=== Reading Monkey =====================================================
           読 書 猿   Reading Monkey
            第50号 (切りがいいので記念号)
========================================================================
■読書猿は、全国の「本好き」と「本嫌い」におくるメールマガジンです。
  姉妹品に、『読書鼠』『読書牛』『読書虎』『読書兎』『読書馬』『読書羊』
  『読書龍』『読書蛇』『読書鳥』『読書犬』『読書猪』などがあります。
 ■読書猿は、本についての投稿をお待ちしています。

■■宇沢弘文『自動車の社会的費用』(岩波新書)=============■amazon.co.jp

 今の経済学者は「そんなことは早く忘れてくれ」と思っているのだけど、あ
るいは鼻っから忘れてしまっているのだけれど、経済学はその出自からしてモ
ラル・サイエンスなのである。
 経済学の何たるかを覚えている人たちにとって、アメリカで書かれたもっと
も偉大な経済学書は、ソースティン・ヴェブレンの『営利企業の理論』であ
る。そして第二次大戦後、日本で書かれたもっとも偉大な経済学書が『自動車
の社会的費用』である。これは教科書には載っていないし、学校では絶対に教
えてくれないことだから、少し大きな文字で記したい。どちらも大昔に書かれ
たものであるというのがなさけない。
 現代の経済が、いかに「現代の経済学」からは落っこちている(あるいは意
図的に落とされている)事どもによって(いささかファナティックにいえば、
それらの「犠牲の上に」)成り立っているか、そしてそれをすくい取る経済学
はどんなものなのか、といった問いと、それに答えを出すための方策(答えそ
のものではもちろんない)が、この小さな本に登載されている。
 問いということで最後にもうひとつ。よくある「経済学は何の訳に立つの
か?」という問いにいつも覆い隠されてしまう、もう一つの問い「この経済学
は誰の訳に立つのか?」に答えようとする営みこそ、(自然科学モドキという
意味での「科学としての経済学」ではなしに)、モラル・サイエンスとしての
経済学を思い出させ蘇らせ打ち立てることだと思う。

■■レオ・フロベニウス『ブラック・デカメロン』(角川文庫)=======■

 こんな本があるとは知らなかった。岩波文庫は目録を出しているが、むしろ
私は角川文庫の全部の目録の方が欲しい。
 さすが(昔の)角川文庫である。いかがわしさ満杯である。「デカメロン」
という通り、エロ話が多い。これを角川が出したのは、どうも映画になったか
ららしい。表紙や見返しに写真があって、それが映画のスチールらしいのだ。
 短いの長いの、いろんな話があるが、印象的なのは、女性の方が能動的であ
ることである。人間の起源神話のような話でも、女性の方が身体的にもたくま
しく描かれている。細かいところで言うと、「ンセーニ」の話が面白い。女た
らし、「女の狩人」のことで、「愛を仕事にする男」。それの一つに、ちんち
んを先から根元にかけて三色に塗り分け、「金貨一枚では、先の部分だけを
使って田畑の番人をはらませ、金貨二枚では赤い部分も使って村の管理人をは
らませ、金貨三枚だと白い根元まで使って、裁判官をはらませる。これをやる
には、言うまでもないけれども、栄養のあるものをたっぷり食べることも必要
だね」(42頁)というわけである。色を塗るという直接性が何ともほほえまし
い。

■■斎藤忍随『プラトン』(岩波新書)=================■amazon.co.jp

 古代哲学を勉強している若い友人に聞いた。

 --プラトンについて何かいい本ないかな?
 ==プラトンなんてたくさん参考書あると思うけど、人に勧められるってのは
なかなか。
 --手軽なところでは、岩波新書に斎藤さんの『プラトン』が入ってるけど?
 ==ああ、あれは焚書すべきですね(笑)。

■■山本光雄編『ソクラテス以前哲学者断片集』(岩波書店)=======■

 古代哲学を勉強している若い友人に聞いた。

 --ディールス=クランツを全部訳した『初期ギリシャ哲学者断片集』(岩波
書店)は素人でも読みたいと思うけど、だいたい哲学って名前がついてるけ
ど、そんなのに関係なく面白いしね、でも高いし、かさばるしねえ。
 ==不便ですね。
 --山本さんの『ソクラテス以前哲学者断片集』は一冊だしいいけど、訳が読
みにくいね。
 ==ああ、あれは絶対焚書すべきですね(笑)。

■■『マンガ日本の古典』(中央公論社)==================■amazon.co.jp

 「マンガ日本の歴史」で味をしめた中央公論から。
 「現代日本のマンガ界を代表する豪華執筆陣」というのはまあ文句を言って
もしかたない。「今昔」が水木しげる、「堤中納言」が坂田靖子、「おとぎそ
うし」がやまだ紫などは分かりやすい執筆陣だと思う。思うが、「平家物語」
が横山光輝で、「太平記」がさいとうたかをある。まだいいか。「とわずがた
り」がいがらしゆみこである。「怪談」がつのだじろうである。「好色五人
女」が牧美也子である。「雨月物語」が木原敏江である。「膝栗毛」が土田よ
しこ!分かりやすすぎないか?
 「既成概念にとわられぬ「古典」の世界を展開」である。「学習マンガの絵
解きとは一線を画す決定版」なのである。「『マンガ日本の歴史』で好評のノ
ウハウを活用」なのだ。へなへなへな〜。

■■ディケンズ『荒涼館』(ちくま文庫)=================■amazon.co.jp
■■『映画術 ヒッチコック/トリュフォー』(晶文社)==========■amazon.co.jp

 ディケンズはとにかくおもしろいが、「やりすぎ」と思われることがないで
はない。おかげでこの本の解説には、こんなことを書かれている。
>
> 「……しかし主題と作中人物とプロットの密接な関係付けと言っても、彼は
>主題に即して人物の性格を設定し、人物同士の葛藤がシチュエーションを生
>み、 それがプロットを発展させるという近代小説のドラマティックな構成法
>をとったわけではない。彼の小説は最後まで、題材とその扱い方におけるセン
>セーショナリズム、ストーリーの重視、偶然の暗号に頼るプロット、めでたし
>めでたしの結末を捨て切れなかったし、一つの作品の中で喜劇、悲劇、メロド
>ラマ、ファルスを併用した。
>「それゆえ、彼の晩年以後、リアリズムと小説の芸術的自立性とが確立される
>につれて、彼に対する批判が多くなり、今上げたいくつかの点の他に、彼の通
>俗性、誇張、作中人物の内面的またリアリスティックな探求の不足、センチメ
>ンタリズムとオプティミズムの過剰、性の問題の欠如、社会批判の幼稚などが
>指摘された」
>
 ようするにディケンズはマンガだ、というのである。マンガで結構。ディケ
ンズなしには手塚治虫もあり得ない。ところで『ヒッチコック映画術』で、ト
リュフォーが序文にこんなことを書いている。

>「古典的な映画文法によれば、サスペンスのシーンは一本の映画の中でとくに
>きわだった瞬間、すなわちそこだけはとくに記憶に残る鮮烈なシーンを構成す
>るものである。ところがヒッチコックは、彼の映画群をずっと追って見ればす
>ぐ気が付くことだが、映画に手を染めてからずっと、どんな瞬間もとくにきわ
>だった瞬間であるような映画、彼自身の言うところによれば、『ボコッと穴が
>あいていたりしみなんかがついていない』映画をつねにつくりあげようとして
>きたのである」

 赤瀬川原平だったか、こんなことを言ってた。野球でピッチャーの仕事はス
トライクを3つ取ることである。ところが普通のピッチャーは打者をうちとる
ための「決め球」を1種類か2種類しか持っていない。そこであとの1球か2
球は、ただストライク・カウントを増やすだけの球、赤瀬川氏いわく「ストラ
イクゾーンにただ置きにいく球」になるわけだが、そういう「退屈なボール」
はやはり打者に打たれてしまう。文章を書くにも同じことがあって、作家は
300枚とか50枚とか書けば仕事になるのだけど、本当はその十分の一か百
分の一くらいしか書くことがない。そこで「原稿用紙にただ置きにいくだけの
言葉」を書いてしまう。それはプロットの進行上必要な「つなぎの言葉」だっ
たり「説明」だったりするのだけど、そんな「退屈な言葉」はやっぱり、「ボ
コッとあいた穴」だったり「しみ」だったりするのだ。

 トリュフォーがいうには、ヒッチコックはそんな「ストライクゾーンにただ
置きにいく球」なんか絶対投げなかったし、投げる気もさらさらなかった。
「映画の文法や演出の正攻法なんかに固執する保守的な連中」に、おまえの映
画はありそうもない事の連続だ、シチュエーションがあまりに不自然だ、マン
ガだマンガ、と言われても、ヒッチコックはそんな「もっともらしさ」なんか
まったくお構いなしだった。加えてヒッチコックはそんな退屈な連中と違って
投げる球をたくさん持っていた。ディケンズもそうで、3球で三振なのに彼と
きたら、一人の打者相手に一度に何十球も投げてしまうのである。
 ここから言うのは悪口だが、野球に「ストライクゾーン」があるということ
を知ってるというだけで、自分は野球選手(文学者)だなんて思っていやがる
連中がいる。お前らの投げる球なんて、ホームベースにだって届かないじゃな
いか。あと打者をうちとるには、ただストライクゾーンにボールを投げればい
いんだと信じてる輩(作家)だ。おまえらなんかめった打ちだ。


↑目次   ←前の号   次の号→  

ホームへもどる








inserted by FC2 system