=== Reading Monkey =====================================================           読 書 猿   Reading Monkey             第49号 (あざらしのでぶちん号)========================================================================
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■■亀井勝一郎篇『世界教養全集別巻3 東西日記・書簡集』(平凡社)===■

>五月二十三日
>
> 八時に起きる。藤田高田二君からの葉書と金星会へ二戸の小田嶋孤舟からの
>歌が来た。
> “病院の窓”の筆を進めて62枚目。
> 昼頃、On the eve を読み終った。ツルゲーネフは矢張十九世紀の文豪で、予
>は遂に菊坂町の下宿に居て天下を狙って居る野心家であった。彼は死んだ人
>で、予は今現に生きている……
> 彼は小説をあまりに小説にし過ぎた。それがもし真の小説なら、予は小説で
>ないものを書こう。
> 予は昨晩彼と競走しようと思ったことをここに改めて取消す。余の競走者と
>しては、彼はあまりに古い。話上手だ、少し怠けた考えを持って居る。予は予
>の小説を書くべしだ。
>
>          +→失恋→涙→意気地なし→死。
>          ↑
>誕生→恋→熱烈な恋→+→結婚→+→善良なる夫→父→死。
>               ↓
>               +→夫婦喧嘩→意気地なし→死。
>
>これ(上図)は十九世紀までの小説に現われたる人の一生であるが、今はよほ
>ど変わった(下図参照)。
>
>
>        +→失恋→第二の恋→第三の恋→……死。
>        ↑
>   恋    ↑ 「わが心君を忘るる、天地
>誕生→恋 暴風→+→に家するしらぬ浪人といへ」→コスモポリタン→死。
>   恋    ↓ と歌う人
>   恋    ↓
>        +→結婚→+→不安→苦悶→第二の恋→第三・第四→……死。
>        ↓    ↓
>        ↓    +→父→平凡なる悲劇の主人公→死。
>        ↓
>        +→生殖の機関→無意義→死。

(石川啄木 明治41年5月の日記より)

■■加藤将之『哲学者気質』(第一書房)=================■

 三部構成になっていて、第一部が「哲学者気質」。国籍だとか金銭、社交、
愛欲、晩年などテーマ別に哲学者の逸話が挙げてある。それなりに面白い。第
二部は「哲学者小説」。ウェルズ、デューラント、コレルス、ジイドなどが取
り上げられていて、それなりにいんちきだが、それなりに情報もある。が、圧
巻はやはり第三部、「逸話のカント(百話)」である。種本はヤハマンなどよ
く知られたものを使っているのだが、文章がいい。できれば朗読したいところ
だ。

 カントは旅行記が好きでよく読んだらしい。「その癖、彼は生涯一度もケー
ニヒスベルクの町から旅行に出たことがない。」

 助手「哲学と神学とを統合したいと思いますが、どんな本を読んだらよろし
いでしょうか?」
 カント「旅行記を読み給え!」
 助手「教義学には理解の出来ない事柄が出て参りますが。」
 カント「旅行記を読み給え!」
 ………………

 カントはきっちり屋だったし、健康にも気を配る「衛生家」だった。散歩も
一人でする。二人で歩くと話すことになって、これは肺によくない。

 「こういう「衛生家」に限って、医者を馬鹿にするものである。カントは、
生涯医者に脈をとらせなかったにもかかわらず、当時全欧州に大流行だったブ
ラウン・システムとかいうインチキ療法に随喜し、大の礼賛者となったから愉
快である。
 ブラウン・システムというのは、英国のブラウンという医者が、病気には何
でも刺激剤を与えれば治るという説を立て、病人に酒やアルコールや阿片など
を呑ませて、盛んに人を「殺した」ものである。何でも、後世の批評家の説に
よると、ナポレオン戦争の戦死者の数の二倍位は殺したという。まさかと思う
が、ふれ出しが「薬物学的治療」という所に、カントも惚れ込んだものらし
く、これは当世どこかで流行のごとき精神療法ではなかった。」

 「カントは大慈善家であったが、乞食に道で会った時には、何も与えなかっ
た。
 彼がボロウスキーを引っぱって散歩の途中、不埒な若い乞食に付きまとわれ
た。あまりうるさいので、ボロウスキーが財布から二文出し、それで乞食を追
い払おうとした時、カントは、自分のステッキを揮ってこいつに一撃を食らわ
した。
 若い乞食は−−案外、平気だった。そのままにやにや笑って逃げて行った。」

 「余り涼しすぎて、昆虫の湧かなかったある夏のことである。わが哲学者は
倉庫の軒にたくさんの燕の巣を見つけ、二三羽の雛が地上に打ち砕かれている
のを発見した。驚いてよく観察すると、燕自身が雛を巣から放り出したんだと
いう事がわかった。全部の雛に対する十分の餌の得られない際には、若干の者
を犠牲にする燕達の、叡知に似たこの自然本能にカントはすっかり驚愕した。

 「落として拝む以外に、何とも仕様のない場合なんだから、そこで僕の頭は
静まったんだが」−−と言いながら熱をこめて話す彼の目許には、何とも言え
ぬ感激の涙が溢れていた。」

 しかし、何といってもカントの下男ランペが主役を食っているところがあ
る。

 「ランペは律儀者で、融通が利かず、主人に命令された事を機械的にその通
り実行するだけの男であった。しかし、内心彼は大哲学者に仕えていることに
自惚れを持ち、お客の前で利口ぶって、きざな振る舞いをしては、よくカント
に叱りつけられたものだ。」

 ランペは「低脳」だった。

 「三十年以上もの間、このランペは毎週二回「ハルツング新聞」を取りに行
き、またそれを返しに行っていた。ところが、この新聞を「ハンブルグ新聞」
と取り違えないために、カントはいつも注意して新聞の名を告げたのに、ラン
ペはついぞ名前が覚え込めなかった。彼は「ハルトマン新聞」などと出たらめ
を言った。
 「ええ、何?ハルトマン新聞だって!」
 カントは憂鬱な顔をして、
 「ハルツング新聞と言い給え」
 と怒鳴った。するとランペも、いささか腐って、乱暴な調子で、
 「ハルツング新聞です」
 と一ぺんは言えたが、その次には、もうそれを間違えていた。」

 この後、ランペの乱暴に腹を立てたカントは彼を解雇しようとする。ランペ
も改悛してもうしませんと言う、のだが、とうとう「破局」が訪れる。それで
も長年勤めたランペには年金を付けてやり、新しく下男を雇った。しかし、放
り出したランペが気になってしょうがないカントは、このままではランペのた
めに自分がだめになると思い、備忘録に「ランペのことは忘れなければならな
い」と書いた。

 カントの晩年についても触れてある。例の「Es ist gut」に至るまで。

 「老衰後のカントは、歩くにも立つにもよく転んだが、いつも怪我はなかっ
た。転ぶ毎に笑って、
 −−目方が軽いもんだから、ふわりとしか転べないのでね。
 としゃれたことを言った。
 最後に転んだ時は、顔と背中に血を流した。七十九歳の秋であった。」

■■『形の文化史[1]…アジアの形を読む』(工作舎)==========■

 いかのも工作舎な多数著者の寄せ集め集。森毅の序文、あいかわらず(笑)。
特筆すべきところはまるでないが、日詰明男という建築家が(建築家というの
はバカなのだろうか)、こんなのを書いている。

>「リゾームの正体
> 
> リゾームとは「自己組織化する多時限的に交錯したシステム」の仮称だっ
>た。哲学者によると、「リゾームはツリーならぬセミラティス構造のところど
>ころにパラドクスを埋め込めばできるのではないか」とほのめかせらえた。哲
>学者の方法とはこのように無責任なまでに素朴なものだ。ある種の人々はこれ
>を真に受けて……(略)。
> リゾームとは「高次元のエレガントな法則を、低次元の空間に射影してでき
>る影のパターン」と再定義できるだろう。一般に高次元の正則な図形を、それ
>より低次元の記述空間に射影すると、表現は自己折り返しを呈した煩雑なもの
>になる。だからリゾームと呼ばれるディオニソス的状況は、天界のアポロンが
>地上に落とした影でしかない。リゾームを真似ようとすることは混乱への嗜好
>であって、昆虫の擬態にも劣る。逆説は乗り越えるべきものであって、安住す
>る場所では断じてない。我々は高次元空間の高見にのぼってアポロンの名を指
>し示さなければならない」

 こういう奴こそ出家してマンダラでも描いていればいいのだと思う。

 余談だが、ここで「哲学者」と呼ばれているのは、もちろん某大学学園祭の
講演会とやらで、「思想家のカラタニ先生」と紹介されたのに腹を立てて帰っ
た柄谷行人その人である。
 ホントウの哲学者である田辺元が、超関数の存在を無責任に示唆したことが
あった。数学者がずっと後になってそれを発見(発明)した時、もちろん田辺
はなんの役割も果たさなかった、と数学者が述べているのを聞いたことがある。
似て非なる話である。
 柄谷行人の「無責任いいかげんさ」は、田辺元とも共有されるような「哲学
者の本質」なんぞではなく、単なる個人の資質(あるいは「生き方」)である。
 むしろ「超関数(メタ・ファンクション)の存在」や「高次元空間によるパ
ラドクスの超越」を示唆する無神経さこそ、「哲学者」と(いやむしろ「思想
家」と)呼ばれるにふさわしいものだ。

■■内田百ケン『百鬼園随筆』(旺文社文庫)===============■

「島村哲二君並びに新夫人衣久子さんの多幸なる前途を祝します。又両家のご
両親並びに御親戚一統の方々に、心から祝意を表します。男と女が相合して夫
婦となり、睦まじく一家を成す。誠に目出たいのであります。我々の祖先、太
古原人の時代にあつては、中々かうはまゐらなかつた。昔は人を食つたのであ
ります。人間は誠に美味なる御馳走なのでありまして、これは酋長が食ひまし
た。さうしてその余りを他の者が食ふ。当時にあつては、婦人の位置は申すま
でもなく低く寧ろ位置などと云ふのではなくて、一つの物品に過ぎなかつた。
その為に女は人間の味を段々に忘れて来る。然るに男も女も、女を通じてでな
ければ生まれる事ができない。これは我々人類に取って随分窮屈な事ではある
が、又非常な幸福でもあつたのであります。若し殺伐なる男子が女に依らずし
て生まれ得るものであつたなら、男の殺伐性は累代その度を加へ、ついにはそ
の為にお互いが殺し合つて人類は滅びたでありませう。幸ひにして我々は男女
を問はず、女から生まれるのであります。その女は前に申したやうなわけで、
次第に人間の味を忘れて来る。従つてその女から生まれた男も亦一代一代と人
間の味の記憶より遠ざかり、その結果がついに今日の如く、只今列席の諸君を
見ても、格別食べたく思はないのであります。即ち我々がかく一堂に会し、お
互いに和気藹藹としてゐられるのは女のお蔭であります。さうして今晩の席に
於てその女を代表し、なお将来の平和、新家庭の幸福を約束せられるのは衣久
子婦人であります。」(『百鬼園先生言行録』)


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