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           読 書 猿   Reading Monkey
            第34号 (今日の食べ合わせ号)
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■■マ−ティン・ポ−リ『バックミンスター・フラー』(鹿島出版会)====■amazon.co.jp

 立花隆という人が、コマバ講義だとかで、バックミンスター・フラーについ
てでたらめなことを言っている(インターネットで読める)。この人のデタラ
メさは、ホラではなく、通説をなぞってみせるだけの「エセ批判精神」に根ざ
していて、害がある。

>彼はそのドーム構造を利用してダイマクシオンという車・家を設計した。

 順序関係がまったく逆である。
 ダイマクシオン・カーおよびダイマクシオン・ハウスなるものを発明して、
会社をおこし、ことごとく倒産・破産させていったのは、そのドームを発明す
る前である。なぜダメだったかといえば、デザインがクソで、性能がダメな、
アイデアと信念だけでふくれあがった素人仕事の産物だったからである。ダイ
マクシオン・ハウスは、今では誰も見向きもしないSFマンガに出てくるよう
なデザインのプレハブ住宅だし、細かい内装その他についても素人まるだしで
ある。ダイマクシオン・カーにいたっては、3輪で小回りがきくという歌い文
句はよいとしても、速度があがると3輪のうち、駆動輪である後輪(これはひ
とつだけ)が浮かんで地面から離れるというシロモノであった。

 また会社をつぶしてしまったフラーは、友人の声を掛けられ、あの伝説の非
認可大学、存続していた25年の間たった55名の卒業生しか送り出さなかっ
た美術学校に、夏だけの代理教員として職を得る。彼はそこで学生たちといっ
しょにドームをつくった。最初はブラインドの廃材でつくった。最初に考案し
たドームはたわんでしまって自重を支えることができなかった。次の年も、フ
ラーはドームをつくった。これもだめ。次の年も、フラーはドームをつくっ
た。これもだめ。次の年も、フラーはドームをつくった。これもだめ……。

 フラーは学生たちを元気づけてこう言っている。

「失敗しなくなったときはじめて、成功するのだ」

>この世界に失敗なんか無い。自然は人間が作った概念だ。
>人間は失敗するかもしれない。しかし自然は失敗なんかしない。

 なんかよりも、よほど名言である(あとこの引用も、2文目は「失敗は人間
が作った概念だ」が正しい)。ジオデシック・ドームが唯一の成功品といって
いい、フラーの失敗人生あって初めていえる言葉である。

 フラーはこのブラック・マウンテン・カレッジで、件のジオデシック・ドー
ムは発案され、学校を去ることには完成までこぎつけた。これは、フラーが暮
らしをたてていくのに、ぎりぎりのタイミングだった。フラーはそれまでに何
百もの紙の模型をつくっていた。

■■ジョン・ケージ『小鳥たちのために』(青土社)===========■amazon.co.jp

 同じフラー・ファンなら、圧倒的なのはこの人である。単なる東洋好きや
ニューエイジ野郎では、とてもこうはいかない。

>ケージ  彼(バックミンスター・フラー)はある日こう言ったの
>     です、地球のまわりを巡る風は常に西から東へと吹いて
>     いて、ある民族は風とともに移動し、別の民族は風に逆
>     らって行った。東洋型の思想を発展させることになった
>     のは風に従っていった人々で、風に逆らっていったのは
>     西洋人だろう。さらに彼は、この二つの流れがアメリカ
>     で出会い、その結果上方への、空中への動きが起きたと
>     言いました。
>
>聞き手  空中への動きとはなんのことでしょう、精神的な昂まり
>     のことですか。
>
>ケージ  いいえ、飛行機の発明のことです。

 これには笑った。

■■湯川秀樹対談集『科学と人間のゆくえ』(講談社文庫)==========■amazon.co.jp

 湯川秀樹と小林秀雄、科学界と文学界、それぞれを代表する二大知性が、終
戦直後のその時代、がっぷり四つに組んでぶつかり合う。いわずと知れた当代
一の文芸批評家、小林秀雄がやぶからぼうに
「原子爆弾というのは何ですか?」
と切り込めば、すかさず
日本人初のノーベル賞を受賞したばかりの理論物理学者、湯川秀樹は
「ドフトエフスキーは偉いんですか?」
と打って返す。
 まさに、ヘビー級ボクサーが至近距離で互いに踏みとどまり、ノーガードの
ままショットガンを打ち合うという大一番に、見る者聞く者、魂を奪われない
者のないほど。ほんとうに、科学と人間のゆくえはどうなることかと心寒から
しむる。

 なお、この対談は、『湯川秀樹著作集 別巻 対談・年譜・著作目録』(岩波書
店)には収録されていない。

■■『湯川秀樹著作集 別巻 対談・年譜・著作目録』(岩波書店)=====■amazon.co.jp

 しかし、この対談集にはそれを補ってあまりあるものがある。まず、この巻
の解説を、予定していたが急逝した桑原武夫に代わって、あの異能科学者 渡
辺慧が書いている。寺田研(寅彦の研究室)で「たどんの燃え方」から研究生
活を始め、国際会議に行ったら池に落ちてしまいそれ以来国際会議に出なく
なったド=ブローイのところで学び、後年「みにくいアヒルの子の定理」を証
明し、名著『認識とパターン』(岩波新書)を書いた、ハワイ大学名誉教授の
あの渡辺慧である。
 この渡辺慧は、対談者としても登場している。その対談で湯川は「戦争がす
んでから間もなく小林秀雄さんにとっつかまりまして、きょうのような対談を
京都のどこかでやったんです」という話を漏らしている。言うまでもなく、件
の対談である。
 さて、渡辺は解説の最後の方で、
「湯川さんについて一言付記しておかなければならないことは、彼が製薬「は
れやか」と「はっきり」とを一時常用していたことである。19世紀後半の
よーろぱの「天才」連の中の多くのものが麻薬を用いたことが知られている。
私も湯川さんがその一例かと疑ったこともあったが、……(中略)……。それ
で私は、日本医薬情報センター会長の熊谷洋博士に問い合わせたところ、過去
の情報を調べた結果「はれやか」にも「ネオはれやか」にも「はっきり」にも
覚醒剤が含まれていないことが確認された。詳しい成分表が入手できたが、そ
の詳細はここでは述べない。「はれやか」の主成分はサザピリンであり、この
ものおよび他の成分もすべて鎮痛剤、鎮静剤、催眠剤の類である。……(中
略)……。
 この稿を終わるに臨んで、宮城音弥さんの名著『天才』からその挿画第16
図を借用して転載したい」

 で、その図(グラフ)がこうである。

  創造性      社会的適応性
 ***********    *********
       *  *
        * *
        **
       *  * 
 ***********   ***********

←この辺が天才→  ←この辺が能才→

 宮城いわく「天才は不適応者だ。社会的適応性を犠牲にして創造作用を行う
人間だ」。渡辺はこれにつけ加える。「これは湯川さんの墓碑銘とも読め
る」。「世間的にみれば湯川さんは成功者とは言えなかったが、天から与えら
れた使命を全うした成就者である」「また膨大な範囲を覆う知識を鋭利な理解
力を持って解釈して、多数の知識人と珍しく楽しい対談を交わされたのであっ
た。そのことはこの対談集の読者も同意されるであろう」

 だれか、こいつを止めろ(笑)。


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