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           読 書 猿   Reading Monkey
            第36号 (道具としての号)
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■■小林信彦『時代観察者の冒険』(新潮文庫)=============■amazon.co.jp

 タイトル通り時代を感じる。僕には知識がなくて、すでに歴史になっている
ものも多くて。ひそかな橋本治へのラブコールがあったりする。
 
「<アイドル>の時代」というエッセイでアイドルを列挙しているなかで、中
森明菜、小泉今日子、岡田有希子からずっときて、「トムキャット」とあるの
には、まいった。

■■笠智衆『俳優になろうか』(朝日文庫)===============■amazon.co.jp

 初めのうちはちょっとたるかったが、やはり映画界に入ってからは面白い。
それに、映画界に入るまでは生活のことを比較的詳しく語っているのに、それ
以後はあまり生活に触れないのが笠智衆らしい。つまり、結婚や子供のことな
ど何も触れていないのだ。
 「だいぶ話が脱線したが、研究所の講義も、野田、牛原両先生などは、まと
もだった。しかし、演技法の講義なんかには、わけがわからないようなものも
あった。
 諸口十九(つづや)という人は、岩田祐吉や勝見浦太郎などと並ぶ当時のス
ターだったが、この人の講義は、こんな具合だった。教壇で右手のこぶしをか
ざしてみせて、「ここに幸福がある。これが幸福だ。さあ、みんな、どうだ、
うれしいだろう。うれしい顔をしてみい」とかなんとか言うのである。こっち
はポカンとして、まるで狐につままれたような気持ちだった。」p.50
 旅行のときにお世話になった溝口健二監督のことで思い出した。溝口組から
も、実は出演依頼が三度もあったが、とうとう一度も出ないままに終ってしま
った。溝口さんは、俳優たちに対して、「きみたち、反射してますか」という
のが口ぐせだったそうだ。」

■■葛西善蔵『椎の若葉.湖畔手記』(旺文社文庫)============■ (講談社文芸文庫 版)amazon.co.jp

 代表作「子をつれて」などが入っている。
 冒頭に納められた「哀しき父」から引用する。
> 「孤独な彼の生活はどこへ行っても変りなく、淋しく、なやましくあった。
>そしてまた彼はひとりの哀しき父なのであった。哀しき父−−彼はこう自分を
>呼んでいる。」

■■吉川英治『新・平家物語』(講談社吉川英治文庫)===========■amazon.co.jp

 ま、とにかく引用する。

> 「父上。……わ、わかっています。父上のお気持は」
> 「かくても、そちは、この忠盛を、父とよんでくれかやい」
> 「呼びますっ。呼ばしてください。父上っ……。お父さまっ」
> 「おお、おれの子よ」
> 「おれの、お父さま」
> 研がれてきた夕月の下は、藍い藍い夜霞だった。その遠くのほうで、木工助
>じじいが歌うらしい、子守歌が聞こえていた。

■■増淵宗一『リカちゃんの少女フシギ学』(新潮社)===========■amazon.co.jp

 結構気合いは入っている。著者は「人形美学」構築を目指しているとかで、
美学が専門の人、確かシェリング美学についての論文などもあったように思
う。

 読めなくないのだが、大見栄を切るのに不十分だと思うのは、「リカちゃ
ん」そのものの考察から、社会であるとか、少女たちの心性であるとかを導い
てくるというよりは、時代や文脈に依存して「リカちゃん」を撫でているだけ
のように思える点である。だから、各々の論点の中には面白いと思うものがな
くもないのだが、全体に「確認」に終っているだけで、新しい視点が現れてい
るという感じは全くしない。
 比較的面白いのは、そうした文化論的な側面よりは、「もてあそんだ少女た
ち」「もてあそばれたリカちゃん」と題された章である。なんだかひどいタイ
トルであるが、むしろ、著者の専門とする人形論に関わる面が一番出ているの
はここだろう。
 しかし、「少女独特の汗ばんだ手」という表現が数限りなく繰り返される。
よほどこの人は「汗ばんだ」が気になるらしい。この人はリカちゃんを集めて
いるのだが、それはいわゆるコレクターとしてではない。使い古された人形を
集めているのである。そのせいだろうか。

■■吉野源三郎『君たちはどう生きるか』(岩波文庫)==========■amazon.co.jp

 「古典」と言うにふさわしいと言えましょう。しばらく前、社会学みたいな
のがはやりましたが、社会学者というような人は絶対に書けないと思いまし
た。そういう人にぜひ読んでほしいです。読んでも分からないかもしれません
が。
 私に教養といったものがあるとすれば、それはほとんど、NHKラジオの
「朗読の時間」によるものなのですが、この本もそれで知りました。主人公の
少年の名前が「コペルくん」と云うのですが、この音の響きが愉快で印象に残
っています。「コペルくん」が何の意味なのか、先に文字を読んでいたら分か
らなかったかもしれません。
 岩波文庫版の解説は丸山真男さんです。
 丸山さんの言うように、倫理問題と認識問題、歴史的空間的認識について見
事にわかりやすく叙述されています。もっとも、それは「おじさんのノート」
という装置によるものが大きいかもしれませんが。
 でも、私は実はそれよりも、「少年小説」という視点でこれを読みました。
その点でもこの作品は、一つの典型を示しているのではないかと思ったので
す。こんな風な少年小説が当時他にもたくさんあったのか知りたいと思ってま
だ調べていません。
 中で一つ気になったのが、水谷君のお姉さんの「かつ子さん」のことです。
これについて丸山さんが解説で触れていたのには笑ってしまいました。「あの
おかっぱ髪をしたブルジョワ令嬢の『かつ子さん』の言動は、著者がそれをど
のように位置づけているのか、もう一つはっきりしないためもあって、私に、
何をいうかこのなまいきな小娘が、という印象を与えたことは否めません」。

■■B.L.ウォーフ『言語・思考・現実』(講談社学術文庫、他)======■amazon.co.jp

 「サピア=ウォーフの仮説」の、ウォーフによれば、アメリカ・インディア
ンのホピ族には、「時間」というものがない。彼らの言葉には、「時間」を表
す語彙がないばかりか、文法にも我々がいうところの「時制」というものがな
く、さらに加えて、運動学的などんな記述も表現する手段がない。ルネ・トム
もいうとおり、運動学=力学(ダイナミクス)は、総じて時間の作用を記述す
るものである(したがって彼によれば「力学とは、老化の一般論に他ならな
い」)。要するにホピ族(の言葉)には、どこからみても「時間」がない。

 「時間」がないかわりに、彼らにあるのは「希望」である、とウォーフは言
う。

 ホピ族にあっては、「希望」するのは、人ばかりでなく、神ばかりでなく、
石ころや木々や、ありとあらゆるものが「希望」する。宇宙が「希望」すると
いってもいい。我々の言葉で「未だあらざるもの」と「すでに在るもの」と表
現される区別は、ホピ族にとってはすべて「希望」をめぐってなされる。ま
た、我々の言葉で「主観的なもの(存在)」「客観的なもの(存在)」といっ
た区別も、ホピ族にとってはすべて「希望」をめぐってなされる。すなわち、
前者はいずれも「希望されているもの」であり、後者は「希望されなくなった
もの」である(実のところ「希望」はほとんど常に動詞として登場する)。ホ
ピ族にとって「実現すること/実現されたもの」は、「希望されることをやめ
たもの」のことである。実在とは「希望の停止・消滅」に他ならない。


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