクラテスは「自分
が何で書いてしまったか」についてこう語っています。

 「ぼくがあれをつくったのは、彼(イソップ)や彼の作品と張り合おうとし
てではない。それが容易でないことぐらい、わかっているからね。ぼくはた
だ、ある夢の意味をたしかめてみようとしたまでなのだ。あの夢がぼくにたび
たび命じていたのが、もしこの種の文芸作品をつくることだったとしたら、ぼ
くはそれをつくって、責を果たそうとしたまでなのだ。
 あの夢というのは、こうだ。ぼくはこれまでの生涯に、たびたび同じ夢を見
た。そのときどきで姿形こそちがえ、言葉はいつも同じだった。
『ソクラテスよ、文芸作品をつくり、文芸に精進せよ』
と。

 以前は、この夢はぼくの今現にやっていることを勧めはげましてくれている
のだと、思っていた。この夢がぼくに文芸の制作を勧めるのは、ちょうど走者
(ランナー)に声援をおくる人々のように、ぼくが現にやっていることを激励
しているのだとね。哲学こそ最大の文芸であり、ぼくはそれをしていたのだか
ら。
 ところが、裁判が終わり、神の祭がぼくの死刑執行を妨げているいまになっ
て、ぼくはふと、思い付いたのだ。ひょっとしたら、夢がたびたびぼくに命じ
ていたのは、あの、ふつうの意味での文芸の制作だったのかもしれない、そう
であったのなら、それに背かないでつくらなければなるまい、夢の命じるまま
に詩をつくり、責を果たしてからこの世を去った方が、安全ではないかとね。

 こうして、ぼくはちょうどそのとき祭が行われていた神アポロンへの賛歌を
つくった。神の次にはイソップの物語を詩に作った。詩人は、もし真に詩人
(創作者)たらんとするならば、事実を語るのではなく物語を作るのでなけれ
ばならぬ、ということに気付いたのだ。同時に、ぼく自身は物語などつくれな
い、ということにもね。そこで、手近にあってよく知っている、イソップの物
語を、それも最初に思い付いたのを詩にしたという訳だよ」


 ソクラテスがこのように語るのをみて、いくつかの事に思い当たります。
 ひとつは、ポイエーテース(創作者・詩人)であるためには、「事実を語る
のではなく物語を作るのでなければならぬ」ことです。この点こそ、アリスト
テレスが、『詩学』の中で最も強調する点です。創作者・詩人のミメーシス
(模倣)が、「現実の出来事」「実際に起こった出来事」しか語らない歴史家
のそれに比して、「可能な出来事」「起こるであろう出来事」を描写するもの
であることが、創作者・詩人の仕事をより普遍的にして哲学的なもの(ここで
はこれは誉め言葉です)にしている、とアリストテレスは主張します。
 いま一つは、『パイドン』に登場するソクラテスは、物語を作りはしなかっ
たし(作ることもできなかったし)、また何のミメーシス(模倣)も行わなか
ったということです。『パイドン』の作者プラトンにすれば、師ソクラテスを
詩人なんぞにはさせないために、こんな下りを書いてみせたのかもしれませ
ん。
 創作者・詩人の仕事は、プラトンに言わせれば、なるほどイデアのコピーに
すぎないこの世界を、更にコピーする=ミメーシス(模倣)することにすぎま
せん。ですが実際は、ソクラテスがやったことは、そのミメーシス(コピーの
コピー)にすぎない「物語」を、さらにマネして(コピーして)、詩(韻文)
をでっち上げるといったことでした。
 ソクラテスは、「実際に起こった出来事」も「起こるであろう出来事」もミ
メーシス(模倣)することなく、ただ「すでに語られた物語」、しかも「誰も
が知っている物語」をなぞっただけです。これが「ふつうの意味での文芸の制
作」でしょうか(もっとも、「英語」で書かれた、現在知られる最も古い「文
学作品」は、キャドモンやキネウルフが書いた、聖書の挿話を韻文で書き改め
たものですが)。それとも、これは「ふつうの意味での文芸の制作=ミメーシ
ス(模倣)」に対する、ソクラテス的イロニーだとでもいうのでしょうか。


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