結合通信(2回生配当) 5:

 今日は作り方の授業。テーマは、「アイスクリーム」か、さもなくば「家」(「アイスクリームの家じゃありません。念のため)。サリーは家を作る班に回ったので、私はアイスクリームを作ることにしました。後でこっそり交替してしまおうと思ってるの。
 アイスクリームだなんてバカにしてはダメ。ほとんど魔法みたいなことをしなくてはなりません。何しろ氷から作らないといけないんだから。冷蔵庫?そんなもの、あるもんですか(あっても使ったりしたら、授業にならないじゃない)。どうやって氷を調達するか、それを今思案中。冷蔵庫を自分達で発明しちゃった先輩もいるらしいけど、アンモニア臭くって食べられたもんじゃなかったって(煮立てたアンモニアを一端冷やしてから、水素ガスの中に吹き込んで気化させるのです。気化するときに熱を奪います)。
 氷が手に入ったら、それを太い筒に入れて、内側の細い筒の中に、ミルクや果汁(学園には威張ってもいいくらいのものがあるのはご承知の通り)や甘味料やバニラエッセンスを入れます。あとは時間をかけて、筒をいつも回しておけばいいんです。

さて、氷をどうしたもんだろう。
 さて、おじさま。
 人類最古の「冷凍装置」は、古代エジプト人やインド人が使ってた、素焼きの瓶です。空気の乾いた夜に(彼らが住んでいた砂漠や台地では、そんな夜はよくありました)、多孔質で液体ならしみ出てしまうようなその土器に、水を張っておくのです。冷たく乾燥した空気に、水が蒸発するときに奪ってく気化熱を利用したのです。
 もちろん、そんなので自由に氷が作れたわけじゃありません。本当の氷が欲しいときは、特に近くに雪の残る山が見えるなら、そこまで氷を取りに行きました。「雪線図」という地図があります。「雪線」というのは、降雪量と雪の溶解量がちょうどバランスしている地点を結んだ線で、その線上の場所はつまり一年かけて「降る雪」と「溶ける雪」が同じ量なのです。これより寒いところ(北半球なら線の北側、南半球ならその逆)は、だから「万年雪」が残っているところです。
 「雪線」は気温と降水量という気候の二つの要素が絡まって決まるので、気候によって地域区分する際の重要な境界線です(気象学の授業で習いました)。雪線の高度をおおまかに見ると、赤道付近(約4800m)から極方向へと次第に低くなっています(0m)。北極/南極ちかくなら海抜0mで、あるいは赤道近くでも5000m級の山(キリマンジャロ!)なら万年雪の見込みがあるということです。けれどもっと細かく見ると、いちばん高いのは緯度20~30度の亜熱帯高圧帯付近(6000m以上)で、赤道付近の収束(ITC)帯および中緯度の寒帯前線(PF)あたりはやや低くなっています。これは降水量分布の影響です。同じ緯度帯でも、卓越風の風上側の山脈と風下側では降雪量や湿度(気温の軟差を通じて或は直接融雪量に関係する)が異なるので、雪線高度が1000m以上も当たり前に違っています。
 ところがどこもやたら遠くて最低でも(船を使っても!)3カ月くらいかかります。笑わないで。実はこっそり私たちも取りに行けないかな、と考えてたんです。(「もちろん!」って笑うでしょうけど)やっぱりとても無理。運ぶ間、氷が解けないようにする断熱材も必要ですし(オガクズぐらいしかないんです)、氷自体が断熱材になるけど、そのためにはやたら大きくなるのでみんなでわんさか運ばないと行けません。くじらの知り合いはいらっしゃいませんか?大っきな氷山、丸ごと押して来てもらうの。

 
おじさま

 あの後、向こう見ずなグループが、大旅行隊(キャラバン)組織して、万年雪に出発しました。半年はかかる旅です。実は誘われたけど、行かなかったのは、サリーと交替して家を作る約束をしてたから。惜しいことしたかな。

 今日の成果: 

 マクスウェル先生は、いきなりスプーンを曲げてみせました。
 「では次に、1cmづつ離して並べた3つのコルクのうち、真ん中だけを持ち上げることが出来るかね?もちろん手を使わずにだ」
そんなの30cm離してあったって、できっこありません。
「むむむ」
はたして、マクスウェル先生が挑戦すると、必ず左右のコルクがいっしょに持ち上がってしまいます。
 先生は念力持ちで、学園では気体運動論を担当しています。先生は今、念力の「分解能」を上げる練習をしているのです。
「なるほど今のところ、念力はとてもおおざっぱな力だ。微妙な力加減も作業の細やかさも望めない。とても手先の器用な人間の指に敵うようなしろものじゃない。けれど人間、強い意志をもって訓練すれば、必ず相当なレベルまで達することができるのだ」
先生の目標は、念力でスイスの自動巻きリストウォッチを分解掃除することでも、米粒に経文を書くことでもありません。
「ゆくゆくは、人間の手にはとてもできないような細かな仕事が念力で出来るようになると、私は信じている。磁石を使わず砂の中から砂鉄だけを集めたり、あるいは分子を相手に「選り分け」を行なったり、そういう仕事だ。
そうなれば、特定の分子同士を選んでくっつけて化学反応を促進させたり---念力触媒だ---、海水の中から塩分を見分けて取り除いたり---念力イオン交換膜---、粉末ジュースだってこれまでのようにかき混ぜなくたって大丈夫---念力撹拌---。それだけじゃないぞ!水溶液中の陽イオンは陽イオン同士、陰イオンは陰イオン同士、振り分けて集めれば、なんと電池になる(念力電池)。起電力が弱くなれば、またイオンを振り分ければいいのだから、半永久的だ。くさい臭いの分子だけをいやな相手に集めて送れば、相手を嫌な目にあわせることだって出来るし(念力ハラスメント)、水蒸気だけを送ればムシムシさせられる(念力過湿器)。そしてこれは私の専門だが、気体の温度が高いとか低いとかは、気体分子の平均運動量による。つまり平均して運動量の大きい(よく動き回る)分子が多ければ温度が高いし、逆ならば低いというわけだ。だから運動量の大きい分子だけを選り分けて相手に送れば相手は暑がるだろうし、逆に運動量の低い分子だけを相手の周りに集めれば相手は寒がって凍えてしまうだろう(念力北風と太陽)」
「すばらしいです、先生!」誰かが“念力冷蔵庫”だと言いました。

 おじさま。もちろん、アイスクリームはまだです。
 マクスウェル先生は、もう何十年もコルクで練習しているそうです。ひょっとしたら、先生は少し「不器用」なのかもしれません。

 作戦を変更して、やっぱり本物の冷蔵庫を作るために、今日は熱力学のカルノー先生の研究室を訪ねました。
「おお、よくきたの。今日は何を聞きたいのじゃな?うむ、冷蔵庫か。そもそも熱機関というものは、2つの熱源を必要としてな。これ、ゆめゆめおろそかに聞くでない。『科学が蒸気機関にしてやった以上のことを、蒸気機関は科学になした』というくらいじゃからな。うむ。つまり2つの熱源、「熱い熱源」と「冷たい熱源(冷源)」じゃな。2つの熱源の温度差=「温度傾斜」が(熱機関がなす)「仕事」の源じゃ。「でぃふぁれんす・えんじん」すなわち差分機関じゃ。つまり熱機関の効率の限界は、2つの熱源の「温度傾斜」によって定まる。資本主義と同じじゃ。儲け(利潤)がないと経済は回らん。じゃが、儲け(利潤)の源いうたら、労働者が働いてつくった分と貰える分の差額じゃ。労働者の「貰える分」が、こ奴が働いた分以下になるのは、失業者がおって賃金が低く押えられるからじゃ。「この賃金で気に入らんなら働かなんでもええ。他にもやりたい言う奴はごまんとおる」という訳じゃ。つまりじゃな、労働者の働きが儲け(利潤)の源になるのは、労働者が「失業者という冷源」と接している時だけじゃ。労働者は1回働くことにいわば「失業」する。労働者-失業者いうのは、つまりフロンガスみたいなもんで、賃金(熱)貰うことで「気化」して「労働者」になり、労働力を売る(熱を失う)ことで「液化」して「失業者」になるのじゃ。「働き続ける」いうのは、この循環(サイクル)を繰り返すことなのじゃよ。
 失業者が増えれば増えるほど(実質賃金が下がって)、「温度傾斜」が、つまり資本家の儲け(利潤)は大きくなる。じゃが、それも限界があるな。あんまり下がると生きていけんようになって、「何か」が起こるからじゃ。じゃがな、この失業者を減らすというのも難儀なことじゃて。失業者をゼロにするのは、絶対零度を達成するようなもんじゃ。たとえば痴れ者どもは、賃金が高いから失業者が多い、などと言いおった。高い賃金→働きたい者が増える→けれど席(職)の数は決まってる→あぶれる奴が出る・失業が起こる、というのじゃ。だったら、賃金下げたら働きたい者は減るんじゃな?減った奴らはどこへ行く?なあ、どこへ消えてしまうんじゃ?(どこに「消える」か、あとで教えてやろう)。実際は、賃金が下がると、物買う量が減って(だって金がないんじゃから)、どこもあまり物を作らんようになって、ますます席(職)の数が減るのじゃ(人手が余って失業者が増える)。逆に労働者が足りんと、給料が上がって、その給料でますます物買う量が増えて、どんどん物作るらんといかんようになって、ますます人の手が足りなくなる。要は「拍車がかかる」のじゃ。
 唯一の方法は、このわしらの宇宙みたいに、どんどん「外」へ断熱膨張して「熱死」を繰り延べすることじゃ。とりあえずモノが売れるなら、どんどん作ればええ。そしたら人が雇えるし、失業が減る。経済成長いうやつじゃ。国外に市場を求めて行くのも一興、そのために戦争するのもまた一興。さきに仕事をでっちあげて、給料払ってしまう手もある(たとえば、古ビンに札束ねじ込んだものを、いっぱい廃坑に埋めて、それを私企業に探させればええ。掘り返すのに企業は人雇う。失業がなくなる。給料貰うたら物を買う……。結果として、実質所得も資本財も増えるじゃろ。家でも建てる方が道理にかなっとるが、政策と現実は難しい言うて何もせんよりは、古ビンでも掘っといた方がましじゃ)。これは、よそ様の国に迷惑かけんから一番ええように思うかもしれんが、結局は同じじゃ。よそから労働者入ってきたり、同じことじゃが(よその労働者が作った)輸入品が入ってきてそれをみんなが買ったりしたら、効果が相殺されるじゃろが。一国に閉じこもって他には何もせんようじゃが、ほっといたら仕事あるところに人が来る、金があるところにモノがくるのは当たり前じゃ。何もせんように見えても、当たり前をせき止めんといかんのじゃから、結局自分とこの失業を、不景気を、見えない仕方で「外」へ押しやっとるのじゃよ。景気がよくて、どんどん人手が欲しいときも同じじゃ。今度はあからさまに、「外」=「熱源」(失業者国)と接続して、労働者を、あるいは(よその労働者が作った)輸入品を持ってくる。いずれにしろ、「かかる拍車」のオーバーヒートを繰り延べするには、「外へ拡がる」「越えて出て行く」しかないんじゃ。
資本主義には、国家以上に「国境」が要る。「熱源」(失業者国)と接するのは、すなわち「国境」だからじゃ。生物の細胞じゃ。細胞膜での物質交換じゃ。イオン・ポンプでイオン汲み出しては、膜の内外でイオンの濃度差作りだし、濃度差で今度は電位差を発生させ、また今度はその電位差でイオン・ポンプで動いてイオンを汲み出す、必要物質/廃棄物の出し入れをやりおるわけじゃ。
 さっき「2つの熱源」と言うたな。「熱い熱源」がいじれんなら、「冷たい熱源」をなんとかすればよいのじゃないか?つまり「冷たい熱源」をもっと冷やせば、結局「温度差」なんじゃから、これでいけるんじゃないか、と思うじゃろ。それが浅はかだと言うんじゃ。「冷たい熱源」いうのは、「熱機関」の排気側じゃ。「捨てる」と聞いてすぐ思い付くのは「ゴミ」じゃろうがそれだけじゃない。要するに「冷たい熱源」というんは、「タダの経済」じゃ。ゴミを捨てるんはタダじゃった。通勤いうて「労働力」を持っていくのもタダじゃった。家事いうのもタダじゃった。この「タダ経済」は、「賃労働」のネガで絶対必要なもんじゃが(たとえば昔の失業者はサラリーも失業手当も貰えんのにどうやって食うとったか。それだけ養うデカイ「タダ経済」があったんじゃ)、必要なだけにどんどん食いつぶされていく。実際、賃金では面倒見切れない、面倒見たりしたら利潤が消えてしまう、ような部分を平気でほっぽいておれたというのは、「タダ経済」を(熱)資源としてそれだけ食いつぶしてきたんじゃ。「タダ経済」がなくなるのを(つまり「タダ」じゃなくなるのを)避けるために、いろんな制度や習慣で「差」を作ったり、その「差」たとえば性別をつかって、「賃労働」と「タダ労働」を分けて交ざらないようにしたり、あるいはどんどん金かかるゴミ処理や道路網や病人の世話、失業対策なんかを「公共費」で賄って「タダ」にみせたりする、つまり「福祉」じゃな。逆カルノーサイクルじゃ。じゃが、そういう「タダ経済」を「冷源」として冷やす努力は、結局あんなに避けたかった「タダ経済がふつうの経済と交じり合うこと」を避け難くする。性差もやがては食いつぶされるし、冷やす努力の高「福祉」自体がとっくにオーバーヒートじゃ。都会を見てみい。どの建物もクーラーで冷やそうとしとるが、あんなものは家の前にあるゴミを、隣の家の前に吐き出すことでしかない。お互い熱吐き出し合って、挙げ句の果てが都会ごと暑うなってクーラーはますます効かんようになる。つまり冷蔵庫などいうものはじゃ、……これ、どこへ行く?まちなさい!これ!」

例えば工場では、使われる機械が同じならそれに必要な労働者の数も変らんのじゃ。雇用を増やそうにも減らそうにも、どっちにしろ大幅にやるには、ちがう機械、ちがうシステムの導入が不可欠じゃ。逆により効率的な機械、システムの導入には、必然的に労働者の数の増減を伴う。企業家は、人間が嫌いじゃもんじゃ、揉め事のもとじゃからな。したがって、新しいシステムはいつも労働節約的なもんになる。
 好況期にはそうはいかん。いくらでも人手は欲しいからじゃ。では不況になったらどうじゃ?物作る量が減るから人はいらんようになる。直接にも人員整理がすすむ。間接的にも新しいシステムを導入することで、より少ない人間でより多くの生産ができるようにリストラされる。古い熟練労働者は、新しいシステムには不要どころか邪魔になる。熟練工の方もそれはようわかっとる。ライダラットの連中は、労働と機械(設備)が代替的だなどと信じる経済学者なんぞよりよほど現実的じゃった。
 いずれにせよ、不況期には、生産システムの再編成・効率化によって、必要な人員数は減る。相対的に「人あまり」、要するに「熱源」を創出するんじゃ。そして「人あまり」の圧力で、実質賃金を下降させ、利潤率を高める。やがて好況になったときは、不況期に貯めておいた産業予備軍を食いつぶして発展する(熱源を食いつぶす)。食い尽くしたところで景気は落ち始める(たとえば資金は、儲けの量でなく、儲け率(将来性)を見て貸出される。返してもらうのは先のことじゃからだ。儲けの伸びが頭打ちになれば、資金は貸し渋られる。かといってまだ経済は拡大しているから資金の需要は増え続ける。資金は最も要求が激しくなるときに、その増加を抑制されるのじゃ)。不況になったらまた(更なる)リストラして、また「人あまり」を創出する。この繰返しじゃ。
 おまえさんらはダムというのを知っておるじゃろう。そうして、ダムで流れをせき止め、作った落差で電気を作っているのも知っているじゃろう。水は落差を勢いよく落ちる。水の勢いが水力タービンを回す。じゃが、「ダムで電気を作っている」というのは正確でない。今はピーク発電と言って、常には火力発電(火力タービン)で一定量の電力を作っておいて、それでは足りなくなったところで、ダムに蓄えてあった水を放流しその発電で電力を補うのじゃ。そして火力発電で電力があまったときに、その電力を使って放流した水をまたポンプ・アップし、ダムを満たしては(また時が来ると)水を落とす。




目次へ
inserted by FC2 system