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           読 書 猿   Reading Monkey
            第81号 (4月階段号)
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■■水木しげる『(図説)日本妖怪大全』(講談社+α文庫)========■amazon.co.jp

 数理権利論だの、実験経済学だの、公共選択論だの、NPM(New Public
Manegement)だの、メカニカル・デザインだの、オヤジ臭い話ばかりの毎日が
続いて、何やら気持ちがささくれだしてきた。おまけに桂枝雀はいなくなるし
で、まったく最近つかれやすい。本なんか読みたくない。本なんか読みたくな
いったら。
 本棚からぼんやり引き抜くと水木しげるである。『日本妖怪大全』である。
登載された妖怪は400を軽く越している。当然すべてが水木しげるの絵と文
章つき。たまらない。当然すべてが妖怪である。これは効く。
 たまたま最初に開いたのは167ページであった。しおりが挟んである。

> 金魚の幽霊
> 
>  縄で縛られた「藻の花」という女性が、金魚鉢に頭をつっこまれて殺されて
> いた。その恨みが金魚鉢の金魚に乗りうつって金魚の幽霊と化し、殺した簑文
> 太(ものもんた)という男とその女を襲うという話が江戸時代にある。
>  怨恨が金魚に乗りうつるというのもおもしろいアイデアだが、よく考えてみ
> るとそんなこともあるのかもしれない。
>  よく戦争中に思ったものだが、はなばなしくみんなといっしょに死ぬのなら
> まだしも、だれも見ていないところで、ただ一人死ぬのはなんともやりきれな
> いもので、その恨みともいうべきものは、息を引きとるとき枕にしている石と
> か草に乗りうつる、または乗りうつりたいという衝動にかられる。
>  前期の「藻の花」という女性が、しばられて金魚鉢に頭を突っ込んで殺され
> るという場合、その金魚鉢の中の水に溶けた恨みが、金魚に乗りうつるという
> のは考えられないことではない。
>  ぼくは招かれて“霊会”に行ったことがあったが、そのとき“先生”たち
> は、
> 「木や虫にも霊があり、死後空中に浮遊しておるから人の霊にまじって、それ
> こそ数え切れないほどいる」という話だった。
> 「そうすると、先生、われわれが寝ているときとか、なにか内密なことをして
> いるときでも、祖先の霊たちにまじって、さまざまな霊たちもじっと見ている
> のですか」というと、“先生”は、
> 「そうですね、そういうことになりますね」という話だった。
>  そういうさまざまな霊などでも、特別な人には見えるという話だった。

 この妖怪にして、この話(ネタ)にして、この文章。しかも誰でも知ってる
あの絵である。
 煩悩がピタピタとおさまる。「いやし」なんてくそくらえ。


■■『孫子』(岩波文庫 他)======================■amazon.co.jp

 SHAMBHALA POCKET CLASSICSという7.5×11.5センチの小さい、そして
真っ黒な表紙の、怪しげなシリーズがあって、それの「I CHING」を買った。
「易経」の英訳である。なんか、アチラの東洋かぶれのオニイサンたちが、肌
身離さず携帯するのに便利な格好で、まあ「易経」は占いの本だし、あとコイ
ン3枚さえあればいいんだから、どこでもいつでも、ってのに向いているのか
も知れない。世の中に偶然なんかないはずの知り合いのスピノティスト(スピ
ノザ主義者)も、以前バイト先の塾の講師控え室でコインを投げ、受験生の行
く末を占っていたことがある。
 シリーズだから、他にもラインナップに上がっている本があって、「チベッ
トの死者の書」とか「老子」(西洋の東洋かぶれのオニイサンたちは、どうい
う訳か「荘子」より「老子」を好む。「荘子」の方がどう考えてもおもしろい
のだが)。あとTHE BOOK OF FIVE RINGS、いわずとしれた「五輪書」である。

このシリーズの一冊に、THE ART OF WARというのがあって、これが何を隠そう
「孫子」なのである。「孫子」なんて、日本ではビジネス書だが(笑)、向こ
うではちゃんと「東洋の神秘」なのだった。

 「敵を知り、己を知らば」ウンタラと、当たり前のことしか書いてないよう
に見える「孫子」だが(子供の頃読んでそう思った)、へんなところもけっこ
うある。たとえば、「度(単位)は量を生じ、量は数を生じ、数は称(秤、比
較すること)を生じ、称は勝を生ず」などは、戦術の数値分析を述べているだ
けであるかのように見えて、古代中国で単位は、同じ音を出す笛の長さで定ま
ることを思い出すなら、そのコスモロジーを背景に「楽理」と「戦争術」の関
係が出てくる。そして「楽」と「礼」は対をなす概念であり、楽は人を同調さ
せ、礼は人を差別させ、楽は親和を、礼は畏敬を司り、大楽は天地と調和を同
じくし、大礼は天地と節度を同じくする。すなわち楽とは天地の調和であり、
礼とは天地の序列であるから、「宇宙論」と結びついた「政治学」が、一つの
笛の音を通じて、もういちど「戦争術」へと接続する。クラウゼウィッツは
「戦争は異なった手段をもってする政治の継続にほかならない」といったが、
まるで違ったレベルで「孫子」は、戦争のART(技芸=技術・芸術)を語り、
しっかり「東洋」している。


■■Peter Tse,KANSAI JAPANESE,Tattle Language Library=========■amazon.co.jp

セクション6のタイトルは「TOUGH TALK AND KANSAI CURSES」である。
以下、w:(うえすたんじゃぱにーず)、e:(いーすたんじゃぱにーず)、
その下が原文である。

w:Sukantako! (スカンタコ!)
e:Iya na hito. (イヤナヒト)

What a creep.(ファッタクリープ)


w:Aitsu honma suke-komashi ya no. Maiban chau onna to netoru.
e:Aitsu wa honto ni suke-komashi da na. Maiban chigau onna to
neteyagaru.

He's a real womanizer. He sleeps with a different girl every damn
night.


 表紙には「A comprehensive and colorful guide to the dialects of
western Japan. This is the only linguistic road map for life and
travel in Kansai---don't go west without it.」とある。
 お勧めはしない。


■■アリストテレス「問題集」『アリストテレス全集 11』(岩波書店)===■amazon.co.jp

 大文字の哲学者アリストテレス(ヨーロッパ中世では、大文字でただ「テツ
ガクシャ」と書いてあれば、それはアリストテレスのことなのである)が、問
いをあげて、あーでもない、こーでもないと考える姿が悩ましい(ところが本
当は、偽書であるらしいのだ。つまり真の著者は、偽アリストテレスというこ
とになる)。もちろんジャンルは無制限ともいうくらい広く多岐に渡り、現在
では受験に必要のないものも含まれる。
 例えば

「人間だけが、鼻血を流すのは何故か?」
「何故に、シリウスが昇る頃に南風が吹くのか?」
「何故、ギリシャ人も蛮族も十進数を使うのか?」
「何故ディオニュソス祭礼の芸人たちは、たいていの場合、品性下劣なのか?」
「何故に泡は半球体をなしているのであるか?」
「交合している者や、死にかけている者は目が上方に見開いているのは何故か?」

最後の問いなどは、フロイトに先立つこと2000年以上も前に、エロスとタ
ナトスの問題をするどくえぐり出していると感心する向きもある(しかし大笑
いな問いである)。
 なお、今あげた問いの、それぞれの答えについては、頭をひねった後、この
書を参照されたし。


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