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           読 書 猿   Reading Monkey
            第87号 (鉄砲のリズム号)
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■■妹尾河童『トイレまんだら』(文芸春秋)===============■amazon.co.jp

 今日は日曜日、奥さんは友達とお出かけ、私は指が長い。
 パスタ・スケールのないわが家、出掛ける前に教わった親指と人差し指で丸を
つくるやり方で計る、沸騰した湯の中へ放り込む。
 私は指がとても長い。指と指の先を合わせては丸が大きくなりすぎる。第一関
節分、小さくしたのだ。ぴったり6分、ザルにあけると、パスタが妙に多い。皿
に盛ってみると、すごぶる多い。山盛りになって、まだザルに残ってる。
 レトルトのパスタソースはもちろん定量一人分。自分でこしらえる技能もやる
気も持ち合わせてはいない。今日は日曜日、さっき小荷物の配達を受け取ったが
寝間着のままである。
 分量2倍、味1/2のカルボナーラを平らげる。念のため、油分をからめ取る
とかいうキトサンを飲む。
 テーブルの近くに転がっていた『トイレまんだら』を拾い上げて読む。実は朝
から腹の調子が悪い、事態は時間の問題である。
 けらえいこの『いっしょにSuper』だったか、トイレに持ち込まれた本は、永久
にそこから出られないとかいうくだりがあった。幸いにしてか、わが家にそうい
う風習はない。
 時をかせぐため『トイレまんだら』を読む。ほら、ゴロゴロしてきた。事態は
時間の問題である。


■■キケロ「弁論家について」『キケロ選集7』収録(岩波書店)=====■amazon.co.jp

 キリスト教でも、ルネサンスでも、あるいはフランス革命でもいい、およそ
我々が「西洋」と呼ぶ文明を形成したムーブメントにあって、この大昔のローマ
人から直接にインスピレーションを得なかったものがあるだろうか。
 その死から何世紀経っても、十何世紀経っても、このローマ人は英国議会に現
れ、あるいは合衆国憲法を起草中のトマス・ジェファーソンの側らに立ってい
た。現在の「英語」制作者のひとりであるジョンソン博士は、しょっちゅうこの
ローマ人のセンセンスを真似して自分の言葉を鍛え上げていったし、エドモン
ド・バークに至ってはローマ人の文体を何とか盗もうとし、彼の弁論集を何度も
ひっくり返して読んだ。
 女をつくるはヘンな宗教にはまるはとさんざんな青年時代をおくっていた放蕩
者のアウグスティヌスは、このローマ人の書に触れて真人間となり、やがては聖
人にまでまつりあげられた。同じく聖ヒエロスムスは夢の中で、この共和制ロー
マ最大の弁論家と自ら信仰の源たるイエス・キリストとどっちを取るのかと迫ら
れ、「イエスです」と答えては「このウソツキ野郎」と神様にどなられる始末
だった。
 ルネサンスの口火を切ったペトラルカが骨の髄までこのローマ人にぞっこんで
あったのは周知の事実であり、この人文主義者(ユマニスト)たちの武器庫並び
に導きの星こそ、世界で最初にフマニテート(人間性)なる概念を提出したの
だった。
 長きに渡り、ほとんど「二流の哲学者」「結局、失敗した政治家」扱いをさ
れ、わずかの小品をのぞいて翻訳すらなかったキケロが、およそ2000年の時
を経てようやく姿を現した。キケロも知らず、したり顔で「西洋」を語り、
「ヒューマニズム」という誤訳のことばをもちあげ/こきおろし、あまつさえ
「知」を語ってきた、およそそれとは別のところで「文章の書き方」ばかりが量
産され、レトリックというものにマトモに取り組んでこなかった過ちを知るとよ
い。どんなカタカナ言葉を振り回すよりもまず、De oratore(弁論家について)
を手にいれること。
 なお、原著は史上最高の名文家(もともとこの言葉は彼のためにあったのだ
が)の手によるものだが、翻訳はその形跡もない。おしむらくは、日本語がかけ
る人がいるうちに訳されるべきだった。大損失。


■■『すてきなあなたに』(暮らしの手帖社)===============■amazon.co.jp

 雑誌「暮らしの手帖」に連載したものの単行本。
 短い文が、旅の話、洋服の話、料理の話、思い出の話、手紙の話、……となら
んでいる。
 どうということはないのだが、いつ読んでもおもしろい。ひょっとすると、余
裕がないと受け取れない「きわどさ」であっても、どうということなく(人をあ
おったりせかしたりすることなく)置かれているせいかもしれないと思う(本屋
に並ぶ本たちは皆口々に「こうすべきだ!」と叫んでいる)。たとえば、

> お変わりなくて
> 
>  大阪へ行ったおり、むかしお世話になった方を、おたずねいたしました。
>  先生はもう、八十代をなかばすぎられましたが、なお本を愛され、その日も書
> 籍のなかにうずまって、研究をつづけておられました。
>  久し振りのご挨拶に、私は、「お元気で、なによりでございます」と申しまし
> た。すると先生は笑顔のまま、
> 「私のように年をとったものにとって『お元気でなにより』といわれるのは、こ
> の年になると、元気でいるのは珍しい、というように聞こえるし、ほんとうのと
> ころ、そう元気でもない、だから、そういう挨拶は、なにか通り一ぺんお言葉の
> ように聞こえます。としよりには、『お変わりなくて』ということばの方がうれ
> しい。
>  年よりは、変わらないことはないのです。一年一年変わっていて、それがハタ
> で思うよりは、ずっと気になっている、ですから『お変わりない』といわれると
> ふっと安心するのですね」
> と、おだやかに、おっしゃいました。
>  私は、帰りの車中で、「お変わりなくて」とつぶやいてみました。一つ、いい
> 言葉を、新しく知ったような気がしました。


■■幸田露伴「番茶會談」『露伴全集10』収録(岩波書店)========■

 「実業少年」という子供向けビジネス雑誌に明治44年、露伴が連載したも
の。のほほんとした強力(ごうりき)ぶりに目を見張る。
 当時、少しでも見どころのある少年は、安定を求めて公務員になろう、大企業
に入って終身雇用でぼったくろうなどと思ったりせず、必ずや自ら事業を興して
成功してやらう、三井、岩崎が何する者ぞ、と心を決めているのだった。子供向
けビジネス雑誌といっても、今のサラリーマンくずれが読むものよりずっと気が
利いてる。
 というわけで、作中に登場する少年たちは、正体はよくわからないがとにかく
物のわかったおじさんを尋ねる。それまでにカード式の知的生産の技術や、その
うち軍事利用されるだろう飛行機の簡易撃退法や、加藤清正のごとく紀伊国屋文
左衛門のごとくハダカ一貫からのし上がることは現在でも可能かなどと論じてい
る。おじさんはまず、人に使われず独立独行で身を立てる術がいかに多いかを説
き、さらには今後世に打って出るであろう少年たちに、未だ誰もやったことはな
いができればすごぶる世のためになるいくつもの事業を提示するのである。
 雑誌連載時には「滑稽 御手製未来記」と題されたように、「未来は諸君の手
製次第」と毛沢東のようなことをいって、まず「亜鉛精錬のできない意気地無
さ」を説き、電力の無線輸送から、駅自体を平行して走らせ汽車の速度を落とさ
せぬ法がいかに速度と燃料のムダを省くかを説き、無公害の「圧縮空気自動車」
を提案し、「政府も塩など煙草など売るくらいなら、空気でも売ればいいのに、
わはは」と宣い、あちこちに空気工場を作って店で圧縮空気を小売りすれば、冷
房にも使える旨を説く。ついでに「生水はカラダによくない」というくせに生空
気を平気で吸わせてる現在衛生学を笑い、「アスハルトで道路を拵えた利口気な
紐育の人民が、おのれが似而非知識の応用からでた酬いとして、アスハルトの放
射する熱のために年々何十何百人づつ火に焼けた川原へ跳ね上がった阿諛みたい
に焦げて死ぬなどは二十世紀的で、イヤハヤ感服なものだと云いたいですナ」と
こき下ろすのも忘れない。
 はたまた24時間経営の銀行がいかに商業を活性化するかと説明するかと思う
と、税金を払って警察に泥棒をつかまえさせるなら、最初から盗難保険を経営し
てその保険料で警備をさせたほうが、保険金支払いを減じようとしてしっかり警
備するだろうとインセンティブ論に花を咲かせる。社会分業の重要性と、それを
妨げる日本人の悪根性を説いて、最後に養鶏場で、鶏をダメにするブロイラーな
る鶏監獄方式ではなく、日本人一人に、一日一個タマゴを食わし、一月一度肉を
食わせる品種改良と分業生産の算段をくわしく計算してみせるのである。
「実はいやに思うほど日本人はわうじゃくな青しよぼたれた容子をして居ます
が、芋や蒟蒻ばかり食べて居るのでは無理も無い事だと情けなくなります。せめ
て日本人全体に鶏卵一個位づつは毎日食べさせたいとは御思ひになりませんです
か。」
「それは一個どころでは有りません、十個位づつも食べさせてやりたいと思ひま
す。」
「併し日本人の数を仮に五千万人とすると、日に鶏卵一個づつで五千万個、一年
では百八十二億五千万個になりますよ。牝鶏の産卵の数の多い良種で、そして産
卵の最盛期でも一年に二百個を得るのはむづかしいのです。ましてや凡鶏で最盛
期でも無いものを勘定にいれると、一羽で一年に百個さへおぼつかないのです。
仮に百個としても一億八千万羽の牝鶏がなければそれだけの卵は得られないので
す」
「大層なものですナア。」
「鶏卵一個、小売相場三銭だなんぞといふ馬鹿げた高値で勘定すると、日本人が
日に一個づつ鶏卵を食べると一年に五億四千七百万円食べる訳になりますが、今
の日本人が一年に五億円からの金高を、栄養をとってはおまじない同様しか効も
無さそうな、日にたった一個の鶏卵のために使用し得るだろうかどうだか、考へ
て御覧なさい」
ガリガリ数字で押してくるおじさん。さては、どんな妙案が飛び出すか、ぜひ御
覧あれ。
 こういう少年文学はもはや日の目を見ないのでありましょうか。



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