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           読 書 猿   Reading Monkey
            第32号 (大型で並の新人号)
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■■福沢諭吉『福翁自伝』(岩波文庫)=================■amazon.co.jp

 これを見ると、福沢諭吉という人は、ほんと何もしてないという感じであ
る。それも意志的に何もしない。明治維新の前後を生きた人だから、その間に
はすごぶる事件という事件があったはずだけど、まず事件あるところに福沢な
し。けれど、どこか辺境の山奥に篭っていた訳でもないのだから、それどころ
かおよそ時代の最先端のところにずっといたのだから、これは奇妙である。今
読んでも、そうなのだから、当時もそう思われた。これはほとんど、その言い
訳のような本である。
 この本を読むと、福沢諭吉という人はまるで偉くないような気がしてくる。
自伝だから、自分で自分のことを著しているので、ことさらに謙遜しようと思
えばできないことはないが、彼は自慢だってしてる。それも、ほとんど飲み屋
の気のいいおやじのような自慢みたいで、稚気に飛んでいて、ほとんどばかば
かしくって好きだ。アメリカで15歳の女の子と一緒に写真を撮ってそれを自
慢したとか、ロシア人に「日本に帰るな、ロシアにいてデッカイことやれ」と
スカウトされた話とか、子供の頃から酒には底なしだとか、洋書を読んで実験
がしたくてしたくてたまらない、馬のひづめからアンモニアと作ろうとした
ら、これが臭くて臭くてたまらない、近所からも文句が出るから、小舟を借り
て実験器具を積み込みそこで実験、川岸から臭いと叱られれば舟を河上へ、河
上で臭いと罵られれば舟を川下へ、とまあこういうバカなことばかり書いてあ
る。最後のくだりを「感心な実験精神の現れ」と感動してみせる人がどこかの
サイトにいたが、福沢諭吉を最初から偉いとおもって読みにかかるからそうな
るのであって、虚心に読むならここは笑うところだ。むしろむやみに有り難が
るのは、福翁の意に叶わぬところだろう。虚心に読むなら、ここもかしこも笑
うところである。
 事実、歴史を何か英雄の引き起こした事件の連なりみたいに考えることを、
福沢諭吉はそこかしこでしっかりと戒めてる(たとえば『文明論之概略』)。
 さて慶應義塾というのは福沢諭吉が興した学校だが、それが三田に越す経緯
というのが、福沢が病後で、神経過敏になってるのか気のせいなのか、とにか
くなんだかいやな臭いがする。それで引っ越そう、福沢先生が引っ越すなら、
塾も引っ越そうではないか、というのが事の始まり。アンモニアの小舟と同じ
に、要するに「臭い」のせいである。

■■山路愛山『基督教評論・日本人民史』(岩波文庫)==========■
 
 さて、福沢諭吉である。私は子供の頃に福沢の伝記を読んだ。読んだが、こ
の人が何をしたのかさっぱり分からなかった。
 他に私の読んだ伝記ものと言えば、北里柴三郎とかベーブルースとか大村益
二郎、源義経などであるが、こういう人たちなら何をしたのかよく分かった。
私はさすがにベーブルースにはなりたいと思わなかったし義経は単にばかとし
か思えなかったが、北里柴三郎にはなりたいと思ったし、大村益二郎の好物だ
ったらしい豆腐を急に食べたりした(私も可愛らしかったものだ)。福沢の
「口」も今では可愛いと思うが、大村の「手」の方にひかれたのは確かだ。二
人は仲がよくなかったようである。しかし、何といっても一番興奮させてくれ
たのは湯川秀樹だった。今から思えば、私の読んだ湯川秀樹の伝記は、本人の
自伝『旅人』を主に参考にして書かれたものだったらしく、この『旅人』が結
構面白いのである(昔は角川文庫で読めた)。
 さて、福沢諭吉である。なぜ福沢諭吉がつまらないか、それでも貴重なの
か、というのを一言で教えてくれるのが山路愛山である。全部読んでいない
し、読む気もないが、『基督教評論』には「耶蘇伝管見」と一緒に「現代日本
教会史論」が入っていて(分量的にはこっちの方が断然多いのだが)、その中
の一節のタイトルが「▲欧化主義に対する最初の反動。福沢諭吉論」である。
ほら、半分はもう分かった。だが、キメの言葉はこれではない。こっちの方
だ。
 「余をして少しく新日本のボルテールたる彼を論ぜしめよ。」
 これで全部分かった。福沢諭吉はヴォルテールと同じくらい嗅覚に優れてい
て、ヴォルテールと同じくらい中途半端で、自分の思想がなく、口がうまかっ
た、と言えばこれは余計である。
 ついでに「耶蘇伝管見」。
 ルナンから田川健三まで、どれくらいイエス伝が書かれたことか。それどこ
ろか、福音書が既にそうなのだが、彼等は全て後の時代の人である。イエスど
ころかその時代についても知らない人々である。ところが、わが山路愛山だけ
は実際にイエスの同時代を見聞しているのである。ナザレにも行ってみたし、
識者「歴史先生」にも話を聞いて時代状況もよく把握している。ただし夢の中
でであるが。しかし、見てしまったものはしようがない。その記録が「耶蘇伝
管見」である。なかで、イエスの教えの非独創性や、仏教などの影響の指摘な
ど、イエスの相対化が行われている部分がある、と言えばこれも余計だろう。
因に、イエスもそこそこ偉いがバプテスマのヨハネも偉い、ヨハネとイエスの
関係は、法然と親鸞の如し、とのことだが、これもまた蛇足である。
 

■■坪内良博・坪内玲子『離婚:比較社会学的研究』(創文社)======■

 「民法出でて、忠孝滅ぶ」とは、誰が言ったのか。
 近世、ぶっちゃけていえば江戸時代は、近代に入ってよりずっと離婚が多
かった。ぐっと離婚率が下がって、それまでの1/3にまで減るのは、
1898年の民法親族編の発布以降なのである。
 離婚が減ればそれでいいってものではないが(逆に減ったからどうだという
ものでもないが)、ここにいう「忠孝」とはいかなることなのか、「民法出で
て、離婚が減ると、忠孝は滅ぶ」のか、それでいくと、「夫婦別姓」が家族解
体に繋がると懸念を示す人々は実のところ「家族解体・離婚が増えて、忠孝復
活」というのを阻止せんとしているのか、このようなネジくれた話は、どこか
に否定すべき「あやまった仮説」があるからだとすれば、それは何なのか。

■■ラッセル『数理哲学序説』(岩波文庫、他)=============■amazon.co.jp

 今まで黙っていたが(隠すつもりはなかったが)、「テツガクショ」という
のは危険だ。世が世なら持ってるだけでつかまっちゃう。つかまらなくても、
白い目で見られる。マルクスは社会主義国家と共産党を準備したと非難され、
ニーチェはナチズムに利用されたと非難され、ハイデガーはナチズムに荷担し
たと非難され、フロイトは男根主義者だと批判され、ベルクソンは弟子がみん
な右翼で、たとえばムッソリーニのファシスト党の理論的根拠になったソレル
(「暴力論」)だってそうじゃないかと非難される(いや、それ以前の問題
か)。こういうのが「危険思想」であるという訳ではない。こんなのはせいぜ
いが、ただの「思想」だ。なんとなれば、「危険」でないような「思想」など
ある訳がないからだ。
 「思想犯」で刑務所に入ったりすると、その「思想」なところが「犯罪」だ
という訳だから、当然のことながら「思想」な本は禁じられる。したがって
「思想犯」の人は、「思想」でないカントの本とか聖書とかを読んだのだけど
(こういうのは大丈夫で人畜無害だとされたのだ。まったくいい加減なもん
だ)、ラッセルのこの本は、刑務所の中で書かれた。
 ラッセルはもちろん思想犯だった。いろいろと破廉恥な振る舞いをしたあげ
く、「戦争反対」まで唱えたからだ。
 さて、普通の「思想犯」なら、外から持ち込まれる本が「思想本」でないか
どうかチェックするのだ。ところが、今度は刑務所の中で、今まさに「思想
本」の疑いのあるものが作り上げられようとしているのだった。おまけにその
内容ときたら、なんと「数学の哲学」で、ありていに言えば、「1+1が2に
なるのは何故か? それはどういうことか?」などを延々と糞真面目に考え、
構成し直そうという本だったから、看守さんは教育のある人だったけれど、こ
れがいったい「あぶない思想」なのかどうか、よくわからなくて悩み込んでし
まった。(→答えはもちろん、看守さんが悩み込んでしまったことからも分か
るように、「あぶない思想」である)。そこでラッセルは人のいい看守さんに、
これは「戦争反対」かそういうのとは全然無関係で(それはそうだ)、全然
「あぶない思想」じゃありません(どうだか)、とこっそり耳打ちした。彼を
苦しい読書から解放してあげたのだ。
 「数学の哲学」は、ラッセル対ゲーデルの対立を軸に展開する。というか
ラッセルの壮大な夢が潰えた後に(ゲーデルを先陣とする攻勢に完膚無きまで
片づけられた後に)、はじめて存在理由を持って展開する。ラッセルは結局の
ところ、この方面での後継者をもたなかったが、それはあまりにも彼が偉大
だったからで、ある一方の極の偉大な「完成者」であったからだ。その夢と
は、一方の極とは、人間が数学を完全に把握できるという夢(思想)だ。この
危険な思想家は、この夢をよほど多くの人に、よほどはっきりと見させるほど
魅惑的に思想を説いた。しかも、その夢が実現可能であるかのように思わせ
た、厳密かつ有効な方法付きで。誰も自らの思想の実現手段を、こんなにはっ
きりと示せた者はいなかった(今もいない)。そしてこんなにも実現して見せ
た者もいなかった(今もそうだ)。ラッセルはしくじったのではなかった。あ
まりにもうまくやりすぎて、あまりにも「完成」に近づいてしまったので、そ
して誰でもその「完成」に近付き得るようにしたので(これも比類ないこと
だ)、その「完成」が実は不可能であることが見て取れるところまで、人を導
いてしまったのだ。ラッセル−ホワイトヘッドの体系の上に乗って、その不可
能を見たのがクルト・ゲーデルである。そして哲学は、「完全に把握する」こ
との不可能性から、ひとつの「思想」の死から、始まるのだ。


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