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           読 書 猿   Reading Monkey
            第122号 (カポエラのカポエラ号)
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■■小熊 英二『“癒し”のナショナリズム』(慶応義塾大学出版会)=====■amazon.co.jp

 自称ナショナリストってどうしてああもガキっぽいのだろうと思っていたら、
この本の頭の方で丸山真男の言葉が紹介されているのを読んで、思い出した。戦
前のナショナリズムは、何かの《理念》というよりも、維新後日本は戦争に負け
たことがないという《事実》に支えられていた、という下りである(だから一度
事実として負けてしまうと、その価値は徹底的に減価してしまった)。これっ
て、「失恋」ができなくなってしまった「最近の若者」がストーカーになるしか
ない、っていうのとパラレル(いっしょ)の話だと、(ロジックの輪はふたつば
かり省略しているが)、多分我がカンパネルラ君なら突っ込むに違いないと思っ
た。

 
■■西岡 光秋, 小室 しげこ『リンカーンものがたり―平等と平和を勝ちとった大統領』
                                (金の星社)==■amazon.co.jp

 リンカーンは正直な男だった。正直であることで、とても有名な男だった。
 リンカーンは上院議員になったり大統領になったりした政治家だが、正直な男
だった。
 政治家が正直であるとはどういうことだろう?
 それは、リンカーンが好んで口にした「なぞなぞ」を聞けば分かる。
「犬のしっぽに「足」という名前をつけました。さて、犬の足は何本になったで
しょう?」
問われた人々が、5本だとか、3本だとか、7本だとか、いろいろに答える。す
ると、リンカーンは答えを教えてくれる。
「答えは4本です。しっぽに「足」と名前をつけても、それで足の数が増える訳
ではありません」
 政治家が正直であるとは、こういうことである。


■■松沢哲朗・長谷川寿一『心の進化』(岩波書店)===========■amazon.co.jp

 どこの国でも、どの文化でも、いちばん人を殺すのは若い男である。年齢別の
殺人率(ここでは人口100万人あたりの殺人者の比率)をグラフに描くと、
10代後半から急増し20歳代前半をピークに達する。数の多い少ないはあって
も、どこの国でも、どの文化でも、このグラフは同じような形になるので、ユニ
バーサル・カーブという名前がついたくらいである。
 調査されている限り唯一の例外が、現代の日本社会である。「現代の」という
のは、1955年あたりまで、日本の殺人率のグラフはきれいなユニバーサル・
カーブを描いていたからだ。その後、殺人率の年令分布が変わりカーブは崩れて
いったのである。何が起こったのか?
 まず総数として殺人(者)が減った。いわゆる「戦時中」を除いて、日本の殺
人率はほぼ同じ水準を維持してきたが、1950年代以降、殺人率は減り続け
た。これを年齢別に見てみると、均等に人を殺さなくなった訳ではないことが分
かる。
 最大の変化は、なによりも若者の殺人が激減したことである。20代男の殺人
率は、1994年には1955年の1/13になった。10代男でもやはり1/
10に激減した。一方、40〜50代男の殺人率は半減程度しか減らなかった。
最大の殺人者年齢層において殺人率が激減したことで、殺人率グラフのピークが
なだらかになり、ユニバーサル・カーブからますます離れていったのである。
 いまや最も人を殺すのは40〜50代男である。少年犯罪を過剰に報道する傾
向を、データベース化されている朝日新聞の記事を使って示した研究があるが、
そうした影に隠れて、いつのまにか日本は「殺人おやじ」の国になってしまって
いたのである。
 しかしなぜなのだろうか?
 ひとつの考え方はこうである。現在の40〜50代は、かつて少年犯罪がピー
クであった時代に「少年」だった人々である。つまりコーホートでみれば、彼ら
は市場最悪の犯罪世代なのである。「悪いやつが悪いことをするのは当然だ」と
いう、防犯思想のカケラもない犯罪者観に立つならば、事は簡単である。しかし
殺人率自体は、最も人を殺す現在の40〜50代についても、かつての1/2で
あることを忘れてはいけない。現代のおやじは、かつてのおやじほどには殺して
いないのである。ただ、現代の若造がかつての若造よりもはるかに殺さなくなっ
たが故に、おやじの殺人比率が高くなったのである。これは団塊世代凶悪説では
説くことができない。
 ユニバーサル・カーブのくずれを指摘した長谷川寿一と長谷川眞理子は、その
主因である中高年男性の殺人率が顕著には下がらなかった原因を次のように分析
する。彼等は戦後進んだ急激な高学歴化社会に取り残された世代である。ほとん
ど人が義務教育で教育を終えていた世代と、9割が高校へ進学する世代のはざま
で、戦後の進行する学歴インフレによって減価され、経済成長の恩恵を平等に受
け取ることのなかった世代集団で、殺人率の低下がはかばかしくないのでは、と
いうのである。
 この説明の説得力はともかくとして、世代的に分断された2つ以上の社会の重
ね合わせとして「日本社会」を見るロジックがここにある。急激な社会変化によ
る世代効果が失われるだろう数十年後には、再び日本の殺人率グラフは、ユニ
バーサル・カーブに近付く:若い男が最も人を殺す社会になることが予想され
る。
 最初に考えたオチは、忘れた。
 


■■E.Moberly Bell『OCTAVIA HILL』(CONSTABLE)=========■

 オクタビア・ヒルの伝記である。
 オクタビア・ヒルというのは有名な人で、バラの名前にもなっている(作出年
1993年のピンクの花)。19世紀イギリスには、社会活動の分野で代表的な女性
が二人いて、一人がナイチンゲール、もうひとりがオクタビア・ヒルだという。
ナイチンゲールは病人や戦争に傷付いた人を助けたが、オクタビア・ヒルは人々
が病気にならないように助けた、というのである。
 日本では、ナショナル・トラストの生みの親であることの方が、ずっと有名で
ある。ナショナル・トラストは、サー・ロバート・ハンターという弁護士と、
ハードウィック・ロンスリーという牧師と、それからオクタビア・ヒルの出会い
から始まった。自然や歴史的環境を買い取って保存するというのがナショナル・
トラストである。1907年にはナショナル・トラスト・アクトという法律がイギリ
ス議会を通り、国民が国民のためにお互いにお金を出し合って、国民の貴重な環
境を買い取って保存するこの活動を法的に認めた。さらにナショナル・トラスト
が国民から寄金を集めて、それで買い取った土地や家屋を売ってはならないし、
抵当に入れてもいけないし、さらに重要なことだが議会の同意なしには正負と家
でも強制収容することができない、だから買い取られた自然や不動産は未来永劫
に保存される、といういわゆる「譲渡不能の原則」が定められた。
 ナショナル・トラストが始まる1895年よりも30年以上も前に、オクタビア・
ヒルが始めた試みによって、彼女はすでに著明だった。オクタビア・ヒルがはじ
めたのは「住宅管理」というものだった。
 ここでいう住宅管理は、単なる建物のメンテナンスや、宅配の荷物を預かって
くれることなんかとは、まるで違う。
 オクタビア・ヒルは「住宅管理」で、スラムを改善しようとした。イギリスは
世界でいちばんそういうことをしたのだが、スラムをぶっつぶして公営住宅に建
て替える方法には、オクタビア・ヒルはずっと反対していた(それがイギリスで
隆盛するのは、彼女のずっと後のことだが)。なぜなら、建物を取り替えても、
そこに住む人たちの生活が変わらなければ、そこは再度スラムになるからだ。
 オクタビア・ヒルの「住宅管理」が卓越していたのは2つの点においてであ
る。
 ひとつはそれをビジネスにしたことである。オクタビア・ヒルは5%の利回り
をつけて投資を募り、このスラム改善をやってのけた。
 もうひとつは「住宅管理」を通じての生活改造だった。彼女は投資でボロ屋を
修繕し、住人にすまわせた。仕事を紹介し、所得があがれば、また別の部屋をあ
てがった。一つの部屋に膨大な人が住む密集住はこうして改善した。そして家賃
の遅れだけでなく、住民の「低いモラル」にも厳しく応じた。たとえば子供を学
校にやらない父親には、退去勧告をした。いわばアメとムチの「住宅管理」で、
彼女は住民の生活を「改造」した。おそろしく「上から見下ろした」住宅管理/
感化院としての住宅。
 いまでは考えられないやり方だが、けれどアメリカで(たとえばニューヨーク
のハーレムやブロンクスで)衰退地域を改善したCDC(コミュニティ・ディベロッ
プメント・コーポレーション)などは、オクタビア・ヒルの末裔である。バンダ
リズムや麻薬使用には、退去要求で応じられる。こによって犯罪率の極めて高い
地域に、一種のサンクチュアリが作られる。入居希望倍率は極めて高く(何百倍
を超えたりもする)、ウェイティング・リストも長い。住民選別とサンクション
なき住宅管理はあり得ないのか。
 セルフ・ヘルプを基本とするオクタビア・ヒルの手法は、それ故に最貧困層に
は届かぬものだった(彼女はその層を改善不可能と見なした)。やがて福祉国家
が登場する理由、そしてオクタビア・ヒルの成果を遥かに凌駕して、社会政策が
展開される理由がそこにある。それに福祉国家が潰えようとするなかで、彼女の
やり方がリバイバルする理由も。


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