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           読 書 猿   Reading Monkey
            第22号 (お茶はいかが号)
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■■ナボコフ『ロシア文学講義』(TBSブリタニカ)===========■amazon.co.jp

 結末の決まってる推理小説はつまらない(しかしそうでないものは数少な
い)。つまらないソビエト文学はつまらない。ところで、「最後には〈党〉が
勝つ」という結末の決まってるソビエト推理小説は、どうだろうか。ナボコフ
の話(『ロシア文学講義』「ロシアの作家、検閲官、読者」)に耳を傾けよ
う。

|「(普通の、西欧の)推理小説の作者は間もなく殺人の起こる田舎の別荘ある
|いは列車の内部に大勢の人物を集めるが、それとおなじように、有能なソビエ
|ト作家はある工場または農場の創設にかかわった大勢の人物を最初に集めてお
|く。
| ソビエト小説の場合、犯罪者は敵のスパイと言う形で現れ、そのスパイが問
|題のソビエト企業の労働や労働計画を妨害するのである。そして普通の推理小
|説と同じように、粗暴で陰気な男が本当に悪人なのか、あるいは弁舌さわやか
|な明るい社交家が本当に善人なのか、読者には容易に判断しかねるようなやり
|方でさまざまな人物が紹介される。
| 英米の探偵に当たる人物は、ソビエトでは、革命直後の内戦で片目を失った
|年かさの労働者か、さもなければ、何かの生産額がかくも異様に激減した理由
|を調査するために党本部から派遣された、健康そのものの若い女性である。
| (中略)
| クライマックスに到達すると、悪漢は口数の少ない健康な女性によって化け
|の皮を剥され、私たちは薄々そうではないかと思っていたことがやはり事実で
|あったと知る-----すなわち、工場の生産を阻害していた人物は、マルクス主
|義の用語を間違えて発音する癖のある小柄な醜い老職人ではなくて(その善意
|の魂に祝福あれ)、マルクス主義の用語にたいそう詳しい、如才のない、感じ
|のいい男の方だったのである!その男の暗い秘密とは、義母の従兄がある大資
|本家の甥にあたるということである。」

これには笑った。

■■能田達規『おまかせ!ピース電器店』(秋田コミックス)=======■amazon.co.jp

 『キテレツ大百科』などのガジェット系少年マンガを引き継ぐ逸品。
 主人公のケンちゃんは、キテレツ君と同じく自分で「道具」を作ってしまう
能力を有するが(有能だが実用的でないガジェットたちと共に、主人公がオチ
を引き受けるコメディ)、重要なのは彼が「ピース電器」という電気屋さんの
跡取りであることである。ピース電器の社長である彼の父は、さらに有能で半
ば実用的な(そして大いに趣味的な)ガジェットをつくり、商店街をはじめ町
の人たちに頼りにされている電気屋さんなのである(学生時代からの、いつも
負かしていたライバルは大メーカーの創業者社長になっていたりする)。
 大店法が撤廃されようという昨今、これだけの技術と高いプライドを持った
「地域を支える商店街の電気屋」というだけでも大いにうらやまれる存在であ
るというのに、すでにして高い技術と自分にも勝る情熱を持った「未熟者」を
息子に持つことなど、ほとんど空想に属する事項だろう。
 これはすべての自営業者にとっての『ドラえもん』である。

■■柏木英彦『アベラール−言語と思惟−』(創文社)==========■

 買おうとする時にいやな予感がしたが、それがあたった。
 これは研究書ではなくて、解説書に属するだろうが、解説書には二種ある。
著者が勉強しながら書いているものと、著者が既におこなった研究の成果を踏
まえて書いているものである。これは当然前者に属する。だから、アベラール
についての単なる紹介にすぎないばかりか、その紹介の仕方も下手で、まるで
学生のレポートを読んでいるようで、あるいは、それでは学生に失礼かも知れ
ないというくらいである。ただ、著者は哲学者でも神学者でもなくて、ラテン
語学専門らしい。その点で語学に疎い私には分かり難かったのかも知れない
が。それと、この本の他に、まともなアベラール書というものが日本ではない
から、ということもある。また、著者は、勉強は好きで、またよく出来る人の
ようである。もっとも、それが救いになっていないところがあれなのだが。

■■Q.D. Leavis."Fiction and the reading public"(Chatto&Windus,1932)==■amazon.co.jp

 今でも「最近の若い者は本を読まない」とのたまう人たちがいる。当人たち
がどんな立派な本をお読みあそばしてるか、ぜひ教えていただきたいところだ
が(中にはプロの著作家や教師などもいるのである)、実際は聞かない方がよ
かったと思うことが多い。本当にああいう「自称読書家」たちにも、もっと
ちゃんとした本を読んでいただきたいものである(書く方は無理だとしても)。

 さてQ.D.リーヴィス(Fiction and the Reading Public,1932)は、次の
ようなことを言っている。時代を経るにしたがい、文学を読む力はどんどん低
下してきた。我々はますます文学を読めなくなってきた。そして、それに対応
して、文学作品も変化していった。ぶっちゃけていえば、読者のアタマはどん
どん弱くなっていった(文学もそれにあわせてダメになった)、というのが近
代文学の歴史だ、というのである。

 もちろん、これだけのことなら誰だって言える。「最近の小説はつまらな
い」だのいう人はいくらでもいる。けれどもリーヴィスにとって重要なのは
「つまらない小説」の隆盛でなく、そんなものを隆盛させた「読み手」の方で
ある。更に言えば、18世紀末以来、「小説」なるものを成功させてきたも
の、つまりReading Public(読者大衆)という「読み手」の存在と彼らの態度
が、リーヴィスのまな板に乗るものである。

 かつて(清教徒革命〜18世紀)家庭で読まれていたのは、聖書であり、バ
ニアンであり、ミルトンだった。18世紀は、感傷より理性を、扇情的なもの
より、抑制の利いた表現を好んだ。
 「通俗小説」に必要なテーマや様式のほとんどは、批評家が次々登場する作
品のすべてを読まなくなった(多すぎて読めなくなった)18世紀末に出そろ
う。もう一つの重要な契機は産業革命だった。従来の「読書」は田園で生活す
る一家にこそふさわしく、新しく台頭してきた都市生活者の時間の過ごし方と
しては不向きだった。家庭での読書は一変し、有力だった読書の形態、家族で
の朗読は消え失せた。この変化が、最も古い文学、そしてずっと後になっても
広く読まれていた文学である詩を死滅させた。
 読書クラブと連載小説が始まり、人々は日々の目新しいニュースやスキャン
ダルを求めるごとく、小説(ノベル)を読み漁る。ミルトンやスターンを理解
し得る、あるいは理解するまで我慢できる、忍耐強い読者は過去のものとなっ
た。
 ディケンズはまだ読者の人気を博することができた(彼は自分の雑誌に連載
した)。1850年ごろ、あの辞書制作者サミュエル・ジョンソンは、篤志者
による保護を得ようとして果たせず、結局ペンで生計を立てなければならなく
なった。そして彼はその後に続く何人もの「作家」たち同様、商業的成功をお
さめ、そうできてはじめて生き残れた。しかしそんな時代はほんのわずか続い
ただけだった。「作家の書きたい作品」(あるいは「質の高い作品」)と「成
功する作品」(ベストセラー)は、19世紀末には分離し始めていた。ディケ
ンズやジョンソンやジョージ・エリオットにできたことが、コンラッドやジェ
イムズにはますます困難になった。
 批評はますます「読書生活」から分離し、手厳しい「批評」はそれだけで
「平均的読者」への不実(うらぎり)のように感じられるようになった。「読
みにくい小説」の「文学的」価値を認める批評を見て、「平均的読者」は嘲笑
されているように感じた。「平均的読者」は小説をかつての詩作品のように読
むようには鍛えられておらず、「稚拙な文学」にも不快感を覚えないほど堕落
させられていった。彼らのためにたくさんの「代用文学」が量産され、また
「成功する作品」の手本になった。「平均的読者」が本を閉じるのは、不快感
よりむしろ退屈によってであり、紋切型の思考や感情が喜ばれ、逆に人々の精
神的習慣を問題にする「すぐれた小説」は読者の偏見に逆らうが故に「訳がわ
からない」ものになった……

 と、こんなのがリーヴィスが描いた「すっかりダメになった」1930年頃
のイギリス読書界と、そこに至る「文学史」である(当時の読書家は、今いっ
たい何歳になっているのか、と「最近の若い者」としては問うてみたい)。
 リーヴィスは、このような社会学的(あるいは文化人類学的)研究が、文学
の芸術的価値の擁護につながると考えていたらしい。今ではちょっと信じがた
い(今も生き残る「文学好き」のパターンではあるが)。


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