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           読 書 猿   Reading Monkey
            第21号 (冬の文学号)
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■■山田風太郎『江戸忍法帖』(講談社山田風太郎忍法全集)======■amazon.co.jp

 忍法帖ものにしては、何だかえらくさわやかな話である。濡れ場も出てこな
いし、あっさり仕上がっていて、破綻もない。その分だけ派手さはないのだ
が、よく考えると、舞台はこれ以上ないくらい派手なのである。将軍の御落胤
が主人公なのであるから。主人公がひどくさわやかな人物に造型してあるのも
そのせいだろう。だから、こういう設定にした時から、この話はあまりドロド
ロをつっこめないものになってしまったのだ。

■■山田風太郎『甲賀忍法帖』(富士見書房時代小説文庫)=======■amazon.co.jp

 これが忍法帖の最初の作品らしい。忍法帖は、その最初からもうバリバリに
飛ばしていたのだとういことが分かる。面白い。

 これ以後の忍法物に較べて、忍者にフリークスが多いことに気づく。
  物語としては、他の忍法物よりも遥かに緊張感があって、破綻もない。余
計なくすぐりもない。私はこれが一番いい(というか、「まとも」だ)と思
う。

■■山田風太郎『忍法関ヶ原』(文春文庫)===============■amazon.co.jp

 短篇集。
 表題作。
 短篇なのに、山田風太郎は、忍者は十人セットで出したいらしい(笑)。
 伊賀者10人である。もっとも、そのうちの6人は物語の発端で既に死んでし
まい、主に登場するのは4人なのであるが。それを迎え撃つ甲賀者は3人で、6
人はやっつけるのだが、それもあっさりした仕方で、結局メインになるのは、
伊賀者4人と、国友村の鉄砲鍛冶4人(油断ならぬ一刻者揃い)である。
 が、どちらにしろあっさりしている。相手となる鉄砲鍛冶をやっつけるのが
目的ではなくて、懐柔するのが目的なので、チャンチャンバラバラはないのだ
が、それにしても忍者が異常に弱い。
 忍法帖は短篇向きではない。

 残りの三編。
 「忍法天草灘」。山田風太郎にしては珍しい結末だが、たいして面白くはな
い。これは忍者が二人。
 「忍法甲州路」はちょっと面白かった。が、結末はわりあい見える。面白か
ったのは、三人の剣士がそれぞれの剣法を会得する過程が描かれていたことだ
ろうと思う。対する忍者も三人。
 「忍法小塚ッ原」が一番可笑しくて、ゲラゲラ笑ってしまった。これは忍者
は一人だが、まあ、忍法帖としても規格外だろう。
 忍者がセットで出てくるというのは、やはり考えてみなければならない。

■■ロベール・エスカルピ『文学の社会学』(文庫クセジュ)=======■amazon.co.jp

親子でできる計量文学史

[研究の特徴]
 ・容易である
   文献学的トレーニングも、テクストの精読も、関連文献の猟書も、
  批評理論の学習も何もいらない。今日からすぐにも始められる。
   低学年の児童にも十分可能なので、夏休みの自由研究に最適。
  (昆虫標本とちがって、嫌な臭いも発しない)。

 ・客観性が高い
   数的処理が主なので、論者の主観や情念やルサンチマン、文学と
  いうものに対するナルチシズム等が、研究の中に混入しにくい。

[研究の方法]

 1 研究材料を集める
    研究対象は、「作品」や「作家」といった個的事象でなく、
   マッス(集合)である。
    今回は、「作家名簿」を、できるだけ長い年数分集める。

 2 データを抽出する
    「作家」の数を、年齢別に数え上げる。
    「文学者」の年齢別人口構成を、各年ごとに抽出する。
    (長い年数に対象が渡る場合は、5年きざみ等に行う)。

    今回は、40歳以下の「文学者」(以下、若手文学者と表す)
   の数を用いる。
    各年ごとに、「文学者」全体に対する「若手文学者」の割合
   を求める(パーセント表示)。

 3 データを図表化する
    ヨコ軸に年号、縦軸に「若手文学者」の比率(%)をプロット
   して、折れ線グラフを作る。
    ヨコ軸に、その年号当時に起こった「事件」等を書き加えても
   よい。

[研究の実際]

 ロベール・エスカルピ著『文学の社会学』(邦訳 文庫クセジュ)に紹介さ
れている研究を例に取ろう。
 同書 邦訳48〜49ページに、1550年から1900年までの「フランス
文学」について、同じようにして作ったグラフがある。

 グラフのおおまかな見方はこうだ。

//グラフが右上がりである期間//
   この期間、文学者全体に対する「若手」の割合が増大している。
   つまりこれは、文学人口の「若返り」を示す。

//グラフが右下がりである期間//
   この期間、文学者全体に対する「若手」の割合が減少している。
   文学者といえども人間であるから歳を取る。放っておけば、
  「若手」の割合は減り、グラフは、自然に右下がりとなる。
   つまりこれは、文学人口の補充が止まったことを意味している。
   生物学的老化以上の勢いでグラフが右下がりする場合は、若手
   作家を直接減少させる、戦争などの外圧が考えられる。
  (人はいきなり老人になることはできないので、老作家の急増は
   有り得ない)。

//グラフの山(凸の頂点)の部分//
   グラフが「右上がり」から「右下がり」へ切り替わるポイント。
   すなわち文学人口の「若返り」が停止し、文学人口の補充が止
   まったことを意味する。「新人」に対するあらゆる障壁が生ま
   れる。

   グラフの山頂には、すべて政治的硬化が対応している。

   エスカルピのグラフでは、1630年 リシュリュの勝利、ルイ14
   世、15世の親政のはじまり、フランス革命期の恐怖時代、そし
   て7月革命が対応している。

//グラフの谷(凹の頂点)の部分//
   グラフが「右下がり」から「右上がり」へ切り替わるポイント。
   すなわち文学人口の増加、文学者になることを押し止めていた
   あらゆる障壁が解体し、文学人口の「若返り」がはじまる。
   これは文学自体の「若返り」、新しい時代の始まりである。

   グラフの谷間には、すべて政治的弛緩・開放が、あるいはひとつ
   の治世の終わりが対応している。

   エスカルピのグラフでは、1598年 宗教戦争の終息、1652年
   フロンドの乱の終息。そしてルイ14世、15世、ナポレオン
   一世および三世の治世の終焉が、グラフの谷に対応している。

[研究の展望]
 「作家名簿」さえ手に入れば、どの国についても、同様のグラフを作成する
ことができる。ただし、長い期間に渡る「作家名簿」の入手はやや困難であ
る。多くの読者を持つ作家でも「作家協会」なるものに入っていない(入れて
もらえない)者も多い。「作家」の基準も、歴史・時代に応じてまちまちであ
る。
 「若手作家」の割合だけでなく、全文学者に対する、たとえば小説家あるい
は詩人の割合、女流作家の割合、……、いくつものグラフが作成可能である。
 複数のグラフを重ねることも、興味深い(計量比較文学史の可能性)。政治
的・社会的ファンダメンタルと、グラフの対応は、多分、株価の罫線よりも相
関が強い。

■■原文James Joyce;和文:柳瀬尚紀『フィネガンズ・ウェイク I・II』■=■amazon.co.jp
(河出書房新社刊:初版1991/09/20)

世界に類を見ない(見ても分からんというのはある)ジョイス語を和文表現
した柳瀬尚紀大人入魂の一発である。おっと、この「世界に類を見ない」とい
う句は、後に続く全ての名詞を修飾するものである。念のため。でも、この書
いた本人にしか意味が見えないんじゃないかって本、結構、売れたらしい…
と、はーう゛ぇい書いてる本人も2冊買って売り上げに貢献しているが……
(「はーう゛ぇい」の意図はリーダーズプラスの"Harvey"の項を参照の上、熟
考せよ、うっきー)。

さて、本書は「柳瀬尚紀訳」という表示記載になっているが、柳瀬大人の訳
業は、通常の翻訳とは異なり、必ずしもジョイスの原文との“一致性”を狙っ
たものではない。それはこの本の訳文、いや、柳瀬語をヨめば一目瞭然であ
る。例えば、ここ…。

伊勢丹呵には罵西武器にするものの、丸井人物には全力東急。

...; if he outharrods against barkers, to the shool-
bred he acts whiteley ;......
[p.127,11-12]

“小説”の舞台はアイルランドの首都たるダブリンである。また、原文が書か
れたのは1922〜1939年という時代である。場所的も、時代的にも、ま
たさらにジョイスの碩学を考慮したとしても、ここに伊勢丹、西武、丸井、東
急という日本の大手百貨店名(社名)が出てくるのはおかしい。原文を見て
も、これらの固有名詞を直接導く単語はない。しかし、原文の "outharrods"
という単語に含まれる "harrods"に注目。そう“ハロッズ”といえば、あの故
ダイアナさんと親交のあったアル・フェイド家がオーナーであるロンドン随一
の名門百貨店である。ここでこのセンテンスにおける「百貨店」との“つなが
り”が明らかになる。でもって、ロンドンの百貨店名百花繚乱4連発、即ち
"Harrods", "Barkers", "Shoolbrad's", "Whiteley's"となってくるわけっ
ちゃ。でも、ここで百貨店名を羅列する必然性や理由はち〜ともないのだが。
この小説はダブリン在住の男が酔っぱらってぐ〜すかぴ〜と寝ている最中に見
ている「一夜の夢」を描いた作品であるということで、いろんな記憶がぐちゃ
ぐちゃになっていることを駄洒落や織り句を駆使して表現しているわけっ
ちゃ。

さて、ジョイス語と柳瀬語を対比して、柳瀬大人の意図を考えてみる。

まずは、"outharrods"。これは英語の"out-Herod" に対応するジョイス語動
詞と思われる。リーダーズ英和によれば『vt. [通例 成句で] 《残忍・放縦さ
などで》 …をしのぐ』という意味である。語源的には『ハムレット』の用語で
「残忍さでヘロデ王をしのぐ」というところ。この動詞の対象は "barkers"
「怒鳴り散らす人達」。
従って "if he outharrods against barkers" は表向き『彼が怒鳴り散らす
者たちを凌げば…』といった意味になる。ここで柳瀬大人は、まず『怒鳴り散
らす』ことをイメージさせる言葉と、有名百貨店名とその“音”のペアリング
を行う。その結果が『啖呵』と“伊勢丹”、『罵声』と“西武”である。そし
て原文の意を「威勢のいい啖呵にはそれを凌ぐ罵声で闘う」として、『伊勢丹
呵には罵西武器にするものの』という和訳文になったわけっちゃな。

次は後半。"to the shoolbred he acts whiteley" である。
まずは"whiteley"。リーダーズ++によればロンドン最初の百貨店が
"Whiteley's"だそうだが、ここでは"politely"「adv. 丁寧に; 上品に.」に対
応するジョイス語である。「ホワイトリー」と「ポライトリー」、これがジョ
イス風の駄洒落だっちゃ。従って、"he acts whiteley"は"he acts politely"
「彼は上品に振る舞う」ってな意味になる。で、何に対して、そう振る舞うの
かという、その対象が"the shoolbred"である。"shoolbred" は「シュールブ
レッド」と読むとすると馬の「サラブレッド」"thoroughbred"が連想される。
「サラブレッド」は「毛並みのいい人」「優雅に振る舞う人」という意味があ
るのはご存じの通り。これらにさらに「百貨店名」の味付けを加えて、柳瀬訳
『丸井人物には全力東急』が生まれたわけっちゃ。

でも『全力東急(投球)』という些か汗臭い句を "act politely" の和文化
として当てるのはイマイチな感じがする。また、"Whitely('s)" がロンドン初
の百貨店であることも考慮したい。つまり、ここに織り込むのは日本一の老舗
デパート『三越』とすべきである。おっと、お断りしておくが、わたしゃ三越
の腰巾着ではない。念のため。
で、三越を押し込んでみると、例えば『丸井人物には突く指三越低く』。意
味を取りやすく書き換えると『丸い人物には突く指三つ、腰低く』。つまり、
「良家の方々には、三つ指突いて腰の低い態度で臨む」ってわけっちゃ。うっ
きー。

『フィネガンズ・ウェイク』周辺については、また後日別途投稿も有り得るな
り。ではまた、それまで誤記言用。


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