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           読 書 猿   Reading Monkey
            第83号 (ぷかぷかぱくぱく号)
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■■堀田善衛『インドで考えたこと』(岩波新書)============■amazon.co.jp

 『ラ・ロシュフーコー公爵伝説』(集英社)がつまらない訳ではないが、そ
れほどでもなかったのは、これはもう原因がはっきりしている。ラ・ロシュ
フーコーより堀田善衛の方が全然面白いからだ。これはもうどうしようもない
事実である。
 納得できないむきには、例えばこの本をお勧めする。今思うとタイトルから
してすばらしい。堀田さんがこの本に書く旅行をしたのが1956年、世界中
の「若者」たち(そのじつ結構年とってたりするのだ)が、「考えない」ため
にインドを目指したのは、それからバックバッカーたちが「考えなし」にアジ
アへ向かったのは、このずっとずっと後である。
 堀田さんだって最初から「考え」があった訳ではない。むしろ「今まで自分
はインドやアジアのことなんててんで考えもしなかった」ということを、改め
て考えない訳にはいかなかったくらいである。
 インドはめちゃくちゃ暑い。暑くて考えられないかというと、その逆で、暑
くて考えるくらいしかできることがないのである。強力な観念の力を持たなけ
れば、この強力な自然の中で、自分でいられない。インドでは政治家までが哲
学者であるのはそんな具合ではないかと、掘田さんは考えてみる。
 「考えない訳にはいかない」はいやおうなしだ。7人のアジア人、互いに国
も言葉もてんで違う連中が、アジア文学者会議の事務局をやるためにインドに
集まる(日本から来た堀田善衛もその一人である)。お互いの国の文学事情は
おろか、何しろお互いの言語がわからない(当然読むことなんでできない)の
で、お互いが本当に文学者なのかさえ、本当のところわからないのである。お
互いが話すことができる、そして読むことができる言語は、これがもうヨー
ロッパの言語である。そして共通に知っていて話題にできる文学は、これがも
うヨーロッパの文学なのである。どうするどうなるアジア文学者会議。
 その彼等が、同じように互いに知らないアジア中からやってくる文学者たち
の会議を準備する。16か国参加の会議で、アルファベット順に発言する段に
なって、インド代表からインドからは17つの言語ごとに代表が来るから、
だったらアッサムが一番に話そうと動議が出たりする。もう、いきなり参加国
が17個増えたみたいなものである。しかも出席者はすべて、言葉をなりわい
にする文学者なのだ。


■■『世界憲法集』(岩波文庫)====================■amazon.co.jp

 「国を守る」では言葉が抜けてる。「X(何か)から国を守る」というべき
であって、そのX(何か)もその都度ご都合主義的に埋めるのでなく(かつて
の仮想敵大国「ソ連」よりはるかに弱っちい、暖をとる燃料もない国の船が
80ノットだしたからって今更「有事立法」なんてコトバを口走る暇があるん
だったら)、きちんと考えれば「X(何か)から守られなきゃならない国って
何だ?」という話もある。
 どうして「X(何か)から国を守る」と言いたがらないかといえば、これだ
とすぐに「国からX(何か)を守る」という言葉を思いつけるからである。
「国さえ守っとけば安心」というのは、歴史を知らない、国が何をしてきたか
知りもしない大馬鹿モノだろう。そして憲法は(どんな教科書にも書いてある
とおり)「国からX(何か)を守る」ために、たとえば国家に縛りをかけ(権
力を不自由にし)そうして個人の自由を守るためにあるのである。だから、国
家権力の場所からは自由に憲法を変えることはできないようになっている。
 もっとも「国からさえ守っとけば安心」というのも、歴史を知らない大馬鹿
モノだろう。国以外にも、X(何か)をないがしろにせんとするモノは(もち
ろん国の中に)いくらもある。


■■ルドルフ・シュタイナー『シュタイナー経済学講座』(筑摩書房)===■amazon.co.jp

 ここでもシュタイナーは(知らない人は驚くほど)実際的である。
 この書におさめられている1922年の夏に行われた連続講座で、彼はたと
えば「古くなる通貨(若い通貨/年老いた通貨)」という考え方を提示している。

>  今年発行された若い貨幣なら、強い決済となります。企業家は、「わたしの
> 計算では、わたしの事業は20年かかる。わたしは古い貨幣を用いるべきか、
> 新しい貨幣を手に入れるべきか。古い貨幣なら、5年後あるいは2年後に無効
> になる。だから、わたしは古い貨幣を用いるわけにはいかない。20年という
> 年月を計算に入れるなら、わたしには若い貨幣が必要なのだ」と考えます。長
> 期の事業にとって、若い貨幣は年老いた貨幣よりも、国民経済的にはずっと大
> きな価値があります。「国民経済的な価値」こそが、その貨幣の価値です。
>  わたしが3年の期限を見込んだ事業を起こすとしましょう。もし真新しい貨
> 幣を使うとすれば、わたしは愚鈍な経済人でしょう。そんなことをすれば、
> 「若い貨幣は最も価値がある」のですから、高い経費の事業になってしまいま
> す。短期間だけ貨幣が必要なら、わたしはもっと弱い貨幣を調達します。こん
> なふうにして、貨幣の年限が役割を演じるのです。
> ……
>  《経済プロセス》内での意味付けがきちんとなされた贈与のことを考えてみ
> てください。たとえば、自由な精神生活が大切である教育制度の中に、贈与は
> 流れ込みます。今でもすぐに、贈与はなされているのですが、人々はそのこと
> に気付いていません。みなさんが直接贈与すれば、そこにはみなさんの理性が
> 働くのですが、今、贈与すると、税金などがからんできて、経済の霧のなかで
> 見失われてしまうのです。そうなると、ものごとは理性的ではなく、粗暴にな
> ります。贈与を考えるとき、みなさんはどんな貨幣を使うでしょうか。どう
> ぞ、国民経済的に考えてみてください。そう、贈与するときは、贈与後できる
> だけ早く価値を失うような、古い貨幣を使うのです。贈与を受けた人が、かろ
> うじてまだ物が買える程度の、古い貨幣です。

 シュタイナーが単に時間選好やインフレ・リスクについて語っているのでな
いことに注意しよう。
 ケインズにはじまる通貨管理制度が「貨幣の死」を繰り延べするなかで、ガ
ン細胞のようにとどまることなく増殖し、増えすぎた貨幣が人間社会に復讐す
る場面を我々は幾度となく見てきた。
 地球資源が有限であることは容易に信じられるというのに、信用通貨や国民
通貨に限界があることはいまだ常識になっていない。あらゆる物には寿命があ
ることは当たり前だというのに、貨幣の寿命や死を語ることはずっとナンセン
スだとされてきた。
 ここに来て「地域通貨の自主発行」という構想が現実味をおびてきた(たと
えばそのひとつLETSというシステムは英米圏を中心におよそ1000以上
が動いている)。「はじまり」を持つが故に「おわり」を予想できる貨幣、通
用範囲が「地域」に限定される「端:end」を持つ貨幣の登場である。いく
つもの貨幣が併存し、我々がそれを選ぶことができる場面がもうそこまで来て
いる。次号を待て。


■■プラトン『国家』(岩波文庫)===================■amazon.co.jp
■■アリストテレス『政治学』(岩波文庫)===============■amazon.co.jp

 今更言うまでもない話であるが、プラトンはおそらく最初の、そして究極の
「共産主義者」であった。なにしろ「人間=労働力」を生産するための「生産
手段」すら、共有することを主張した。つまり「女性」の共有を、である。
 プラトンは「理想の政治」を描いた最後の人間ではなかったが、彼を批判し
たアリストテレスの『ポリティア』は「最初の共産主義批判」であり、同時に
「最初の政治学」だった。E.H.カーだっていうとおり、「理想の政治」の
批判から「政治の学」は始まるのである。
 けれど、プラトンの理想主義は、アテネ民主制という現実の、そしてギリ
シャ政治の「教科書」の崩壊に由来することを忘れてはフェアでない。もちろ
ん、その民主制は、内に奴隷制、外に帝国主義でもって支えられていたのであ
るが。
 そして、もはや理想を語れないアリストテレスは、そのアテネ民主制につい
ても、容赦のない筆をふるっている。


■■原作:吉川英治 漫画:井上雄彦『バガボンド』(講談社)======■amazon.co.jp

 井上雄彦の圧倒的優位性はボウズ頭を描けるところである。
 西村しのぶを見よ。『SLIP』で見せたあの主人公への仕打ちはどうだろ
う。ロン毛が好きなのはわかる。しかし髪を切った(アタマを丸めた?)ケン
ソウに対する愛情のなさと来たら!
 一方、桜木花道のボウズ化抜きにして、『SLAM DUNK』後期があっただろう
か。
 さて、『バガボンド』の主人公 武蔵(たけぞう)はロン毛である。だいたい
において、剣豪はロン毛である。しかし沢庵和尚は職業柄ボウズであって、コ
ミックス2巻などは、ほとんど沢庵の独壇場なのである。
 内田吐夢が撮った『宮本武蔵』(東映’61)は、宮本武蔵に揉み上げの多
い中村錦之助を起用(後の萬屋錦之助、子連れ狼である)し、それに対して沢
庵和尚にほとんど人間の顔とは思えない当時の三國連太郎を配していた(どう
でもよいが、この映画のシリーズで佐々木小次郎は高倉健なのである、これが
またいけすかないくせにマヌケ野郎なのだ。なお『巖流島の決斗』には、日活
で武蔵をやった大先輩片岡千恵蔵も出演している)。


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