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           読 書 猿   Reading Monkey
            第33号 (気が遠くなる生き方号)
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■■ノースロップ・フライ『批評の解剖』(法政大学出版)=========■amazon.co.jp

 『詩学』第2節で、アリストテレスは、それが描写している対象によって、
文学作品を分類することを提案している。文学作品に登場する人物は、「優れ
ているa higher type」か「劣っているa lower type」のいずれかであり、それ
によって区別することができるだろう、と。ところで英語ではgoodnessと
badnessと訳され、道徳的文学観による価値判断を表すかに見える語は、アリス
トテレスが使った語ではσπουδαιοsとφαλωsであるが、これは
元々単に「重い」と「軽い」を意味する語だった。(「重い」→「忙しい」→
「重要な」→「卓越した」/「軽い」→「つまらない」→「劣った」)。

 ノースロップ・フライはこれを取り上げて、今でも文学の分類に使えないか
と考えた。「重文学」と「軽文学」といった分類ではない(そんなのは、明示
的でないだけで、今でもよく使われている)。フライが提案するのはもっと単
刀直入で、かつ「強力」なものだ。フライは、ここで「ドラゴンボール」的裁
定によって------あと10年も経てば「ドラえもんが心の救いでした」なんて
いう人間は駆逐され、『ドラゴンボール』によって思考する人間が席巻するだ
ろう------、文学作品のプロットを分類することを思い付く。
 つまり彼は、作品の主人公たちに「おめえ、強ええか?」と尋ねるのだ。

          |      |ジャ |
CATEGORY |主人公|ンル | コメント
=============================================================================
1 | 神様 |神話 | 自然的諸条件(制約)からも、当然人間的諸条件(制約)
| | | からも、卓越している
   ----+------+-----+-----------------------------------------------------
| |ロマ | 自然的諸条件(制約)は一部凍結されている(魔法や奇跡
2 | 英雄 |ンス | 的な能力など)が、物語が始まれば、彼も制約に従う。我
| |・伝 | 々には信じがたいが、彼も物語では人間ということになっ
| |説 | ている。
   ----+------+-----+------------------------------------------------------
| |悲劇 |
↑ | |叙事 |
強   | 優れ |詩  | 自然的諸条件(制約)にも、人間的諸条件(制約)にも拘
い  3 | た人 |高等 | 束される。彼が普通より優れた人間ではあるが、自然の秩
  | 間 |模倣 | 序に従うし、社会の批判も被る。
  |   |形式|
   ----+------+-----+------------------------------------------------------
弱 | |リア | 彼はどこからみても、我々と同じ普通の人間である。外的
い | 普通 |リズ | 条件(制約)においても、内的条件(心理)においても、
↓ 4 | の人 |ム | 平凡な人間らしさの内に置かれている。正義を知っていて
| 間 |下等 | も全うできなかったり、感情に流されたりする普通の人間
| |模倣 |である。
| |形式 |
   ----+------+-----+------------------------------------------------------
| 劣っ |アイ | 知性においても、どんな力においても、我々に劣る存在で
5 | た人 |ロニ |あり、彼を見ていると、あたかも挫折、屈辱、不条理な人
| 間 |ー形 |生を見おろしているかのように思う。
| |式 |
   ------------------------------------------------------------------------
 フライの分類(カテゴリー)は、おおむね歴史順になっている(1→5)。
ときどき、昔のカテゴリーが復活することがあるけど(フライはそれを「感傷
的」という。たとえばロマン主義は、カテゴリー2の感傷的形態である)、お
おむねは歴史順になっているという。

 つまりフライが主張するのは、文学史とは「主人公がどんどん弱くなってき
た」歴史である、ということだ。

 これだけだとしかたないので、フライはもうひとつ座標軸を導入する。つま
り「悲劇的」「喜劇的」である。これもひどい。
 フライはこれらの伝統的用語も、定義し直す(つまり劇の形式でなく、プ
ロットの形態について、用いることができるように)。いわく、

  「悲劇的」とは、主人公が自分の属する社会から孤立させられるプロット
について言われ、
  「喜劇的」とは、主人公が自分の属する社会に包摂されるプロットについ
て言われる。
 (これは桂朱雀の落語の「オチの分類」そのままである)。

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カ |主|                |
テ |人| 「悲劇的」 | 「喜劇的」
ゴ |公|                |
リ | |                |
====+==+===============================+======================================
| |[神話悲劇]神々が死を迎える、 | [神話喜劇]主人公が神々の仲間として
| | 追放される。 | 迎えられる。
| | ・毒の下着をつけて燃える薪の | ・オリンポスへのぼるヘラクレス
1 |神| 山を登るヘラクレス | ・ダンテ『神聖喜劇』
|様| ・ロキの裏切りによって殺され | ・試練を果たす神々
| | るバルダー | ・救済、あるいは昇天の物語
| | ・十字架にかけられるキリスト |
----+--+-------------------------------+--------------------------------------
| | [哀歌(エレジー)、ロマンス | [田園詩(アイデアル)、ロマンス喜劇
| | 悲劇] | 、牧歌]
| | 英雄が死を迎える、孤立する。 | 哀歌が自然の一部と結びつくように、ロ
2 |英| ・メソポタミアのギルガメッシ | マンス喜劇は羊の群や気持ちの良い草地
|雄| ュ | と結びつく。
| | ・古英語詩のペオウルフ | 現在では西部劇として復活し、牛の群や
| | ・日本神話のヤマトタケル | 囲い柵と結びつく。
----+--+-------------------------------+--------------------------------------
| | [悲劇(パセティック)] | [旧喜劇(アリストパネス)]
| | 指導者の没落の物語である。主 | アリストパネスの中心人物は、周囲の強
| | 人公は優れた人間であるが、た | い反対を押し切って、自己の社会を打ち
| | とえば運命の力によって打ち倒 | 立てる。邪魔者や搾取者をつぎつぎ取り
|優| される。 | 除き、英雄的勝利を手にする。
|れ|  神的ヒロイズム(願望充足と |  願望充足につながるヒロイズムと喜劇
3 |た| つながっている)と人間的アイ | アイロニー(風刺、現実批判)が均衡を
|人| ロニー(これは日常的な苦痛、 | とっている。
|間| 手厳しい現実とつながっている |
| | )との、中間に位置し、そこで |
| | 均衡をとっている。 |
| | ・ギリシャ悲劇 |
| | ・ラシーヌなどの悲劇 |
----+--+-------------------------------+--------------------------------------
| | [家庭悲劇(等身大の、ニュー | [家庭悲劇(等身大の、ニュースのよう
| | スのような、悲劇)] | な、喜劇)]
| | 主人公自身がある弱点をもって| 普通は、若い男女のたくらみを描く。
| | いて、そのために孤立している| ちょっとした困難が彼らが「うまくいく
| | 。 | こと」(結ばれること、結婚、など)を
| | 主人公は我々と同じ水準にある| 妨げているが、最後にその困難は取り除
| | ので、その弱点は我々の共感を| かれる。
|普| 呼ぶ。 | 主人公達は、あまり魅力的ではなく、む
|通| 女性や子供、それから動物が主| しろ読者の共感をひき、身代わりをつと
4 |の| 人公として登場する。 | める。自分たちそっくりの「あまり魅力
|人| 弱点はしばしば知性の乏しさや| のない」登場人物が幸せになることが、
|間| 表現力のなさ。そのことがより| 読者の喜びをうむ。
| | 我々の哀感(ペーソス)を増す|
| | ・メロドラマ        | ・シチュエーション・コメディ
| | ・扇情的(センセーショナル)| ・ハッピーエンドもの
| | な物語 | ・向田邦子
| | ・お涙頂戴もの | ・新喜劇(メナンドロス)
----+--+-------------------------------+--------------------------------------
| | [悲劇的アイロニー] | [喜劇的アイロニー]
| | 主人公の悲劇的孤立そのものを| 主人公はパルマコン(生け贄)として追
| | ただ単に描く。 | 放される。その結果、社会は平和と安定
| | その孤立は(かつての悲劇のよ| を取り戻す。読者は安堵を得る、鬱憤晴
|劣| うな)理由・原因がない。 | らしする。
|っ| 主人公の悲惨は、彼の責任では| ミステリーの主人公は、探偵でなく、最
5 |た| ない。その意味で不当である。| 終的に罪が明らかにされ、退場する犯人
|人| 主人公の悲惨は、彼の存在その| である。悪人が純粋に「悪」であるほど
|間| ものがその理由である。その意| 、アイロニーとしては純粋に(物語は単
| | 味で不回避である。 | 純に)なる。そこでは推理は極度に人為
| | | 的で恣意的ですらある。
| | ・カフカ | スポーツ(これも現代の大衆的文芸の一
| | ・ヘンリー・ジェイムス | 形態である)における、審判にも、パル
| | ・ヨブ記 | マコンの機能が見られる。
-----------------------------------------------------------------------------

 そして歴史は繰り返す。
 我々は、詩人(作家)であるにせよ、聴衆(読者)であるにせよ、あまり強
くはない。歴史を経るに従い、物語の登場人物が「強さ」を失っていくかわり
に、物語は我々により近いものになる(つまり「もっともらしさ」を獲得す
る)。
 歴史が経るに従い、主人公は「強さ」の階段を駆け下りていく。そして勢い
あまって、我々からまた離れていく。極度のアイロニー(すごく劣った人間の
物語)は、再び神話(神の物語)に近づいていく。旧約聖書のヨブは、ボコボ
コにされながら、ほとんど神々しさを身に纏う。彼は最後に神に受け入れられ
る。悲劇的アイロニーが神話喜劇に結びつく。また「近代科学」「啓蒙主義」
という物語は、神自体をパルマコン(生け贄)として追放する、それが人類の
進歩、無知蒙昧の状態に閉じ込められてきた人類の、暗黒時代の開放だとす
る。喜劇的アイロニーが神話悲劇と結びつく。

■■何暁[日斤]『風水探源』(人文書院)==============■amazon.co.jp

 「金魚鉢をどこそこへ置けば運が向いてくるとか、机の向きを変えれば社運
が隆盛するといった底の、チマチマした陽宅風水はあまり好きではない」と
は、『風水・中国人のトポス』(平凡社ライブラリ)の著者、まじめに風水を
やってる数少ないシノロジスト三浦國雄氏の弁。同感である。それにしても、
あの荒俣とかいうバカはなんとかならないものだろうか。あんな幻想文学オタ
クがいつのまにか「物知り」なのだから、恐れ入る。特に「風水」やりだして
からはひどい。
 「盆栽風水」や「おまじない風水」ばかりが売れるどこかの国とはちがい、
この『風水探源』、唯物論を奉じる中共で20万部も売れたらしい。内容は、
前半の文献を整理し、後半は都市・村落のフィールドワーク。文献学と自然科
学を駆使して、「おまじない」よばわりされていた風水に肉薄していく。
 都市・住居設計としての本来の陽宅風水を丁寧に扱い、原型としての風水
と、後から混じった術数・迷信風水を峻別して、前者を積極的に評価する。著
者は当時25歳の若手女性研究者。
 邦訳にはおまけで福建省でおみあげになってる羅盤を得る店の住所まで載っ
ていて、良く分からないところで丁寧である。
 なお、著者カギョウキンの、名前がjisでは出ない。遺憾である。

■■羽仁五郎『ミケルアンヂェロ』(岩波新書)=============■amazon.co.jp

 今、読書子の間でもっぱらの話題は、あの羽仁五郎の「名著」『ミケルアン
ヂェロ』の復刊されたことである。
 かつて日本のミケランジェロ・ファンの大半は、羽仁五郎ファンだった。も
う一方の大半はロマン・ロラン『ミケルアンジェロ』のファンだった。
 この本に登場するミケランジェロは、なんといってもかっこよすぎる。それ
からこれを書いてる羽仁五郎もかっこよすぎる。かっこがすぎて、戦後彼は参
議院議員になってしまった(参議院図書館運営委員長として、新生国立国会図
書館の創立に携わる)。
 昭和14年の軍国主義の時代に描かれた、自由都市フィレンツェのミケラン
ジェロがもしかっこわるいとしたら、それはかえってウソだということにな
る。実際のミケランジェロはまったくかっこわるいとしても、だ。
 それにしても(話がかわってしまうが)、人文書院はほんとにトルナイの
『ミケランジェロ』を絶版にしてしまったのだろうか(こっちは目が覚めるほ
ど堅実で実り多い本らしい)。

 羽仁五郎『ミケルアンヂェロ』は、こんな一節ではじまる。
「ミケルアンヂェロは、いま、生きている。うがたうひとは、“ダヴィデ”を
見よ!」


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