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           読 書 猿   Reading Monkey
            第111号 (ふぁすとぶっく号)
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■■吉野朔実『いたいけな瞳』(ブーケコミックス)============■amazon.co.jp

に「恐怖のおともだち」という一編がある。
 主人公である小学生の毎日は恐怖に満ちている。ママは入院、パパは仕事で家
にいない。世話に雇われた家政婦はケガばかりして(おまけに眼帯をして片目)、
しかも血がにじんでる。さらには、いつもおどおどしているせいで、学校ではカ
ツアゲされている。この後のストーリーは、ご想像のとおり、恐怖の累積がオー
バーフローし、正体がもっとも確定した恐怖(すなわちカツアゲ)に対して主人
公が逆キレ、ほんのすこし恐怖に満ちた毎日に応じていく気構えが芽生えて(折
良く家族も帰ってきて)大円団、というものである。
 この連作短編の中には、他にもっと思い出していい佳作があったはずなのだ
が、めずらしく読んだ新聞に、以下のような記事があったので思い出した。
 「人は幼児期に愛を十分に受けて育っていないと、人や社会に対する恐れを持
つ。自分がやりたいことをやりたいようにしたら、人や社会から受け入れてもら
えないととらえるので、人や社会の価値尺度から自分の価値を推し量る。すなわ
ち、他者依存的な人格が根底に形成される。
 人や社会の価値基準が、どれだけのことを人ができるかの出来高評価であるの
で、人は自分を含めた人の価値もその人の出来高で評価することになる。この結
果、人は社会の間尺にこたえるべく、出来高を高めるように頑張る。しかし、こ
のようながんばりは、自分が本来好きなことに取り組んでの頑張りではないの
で、挫折や失敗に遭うと、それらの原因を、他者や周囲の状況のせいにする。他
者依存的な性格の持ち主が、他者や周囲への恐れの中で頑張っているので、キレ
やすいのである。
 人や周囲との比較の中で自分の位置を測るので、自分より上に位置する人をね
たみ、下の人に勝ち誇るという卑屈な性格を持つ。恐れの中で生きているので、
他者依存的性格の持ち主は、脳のエネルギーの大部分をこの恐れを払拭するため
に用いることになり、脳本来の持つ情報処理能力を最大限に利用できない。内因
性神経疾患の根源ともなり得る。」
(脳神経科学者・松本元「愛は脳を育む 科学に基づく教育のすすめ5」(京都
新聞夕刊 2002.7.30))
 他者から承認されるためにクリアーしなければならないハードル=《義務》
と、払拭にエネルギーの大半を費やさねばならない《恐怖》に取り囲まれて毎日
をすごす、卑屈な他者依存性格者という、今や耳目になじんだ物語。脳神経科学
の知見というより、これはほとんど、日本型システムの批判という新自由主義の
イデオロギー(笑)といった感じだが(たとえば、絶対服従よりも創造力を重視
する、新しいスポーツ観などと同様に。事実、この著者も「卑屈な他者依存的性
格」の正反対に、イチローやタイガー・ウッズといった事例を「脳の目的とまっ
たく合致する生き方」として上げている。)、事がまたしても「幼児期」に決定
されているために、義務と規律でしつけられた「恐怖とおともだち」の人たちは、
いまさらこんな事言われても困るだろう。挫折や失敗に遭うと、それらの原因を、
「無条件の承認を受けて来なかったから、他者依存性格になっちまった」と他者や
周囲の状況のせいにするだろう。
 そういえば、吉本隆明も、親の過保護よりも、愛情の少なさが問題だといって
いた(笑)。


■■夏目漱石『我が輩は猫である』(新潮文庫、他)============■amazon.co.jp

@月並みの定義

> 細君は不満な様子で
> 「一体、月並月並と皆さんが、よくおっしゃいますが、どんなのが月並なんで
> す」
> と開き直って月並の定義を質問する、
> 「月並ですか、月並と云うと――さようちと説明しにくいのですが……」
> 「そんな曖昧なものなら月並だって好さそうなものじゃありませんか」
> と細君は女人一流の論理法で詰め寄せる。
> 「曖昧じゃありませんよ、ちゃんと分っています、ただ説明しにくいだけの事で
> さあ」
> 「何でも自分の嫌いな事を月並と云うんでしょう」
> と細君は我知らず穿った事を云う。迷亭もこうなると何とか月並の処置を付けな
> ければならぬ仕儀となる。
> 「奥さん、月並と云うのはね、まず年は二八か二九からぬと言わず語らず物思い
> の間《あいだ》に寝転んでいて、この日や天気晴朗とくると必ず一瓢を携えて墨
> 堤に遊ぶ連中を云うんです」
> 「そんな連中があるでしょうか」
> と細君は分らんものだから好加減な挨拶をする。
> 「何だかごたごたして私には分りませんわ」
> とついに我を折る。
> 「それじゃ馬琴の胴へメジョオ・ペンデニスの首をつけて一二年欧州の空気で包
> んでおくんですね」
> 「そうすると月並が出来るでしょうか」
> 迷亭は返事をしないで笑っている。
> 「何そんな手数のかかる事をしないでも出来ます。中学校の生徒に白木屋の番頭
> を加えて二で割ると立派な月並が出来上ります」

適当に改行を加えました。


■■宮本一子『内部告発の時代----組織への忠誠心か社会正義か』(花伝社)=■amazon.co.jp
■■深井純一『水俣病の政治経済学 産業史的背景と行政責任』(勁草書房)==■amazon.co.jp

 何度か使ったフォークロアなのだけれど、すでに寓話上の人物になって久しい
「アメリカ人」と、その相手役の「南米人」(メキシコとかブラジルとかチリと
か相当違う気がするが、何しろ寓話の人物なので)が登場する。
 アメリカの映画はこれまで、「黒人」を殺し、「インディアン」を殺し、「ナ
チ」を殺し、「日本兵」を殺し、「共産主義者」を殺し、最近では「アラブ人テ
ロリスト」を殺して、「国民的統合」みたいなものを支えるようなわかりやすい
のがたくさんあった。「敵」を殺すだけではなくて、内部の裏切り者を登場させ
るものをサプリメントの映画もたくさんあった。裏切り者=スパイは、主人公の
友人である。裏切り者=スパイは、けっこう同情すべき事情を抱えている。そし
てアメリカ人だって友情を大切にする。正体がばれた裏切り者=スパイは、友人
であるところの主人公に、後生だからとその友情にすがって見逃してくれとのた
まう。が、我らが主人公は泣く泣く首を振り、裏切り者=スパイを断罪するので
ある。友情を計りにかけて、それより重いアメリカ社会(国家)というメッセー
ジである。
 これを見て、わが寓話上の登場人物である「南米人」は烈火の如く怒るという
のである。その映画の主人公を指さし、奴こそが裏切り者だ。友情を捨てて、
「国家」なんかをとるなんて、この人非人め!というのである。
 さて、寓話上の「日本人」は、もちろん「私(ワタクシ)」を捨てても「組
織」を守る、たとえ「社会」全体に毒入り食物や放射能が巻き散らばっても、と
考えられている。がそれはどうもウソらしい。意外なほどの数の人が「内部告
発」に好意的だし、外部モニタや情報公開がちゃんとなれば自分も今までみたい
な「人に言えない泥仕事」をする機会が減るかも知れないと、期待する組織人も
少なくない。
 「自分だってかわいいが、社会にだって害を及ぼしたくない」という普通の人
を守るために、内部告発者を守る制度があちこちでできている。ごく最近、こっ
そりと日本でも一部ながらつくられている。原子力発電に関する法律の中に埋め
込んである。それで告発されたのが昨今の東京電力の事件なのだけれど。
 あの水俣病についても、地元自治体の担当者たち(港湾管理担当、水産課、保
健所)はずっと早くからその危機をつかみ、打つべき対策を上層部に上げていた
(もちろん握りつぶされた)。公務員には、半ば恣意的に用いることのできる
「守秘義務」があり、手にしたデータの「内部告発」は懲戒処分との引き替えに
なる。政治的正しさに圧殺された担当者たちはしかし、自身の正しさを信じて
か、集めたデータを廃棄せず、ずっと保管し続けた。熱意の研究者がやがてその
倉庫を開き、その公開とかつての担当者たちを守るために、報道機関の特集番組
への資料提供を引き替えに、知事への直接インタビューという揺さぶり戦術を選
択する。知事は、その調査の存在を認め、資料の一部は明らかとなった。
 事は「忠誠心」なのではなく、「自分だってかわいいが、社会にだって害を及
ぼしたくない」という普通の人を守る仕組みなのである。



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