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           読 書 猿   Reading Monkey
            第85号 (わしのまーく号)
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■■柳田国男『明治大正史 世相編』(講談社学術文庫)=========■amazon.co.jp

 ネタが多くて書き切れない。これが長所でもあり、短所でもある。その名も
『昭和史 世相編』という著作もある色川大吉は、『明治大正史 世相編』で成功
しているのは最初の4章と第9章くらいだと言っている。柳田自身も言ってる
(序文で反省してる)ことだが、こんな羅列モノを書くつもりじゃなかったろう
に、というのだ。
 もちろん、その「失敗している」部分にしても、色川のものよりは、5000
倍くらいはおもしろい(余計なことだが『明治大正史』が「羅列」というなら、
今和次郎の考現学など「クズ」みたいなものだろう。これがめっぽうおもしろい
のである)。色川大吉という人は、決して軽視しているつもりはないのだが(相
当に重要な人だと認めているのだが)、読めるかどうかでいうと、いつもいつも
「やれやれ」である。なるほど色川は自分でよく言うとおり「歴史家」だろう
が、それはもちろん言い訳にもハンディにもならない。もっとも「歴史読本」あ
たりが大好きな「歴史好き」には、色川のツメを根本まで飲み込んで、咳込むま
でクスリにしてもらいたいが。血が出るくらいでいい。
 「あんたがいう伝統なんて、単なる思い出だ」という悪口があるが(あれはよ
かったね)、「伝統」やら「しきたり」やらを振り回す輩と不幸にも渡り合わな
きゃならなくなった人には、前もって一読をお勧めする。連中のあさはかさが実
によくわかるようになる。


■■上山信一『行政評価の時代』(NTT出版)==============■amazon.co.jp

 役所が何をやってるのか誰にも分からない。
 役所は税金を集めて、それで仕事をする。ところが役所が何をやってるのか、
納税者に分からない。なるほど役所がやってる事業は山のようにある、それをい
ちいち詳しく説明することも大変なら、理解するのも不可能に近い。それでも金
を払っているのだ、何のためにそれらの事業をやっているのかと尋ねたくなる。
ところが今度は「市民のため」「公益のため」「このまちを住み良くするため」
と一般的すぎて無意味な答えしか返ってこない。
 役人が本気で自分の仕事・事業を説明するのは予算を要求するときだけだ。こ
の事業にはどんな意味がある、こんな目的がある、こんな効果がある、と詳しく
データも揃えて、わかりやすく説得力がないと予算は取れない。役人の間で予算
の取り合いが行われた後、予算案は大括りにまとめられて議会にかけられる。い
わば予算をチェックすることだけが、役所が何をやってるかその事業をチェック
できる唯一の方法だった。しかしこのインプットでチェックするという方法は、
あまり有効に働かなくなった。この方法では、予算を消化することがイコール事
業を執行することであり、その成果(アウトプット・アウトカム)をチェックす
ることができないからだ。同じだけ資金を使っても、効果があがらなければ単な
る予算の無駄遣いである。ここに役所の前例主義が加わると、きちんと予算を消
化しさえすれば、効果が上がらない事業に毎年予算がつくことさえあり得る。
 三重県は、県で行われている3200の全事業について「事務事業評価システム」
というのをはじめた。まず何のためにやっているのかが明確でなければ事業は評
価できない。目標を設定しそれを指標化して、今はこの値だけれどもこの事業を
やったら指標はこれくらい上がる、やらないとこうなるというのを作っている。
しかもこれはインターネットでも公開されている。
 しかし本来の行政評価は、単に役人が自分たちでやるところにとどまらない。
一足早く行政評価に取り組んだアメリカでは、評価の指標を役所の縦割りの事業
に応じてつくるのでなく、受益者である住民側のニーズをリストアップして作
る。住民たちがこの町の何を大切に思い、あるいは不満に思い、どうしたいかと
いう思いをどんな指標として取り出したらいいかを、住民参加で考えてつくって
いる。たとえばある町では「17歳未満の女性の出産率」というのが下げたい指
標として上がっている。この数値は、**や**を原因とし、%%や%%に影響
を与えている。住民たちが取り上げたいのは、こうした問題の連鎖全体であり、
この指標を下げることに取り組む行政を含めた関係者は、こうした問題の連鎖の
それぞれにアタックする事業を進めなければならない。ここでは「役所が何のた
めに何をやろうとしているか」が明らかなだけでなく、「何のために何をさせる
のか」が取り組まれている。これもインターネットでも公開されている。


■■河上亮一『学校崩壊』(草思社)=================■amazon.co.jp

 この国で「ホンネ」ともてはやされるのは、大抵が「モノを考えないためのウ
ケウリ」と思って間違いない。「よくぞいってくれた」的な喝采をおくる方も阿
呆なら、おくられる方も阿呆。
 「学校崩壊」したのは、「新しい子供」のせい、それを作った親の責任、そい
つらをあおったマスコミの責任だ、人権人権と吹き込んだのが原因だ、と宣うこ
の御仁は、なんとまあ職業教師でございとくる。
「ここ十数年の学校たたきは、学校を市民社会化し、街中に近い状態にしてき
た。その結果、“荒れる学級”や校内暴力が増加しているのである」(179頁)な
る妄言には、現在、もっともすぐれたイジメ論の著者でもある内藤朝雄氏のこと
ばを引用しておこう。

内藤「学校内の暴力に対して個人が法や公権力による救済を求めるという、当た
り前の市民的対処は、学校や教育に対する冒涜として慣習的に禁じられています
ね。学校の生徒を訴えるなんて、学校を訴えるなんて、学校のお友だちを訴える
なんて…、というわけです。その代償として、教員による恣意的な暴力は慣習的
に認められることになります。「体罰をやめれば学校は不良生徒のチンピラ王国
になってしまう」という現場の論理です。これは要するに、「暴力教員首狩り
族」と「チンピラ生徒人食い人種」との部族抗争の論理です。この現場の論理は
生徒にとっても、「学校はこういうところだ」という現実感覚になっています。
だから、教員が「こわく」なくなると、「やっちまえ」ということになっている
のです。「暴力教員首狩り族」のほうでは、これを「なめられた」せいで「荒れ
た」と考えて、教員による暴力が必要であることの証拠とします。でも実際には
「荒れ」は、部族抗争の論理が学校という小世界の現実感覚になっていることか
ら生じるわけです。お店で暴れたら警察が来る、高額の賠償金を払わされる、や
りすぎれば刑務所行きだ、といった市民の論理が学校の現実感覚になっていれ
ば、「荒れ」も「体罰」も生じないのです。スーパーマーケットや自動車教習所
で、「なめる」「なめられる」をめぐる部族抗争が起こるはずがありません。暴
力をふるえば生徒も教員も等しく法の下に裁かれるのが市民社会の「いろは」で
す。この「いろは」を確保するだけで、現場の論理、つまり部族抗争の論理は消
滅し、暴力による学校の地獄絵図はすっきり消滅します。こんな「いろは」を言
わなければならないほど、学校は市民社会から離脱してしまったんですね。」

内藤 「ああいう暴力対質っていうのは、ただ単に、ああいうなかで、自然発生
的に生じたというよりは、有力者のネットワークからなる地元の教育行政を背景
とした利害構造のなかで起こっているわけです。こういうときに、法や人権を大
切にするタイプの教員たちは、逆に左遷されたり出世コースから外されたりする
わけですよ。教員たちの行動は、構造的な出世や保身のシステムのなかで考えな
ければなりません。みなさんやっぱりヒラメですからね。構造的な暴力や人権侵
害はそういうなかで起こっています。実際にいくら新聞や雑誌で暴力や人権侵害
が問題になっても、「俺たちのシステムのなかで、ちゃんと出世して、主任に
なって、教頭になって、校長になって、『われわれのこの世界』で力をもってる
んだ」、となります。「人権だの何だのって言ってる奴らはいつまでもヒラのま
まじゃないか」と嘲笑っているんじゃないでしょうか。そういう自信をもたせて
しまうシステムがあるかぎりは、やっぱりだめだと思うんですよ。」
(内藤 朝雄・藤井誠二「神戸少年事件から 学校の市民社会化を考える(上)」
(『マスコミ市民』 1997年 11月号 マスコミ情報センター発行)

 要するに必要なのは、どんなものであろうと、システムの中で妙な自信(と不
安)を持ってしまった連中の「ホンネ」なんかでなく(ましてそれに「共感」す
ることではなく)、「ホント」のことの方なのだ(ついでにいえば、そいつを
「見極める」ことの方だ)。


■■浅田彰・田中康夫『憂国呆談』(幻冬社)=============■amazon.co.jp

 NAVI誌で長らく連載されている対談が、こういうタイトルで、まだ少し先
だが単行本になるらしい。バカタイトル。
 ちなみに今月号のNAVIでは、盗聴法にふれて、オウム対策だとぬかしなが
ら、公明党に気つかって宗教関係者を対象から外したり(笑)、麻薬などの重大
犯罪がどうのこうのと、医者と弁護士(地域振興券のおばさんがそうなように、
あそこは弁護士や医者が多い)まで対象から外したり(笑)、あと有名な共産党
への盗聴事件で、その時共産党の弁護をやったのがあの坂本弁護士で、だから警
察は知りながらも一家殺害されるまでオウムを放置してたじゃねえか、そんな連
中に盗聴をまかせていいのか、おれにもさせろ、といった話がされている。



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