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           読 書 猿   Reading Monkey
            第35号 (アロエエキス配合号)
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■■小川環樹・木田章義注解『千字文』(岩波文庫)==========■amazon.co.jp

 中国六朝時代、梁の武帝は、王子たちに書を習わせるため、あの王羲之(楷
書・草書において古今に冠絶(ずばぬけてすぐれてる)、その子王献之と共に
二王と呼ばれる)の筆跡から、重複しない1000文字を抜き出させ、教材を
作らせた。ところがもとより1000枚のばらばらの紙片、これではどうも学
びにくい。そこで武帝は、周興嗣という詩文をよくする者を呼び寄せた。普段
は詔勅の起草などをやってる人物である。「この千文字を余さず使って、韻文
をつくれ」。周興嗣は命を受け、一晩かかって四字一句、計二五○句の整然た
る韻文一編をつくり、武帝に奉った。彼はその苦心のために一夜で髪が真っ白
になったという。世界一速成の、命がけの教科書。
 よくできた韻文は唱えやすく、したがって覚えやすい。用いられる修辞にも
それぞれ典故(モトネタ)があり、その後出会うであろう漢文のエッセンスが
満載である(注解は、千文字しかない本文に、凝縮されたネタを丁寧に説きほ
ぐして、漢文古典マメ知識の宝庫である)。おまけに字はあの王羲之だ。
 伝説の当否はともかく、『千字文』は漢字文化圏の児童が最初に文字を学ぶ
初等教科書また習字手本として永らく用いられた。中国大陸はもとより、朝鮮
半島、日本、モンゴル語訳まである(近世には英仏独伊羅語に翻訳され、ヨー
ロッパ版も作られた。
 『千字文』は、

 「天地玄黄、宇宙洪荒」

で、はじまる。これを「テンチのあめつちは クエンコワウとくろく・きな
り」と読む。最初に音で読み、次に訓で意味をとる。暗唱すれば、ヨミとイミ
がもれなくついてくる。これを文選(もんぜん)読みという。最近、本気で寺
小屋をやろうと考えてるから(まずは生徒は自分一人だろうけど)、テキスト
として買った。
 『千字文』は中国の「いろは」である。本当にこれで数を数えてたことがあ
るらしい(天−1、地−2、玄−3、黄−4、……)。科挙の試験の席番号な
んかはこれであった。11世紀に『続千字文』という本を作った人は、お役人
や商人がこの数え方を使いだしてすでに久しい、とか書いている。それで、こ
の『続千字文』と合わせれば合計2000文字、2字づつ組み合わせるなら
1000文字×1000文字で百万まで数えられると自著のセールスポイント
を述べている。まるっきり数を数えるために『続千字文』なんて続編を作った
のである。

■■コメニウス『世界図絵』(平凡社ライブラリー)==========■amazon.co.jp

 教科書シリーズ第2段。
 高山宏の、いつもながら頭のネジがゆるんでいるような解説も、おもしろく
読めてしまうほど、中身は辛気くさい。
 世界初の子供向け「絵本」であり、あるいは「絵とき教科書」であり、ある
いはバラ十字団関係書物であり(コメニウスはその筋のものである)、あるい
は教授法と汎知学(パン・ソフィア)の結晶であるとかなんとか。カンパネラ
の『太陽の都』もそういえばつまんなかった。
 これは「初めて(ドイツ語あるいはラテン語を)学ぶ子のための本」である
のだから、どうせ邦訳するなら、ドイツ語あるいはラテン語との対訳にしても
らいたかった。そうすりゃ少しは役に立ったのに。でもそれだと、ただの木版
画ワーズワーズになるか。

■■ビル・モリソン他『パーマカルチャー』(農山漁村文化協会)====■amazon.co.jp

 パーマカルチャーという永続農法があって(西洋版「わら一本の革命」みた
いなの)、エコロジカルな知見をフルに活用していて、その農場はじつによく
できている。
 ちょっとしたこと、そしてさまざまなことが、エネルギーの節約になる。た
とえば農場で、住居と家畜小屋とカブ畑は、この順番に並んでいた方がいい。
なんとなれば、家畜小屋によって糞をあつめて、カブ畑に持っていき肥料にす
る。帰りは、カブ畑から収穫して、それを家畜に餌として与えて、残りを食べ
るために住居に持ち帰る。人の動線と仕事の順番を考えるなら、このレイアウ
トがいちばんいい。そんな風に農場はデザインすべきだ。
 森を切り開く開墾は時間とエネルギーがかかる。どうしてもやらなければな
らないなら、できるだけ楽にやろう。たとえば、山羊や羊を2mくらいの紐で
森の木にくくりつける。するとその木の周りの下草をキレイに食べてくれる。
おまけに山羊は木の皮が大好きだ(木をいじめてくれる)。しばらくしたら山
羊は別の木うつして、今度は木を中心に囲いをつくってニワトリを飼う。ニワ
トリがその中の雑草を食い尽くしてくれたら(当然その場所にはかわりに鶏糞
がまかれていることになる)、ニワトリをまた別の囲いに移して、きれいに
なった部分には、小さくてすぐに収穫できる野菜を植える。これをくりかえす
と2年で0.5haの土地が鶏40羽で開墾できるということになる。肥料も
まく動物トラクターを使った、やわらかい「開墾」。
 温室が必要でも、石化燃料を燃やす必要はない。ビニールやガラスで囲めば
太陽が暖めてくれる。夜どうするか?ニワトリなどの体温が高い動物の小屋と
温室を一体化すればいい。夜になるとニワトリは小屋に帰ってくる。そして自
分たちの体温で、夜の寒さから温室を守ってくれる。夏は暑いから、ニワトリ
は外で寝る。温室も暑くなりすぎない。

■■吉本隆明『書物の解体学』(中公文庫)==============■amazon.co.jp

 ということでついに中村真一郎を撫殺(なで殺し)した評者が送るヨシモ
トーン企画。でなぜこれを推奨するかといえばあの黄金の料理人吉さんシリー
ズの第一段だからだ。

 この書物の解体の解体とはどういう意味かと言えば「おろす」ということで
あの魚の三枚おろしとかのおろすね。で、吉さんは包丁一本(前は文化包丁)
で何でも料理しちゃう。で、ヘンリーミラーだとこれだ。

>「ヘンリーミラーはこの本の中では初の「大物」といったかんじで、大物とい
>うのは尊大で、そこかしこアラもありといったような」

とつづくが(笑)、もうヘンリーミラーなんてのものが冷凍ンなって港につる
しあげられてそれ見て「おお、いかにも大物だな(胴体をポンとたたく)」と
か吉本が言う(笑)。

 で、口癖が「馬鹿野郎、おれは日本一の批評家だ、なんだって料理するぜ」と
かいって、マグロにマヨネーズとか(漁師がやるやつ)そういう奇抜な、もう
なにやっちゃってんだかわかんないし和食?洋食?なにこれ?というような料
理をつくって評判だがこれが食べるとなんかウマい(笑)。でも、「これ、醤
油じゃなくてマヨネーズだよ!この色どうやったら出るの?これつけるの?か
けるの?で、なんでマヨネーズばっか使うの?いや、うまいからいいんだけ
ど・・・」とかそーゆー解体だ。

 でそれに様々な鉄人がからむ。例えば中上健次。
「ヨシさん、作家ってものはね、つねに二つのモチーフを持ってるものなん
だ。だけど、それに近づきすぎればそいつに絞め殺されるんですよ」

 絞め殺される=ト殺、作家=材料、中上=ブタという視界をもちながら吉本
はにこやかに話を聞くが、頭にあるのは料理(解体)のことばかりだ(笑)。
もう食材が俺の料理喰って肥太っている(笑)。おまけに近づいてくる食材。
(笑)

 しかし、そんなことをやっちゃいくらなんでも関連企業が黙っちゃいない。
今日はマルクス鍋のお披露目の日だ(笑)。
蓮実「これはフォークで食べるんでしょうかハシでしょうか、いや手づかみか
もしれない。いや、おいしゅうございました」黙ってない。
浅田「なにこれ?こんなの食べられないよ!これ食べもの?カレーライス!カ
レーライス!ジュースジュース!」
そして一口くちにするや厨房のゴミ箱に走る柄谷行人「な、なんだこれは!」
見るとアラが捨てられてるじゃありませんか。
「吉本さん、マルクスはね、マルクスはね、アラが旨いんですよ!アラが!」

 ということで価値形態論(アラ)で「マルクスその可能性の中心」。そのあ
いだも中上はひらすらガツガツ、ガツガツ(でも後で料理される)。中上をみ
てニヤっと笑うヨシさん。
「いやあ、ユニーク、非常にユニークな食材だ」。
で、おいしうございましたの勝ち。

■■スティーブンソン『宝島』(偕成社文庫、他)=============■amazon.co.jp

『わが谷は緑なりき』を見た。
 昔、子どもの日曜夜の定番だった世界名作劇場一年分(下手すれば数年分)
を2時間に詰め込んだような映画である。
 炭鉱に支えられた故郷の谷、美しい兄嫁、失業者が流れ込んで人余りのため
に賃金カット、そこで起こってくる労働組合、父と子の葛藤、移民、浦辺粂子
に似た母親、炭鉱での兄の死、始めて行く学校とそこでのいじめ、拳闘を教え
てくれる近所のおじさん、教師の鞭、姉の恋。
 映画のまだかなり始めの部分で、ストに反対して谷の人々から目の敵にされ
る父親を守ろうと吹雪の中を出かけた母と子は酷寒の川に落ち、二人とも寝付
いてしまう。一年か二年か、歩けるかどうか、それも保証できんと大声で言う
医者の声を聞いた幼い私のところに、牧師がやってくる。この本をもう一度読
むために私が代わってベッドにつきたかったよ。そう言って渡され、後遺症で
まだぎこちない腕を延ばしてやっと受け取る、おそらくは天金の、持ち重りの
する一冊の本の貴重さ。それはどうしたって、スティーブンソンの『宝島』で
なければならない。
 腐るほど本があっても、その『宝島』一冊のない書架がある。


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