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           読 書 猿   Reading Monkey
             第11号 (心ある人たちのための号)
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■■永川玲二『ことばの政治学』(岩波書店・同時代ライブラリー)=====■amazon.co.jp

 かつて「心ある人」たちの間で、映画製作でできた村上龍の借金を、なんと
かカート・ヴォネガットに肩代わりさせられないか、という企みがあったとい
う。その目的は誰にも明らかなとおり、村上龍を(借金返済のための)駄作の
量産から救いだし、ヴォネガットをもういちど貧乏にさせて再びSFを書かせ
る、ことであった。「計画」がどうなったのか、それはその後ふたりがどんな
ものを書いたか見るしかないが、そんなことを確かめるために本屋へ繰り出す
必要はない。
 だって、そんなつまらないことよりも数万倍心傷めるべきことがあるではな
いか。それは、どうやって永川玲二にもっと文章を書かせるかである。「同時
代ライブラリー」のために新たに書かれたあとがきを読んで、改めてそう思っ
た人は山盛りいるはずである。丸谷才一なんかと『ユリシーズ』を訳している
からといって、色眼鏡で見てはいけない(いそいでつけ加えるが、あれだって
立派な仕事じゃないか)。
 一度、岩波書店に本気で提案したいのは、あのどうしようもない「同時代ラ
イブラリー」をなんとかするために、すべての表紙を『ことばの政治学』にす
ることである。そんなサギまがいは「岩波の良心」に反するというなら、表紙
の方はそのままにして中身をすべて『ことばの政治学』にしてはどうか。これ
なら誰も文句は言うまい。

■■『世界の名著 ラスキン・モリス』(中央公論社)=======■amazon.co.jp

 モリスとラスキンが世界の名著の中に入っているということさえ念頭になか
った。今時だれが読むのだろう。

 解説の部分で、なぜラスキンが名声のきわみから一遍に下落してしまったか
を分析したクラークの説が紹介されている。それによると、「第一には、ラス
キンが大衆的モラリストで説教者であること。かれは五つのときから説教をし
だし、修正あらゆる主題をモラルの一分科として考えるべきだと感じて、あら
ゆる機会を捉えて説教を行なった。」
 笑った。
 「第二にはラスキンは集中力が乏しいこと。これは天才の一部だともいえよ
う。」(ともに39頁)
 これも救いになっていない(笑)。

■■古山寛原作/ほんまりう画『漱石事件簿』===========■amazon.co.jp

 2度の殴打事件の後、棲む着くようにしていた大英博物館を離れ(出入りを
禁じられ)、無為に毎日を過ごしていた熊楠に、一通の便りがあった。懇意に
していたバザー博士が、熊楠に大英博物館の分室であるナチュラル・ヒストリ
ー館(自然史博物館)を使えるよう取り計らったというのだ。
 熊楠はそこで、ある標本を目にすることになる。当時、人類学の徒はおろか
イギリス紳士の口にのぼらぬ日のない、あの標本だった。アマチュア古生物学
者の弁護士が、英国ピルトダウン地方の地層から発見した人類の骨。これが自
然史博物館の地質部長(発掘の最高権威)ウッドウォードに、50万年前の化
石人類と鑑定され、やがて学会に人類と類人猿を結ぶ「ミッシングリンク」
(失われた輪)と認められた「ピルトダウン人」の頭骨だった。
 弁護士ドーソンが発掘したのは、大きな頭蓋骨とそれにぴったり合う原始的
な顎の骨であり、「ピルトダウン人」は、次のことを表していた。つまり人類
の祖先はまず、知性を先に発達させたこと(原始的な顎に対して、発達し大き
くなった頭蓋骨はこのことを示している)。そして、人類の祖先は、アフリカ
なんぞでなく、現在西洋文明の先端であるこのイギリスで生まれたことを、で
ある。
 やがて明らかになるように(しかしそれには半世紀の年月が必要だった)、
それらは西洋人の(後者についてはイギリス人の)偏見だった。ダーウィンを
受け入れているつもりの人類学者たちも、人を猿から分かつ知性に今もしがみ
ついていたのだ。もちろん、標本の真偽は当初疑われた。たまたま人の頭蓋骨
と、猿の顎が、同じ場所でみつかったにすぎないのではないか。しかしその
後、自然史博物館のウッドウォード博士(彼は鑑定者だった)と弁護士ドーソ
ンが共同で行った幾度の発掘で、完全な頭の骨が、そして石器が発見された。
証拠は、信じたい事実を示していた。
 標本の歯が透明すぎること(熊楠にはそれが化石でないように思えた)、骨
に薬品で彩色すればこのような「標本」は作り上げることが可能なことから、
熊楠は「ピルトダウン人」に疑いを持つ。彼には、学者づらした連中の(彼ら
は世間や学会ではいっぱしの学者と認められていたが)、欺瞞や偏見をうんざ
りするほど見知っていた。何よりこのバカ騒ぎにも似た騒動は虫が好かなかっ
た。独力で調査を始める熊楠にまた邪魔が入る。「標本」が偽物であることを
突き止めながら、熊楠は自然史博物館をも追放され、失意の内にロンドンを後
にする。

 ロンドンを立ち去る熊楠と、ちょうど行き違う一人の英文学者がいた。

 やがて精神から胃を悪くしたその男はやむなくある大学医学部の診療所を尋
ねるが、そこで風変わりな医者に会う。彼が何か語る前に、どこから来たの
か、何のためにか、何を研究しているのか……すべからく言い当てていく医師
こそ、熊楠の標本染色の実験に協力したジョン・ベル博士だった。気晴らしに
なれば、とベル博士は、とある日本人に協力した、ちょっとした冒険、とある
「贋作人類」の捜査の話を同じ日本から来た彼、夏目金之助に物語る。
 「私の考えるところ、容疑者は4人いる。どうだろう、君の推理をきかせて
もらえないかね?」
 ベル博士のいう容疑者とは、第一発見者のチャールズ・ドーソン、鑑定者兼
のちの協力者A.S.ウッドウォード、発掘協力者の教区神父(彼は外国人だ
った)、そしてドーソンの隣人コナン・ドイル。
 「前の二人は功名心という動機がありますが、神父というのは?」
 「彼は人類学の素養があったが、また敬虔な神学者として、進化論を認めて
いなかった、という訳だよ。そして神に仕える身でありながら、いやかえって
そのために、神にそむく連中をペテンにかけた」
 「サー・コナン・ドイルというのは、高名な作家では」
 ドイルはベル博士の教え子であり、かのシャーロック・ホームズこそ、恩師
ジョン・ベル博士をモデルにした、ドイルの創造だった。
 「彼は晩年になってから心霊術にのめり込み、それに批判的な、いやむしろ
科学者全体を憎んでいた。科学者への仕返しが動機という訳だ」
 ドイル自身がドーソンに劣らぬ化石の収集家であり、ベル博士の教え子にし
て医者の知識・経験があり、発掘個所の近くに住み、しばしば現場を訪れたこ
とも目撃されていた。
 ベルと金之助の捜査は、とうとうドイルが犯人である証拠をつかむ。しかし
捜査の最後に、証拠品とともに、膨大な妖精画のコレクションを発見した二人
は、どういう訳か情にほだされて(このへんのリクツは忘れた)、すべてを闇
に葬る……。

 という、南方熊楠と夏目漱石(金之助)を主人公にした漫画。なお、この物
語の後日談は次の通り。

 「ピルトダウン人」と命名されたこの化石(ウッドウォードはエオアントロ
プス=曙原人(笑)と名付けた)は、以来大英自然史博物館に展示され、世界
中の地学・人類学の教科書にずっと載っていた。ところがその後の人類学の発
達は、人類の進化について、最後に知性が生まれるとの説を有力にし(しばら
く、最初に知性が発達した猿がヨーロッパ人の祖先になり、最後に知性が生ま
れた猿がアジア・アフリカ人の祖先になったという、二本立て進化論も登場し
た)、ピルトダウン人に疑いの目を向けた。1949年から53年にかけての
徹底的な調査で、フッ素含有量、放射性物質分析、X線解析などから、頭部の
骨は現代人、下あごはオランウータンの骨で、化学的に染色して古く見せか
け、歯は人工的に擦り減らしたものと判明、約40年間信じてきた世界を驚か
せた。教科書に載っていた「ピルトダウン人」は削除され、博物館の展示から
も撤去され、代わりに「科学史上、最大のねつ造事件」として知られるように
なった。
 その後、犯人探しがはじまり、「発見」したアマチュア古生物学者の弁護士
がまず疑われ、80年代に入って高名な推理小説の作者ドイル犯人説が唱えら
れだした。
 その後、自然史博物館の屋根裏に置き忘れられていた「気味の悪い」帆布製
の旅行かばんが発見された。かばんは、かの「ピルトダウン人」発見のころ博
物館の学芸員を務めていた人物のイニシアル付きであり、小動物の死体を入れ
たガラスびんなどの下に、ピルトダウン人と同じやり方で作られた骨があっ
た。この学芸員は当のウッドウォードによって意に染まぬ部署に配されてお
り、そのことが動機の一部であったことが考えられている。このかばんは発見
後長らく忘れられていたが、1996年5月、英科学誌「ネイチャー」が、こ
のことを報じ、犯人探しに終止符を打った。

■■中島敦「悟浄出世」(『山月記・李陵』(岩波文庫)他 収録)=====■amazon.co.jp

 日本文学随一のスピノティスト中島敦が、「わが西遊記」として書き下ろそ
うとしたうちの、その一断片。ピュロンばりの懐疑論者 悟浄が、さまざまな妖
怪の哲学者・思想家を訪ね歩きながら(それらは人間界の古今東西の様々な意
匠のカリカルチュアにして、コンパクトな古今東西の思想のカタログになって
いるのだが)、結局救いも悟りも得られない、という話。
 最期に彼は三蔵法師に出会いその供をすることになるのだが、それでもその
懐疑と独り言はやまない。「少しはましになったのかなあ」と呟きながら長い
旅を始めることになる。「わが西遊記」は、結局は中断されたままとなった。
 思想遍歴ものとしては、華厳経のラスト「入法品界」に、善財童子が、53
人もの善知識(=先生、その内訳は菩薩や神や外道やバラモンや比丘尼など)
たちをつぎつぎと巡るというのがある。似たようなものには、ヨーロッパには
バニヤン「天路歴程」がある。ダンテの「神曲」も、まあ似ていなくはない。
いずれにしろ、こっちのグループは最後にはきちんと悟る(最初の導きは文殊
菩薩、最後のしめくくりも文殊である)。「悟る」ことを前提に、プロセスを
組み立ててるのだから、当然だが(すごろくみたいなものだ)、菩薩道の本道
は、その「あがり=ゴール」を宙づりにするところにあるので、なかなか難し
い。『アウグスチヌス講話』の山田晶によれば、キリスト教の終末論も、他あ
りとあらゆる「終末思想」(人は常に「終わり」を口にしたがるものだ)を徹
底的に無効とするもの、本来は誰にも軽々しく「終わり」を口にさせないもの
なのだそうだ。


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