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           読 書 猿   Reading Monkey
           第3号 (小鳥さん小鳥さん号)
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■■小泉丹『回虫読本』(中央公論社)■================■amazon.co.jp

 「右のような訳で私のきめていた書名は『回虫談義』であったが、出版社の
希望を不本意ながら応諾したものである。」っていうことで、「談義」を取り
上げられたのがよほど悔しかったのか、巻末に「糞談義」というのを収録して
いる。

 徒然にちょっと読んでみると、文章がなかなか洒脱である。「糞尿、特に糞
は世に汚きものの代表になっている代物である。私の如き、これに親しみ馴染
んできたこと四十年にあまるような者では、感覚が麻痺しているであろう。こ
の稿を進めつつ、この点を反省した。それで、臭気をあまり発散させぬように
勉めた。しかしまた、しばしばその特臭を漂わせることをも試みた。前者では
興を害さぬため、後者では印銘を深くせんがためである。通読をお願いする
。」

■■カズオ・イシグロ『充たされざる者』(中央公論社)■■=====■amazon.co.jp

 しばらく前からの疑問.
 カズオ・イシグロの『充たされざる者』の原タイトルが The Unconsoled
というのだが,これがわかりにくかった.コンソールと言うと何か大がかり
なシステムを操作するための制御装置のことを,まず連想させられる.制御
するのにはパソコンが使われたりするが,これをその役割からコンソールと
呼んだりする.
 では辞書を引いてみよう.実にあっさりと,console は「慰める」の意味
だと書かれている.類語に comfort が挙げられているのでそちらを見ると
同じく「慰める」とある.解説によると次のとおり.

 comfort 親身になって慰め力づける.
 console 比較的堅苦しい語で,思いやりによって心痛を軽減する.

 console も comfort もラテン語起源の言葉だ.
 comfort の場合 con + fortis で「共に+強い→元気づける」となる.
 それに対して console は con + solari で「完全に+慰める」となって
いて solari がそもそも「慰める」の意味なので,いまひとつ腑に落ちない
感じである.
 solari は英語の solace に相当する.当然これも「慰める」だ.ただ,
solace の用例を注意して見ると「読書に慰めを見い出す」や「酒で悲しみ
を慰める」(変な日本語だな)などとあって,そうすると solace の慰安は
無生物に見い出されるもののようにも思われてくる.
 もう一度 console に返る.すると「…と考えて自らを慰める」のような
用例が目に留まる.誰かを慰めること.誰にも慰められない者.
 接頭語の con が「完全に」の意味であること,console が人と人の関係
について言われることのようだと考えてみると,何だか「補完」などという
最近流行の言葉が頭をかすめて行く.

 流行語としての「補完」に頼ってしまうことには内心忸怩たるものがある
が,全国紙の社説にも用いられるようなご時勢であるのだから,まあよしと
しよう.この小説は失われた家族関係を巡る補完の物語で,父,母,息子に
娘,女房,孫あるいは祖父母との関係に屈託を持つ人は大いに共感できるで
あろう.だが,読んでも何の解決にもならないであろう.
 もちろん,他の読み方も可能であり(たとえば,小説の小説とか),その
へんが某芥川賞作家のファミリーロマンスとは決定的に異なっている.

■■Brian Taves,"The Jules Verne Encyclopedia".1996,Scarecrow Press.■■=■amazon.co.jp

 和書でいうところの「奥付」に相当する記載は、洋書では巻末ではなく、通常、タ
イトルページの裏ページにある。この『ジュール・ベルヌ百科事典』もクロスの表紙
を開いてから1枚、2枚とめくって、3枚目の紙面の表にタイトル、著者、出版社名
がデカデカと刷られたページがあって、その裏に「奥付」にあたる情報が記されてい
る。しかし、これだけで、この本は終わりではない。一応、その後にも目次や本文の
ページは続いている。当たり前だの crackerjack てなもんやてなもんやてなもんや
3度が三回。ナニいってんだ、ばかやろう。

んで、奥どころか書物の冒頭にある、この「奥付」ページには、まず、出版元の会
社名とその所在地が記されており、その下には著者の著作権表示がある。この著作権
表示がないと権利侵害訴訟などで著作者の権利が認められないケースもある。自らの
権利は自ら主張せよというわけである。そんなこたあ、どうでもいい。ばかやろう。

著作権表示に続いては、"Library of Congress Cataloging-in-Publication Data"
すなわち「アメリカ議会図書館刊行物目録データ」がある。議会図書館は、もちろん
ワシントンDCにあり、蔵書量は約8000万冊というウワサだ。そんなにヨめるか
ばかやろう。

さて、この「奥付」の最後に記載されているのは、次のような文章である。

The paper used in this publication meets the minimum requirements
of American National Standard for Information Science -- Permanence
of Paper for Printed Library Materials, ANSI Z39.48--1984.

……『この本の用紙は情報科学に関する米国標準規格における「保存印刷物用紙耐
久性仕様」に適合』とかなんとか書いてある。要するに、保存性のよい中性紙を使っ
ているということだろう。ANSI Z39.48--1984 というのは、1984年制定のアメリ
カ標準規格協会規格番号 Z39.48 ということで、そこに印刷用紙の耐久保存性につい
ての仕様規格が定められているものと思われる。こういう表示記載があるってこと
は、所定以上の保存環境が保たれていれば、この書物あるいはその用紙が物理的に自
ら朽ち果てることはないという保証と考えてよいだろう。よしよし。
さて、ここで、最近、国内で刊行された辞書の代表として研究社刊、寺澤芳雄編
『英語語源辞典』を引っ張り出してみる。あちこちページをめくっても、用紙に関す
る情報といえば、奥付の「本文用紙 三島製紙株式会社」という記載があるのみであ
る。どういう紙を使っているかという情報はどこにも記されていない。用紙について
の保証はしないということだろうか。さらにチェックすると、お馴染みの「落丁お取
り替えします」表示もない。初期不良の保証くらい確約記載しとけよ。ばかやろう。

■■E.B.アンドレーエヴェ『失われた大陸』(岩波新書)■========■amazon.co.jp

 今の新書の大きさから見れば、300頁を超えていて、結構な分量がある。一
つには翻訳であるから、新書の編集に完全に合致しなかったからということも
あるのだろうが。
 で、こういう未解決の問題を扱ったものの常として、研究史や資料の提示に
とどまっているのだが、その研究史の部分が面白い。研究史というより、アト
ランティス研究(ディレッタント、冒険家、山師を含む)をめぐってのてんや
わんやである。ソルボンヌ大学で開かれた「アトランティス研究協会」の会合
の騒ぎには笑った。アトランティスは実在するのではないかという発表の後、
そんなものはなかったという発表があり、また反論があって、アトランティス
こそ高等な人種の国であり他の古代民族が神であり文化的リーダーと見なした
のがアトランティス人だという「人種差別的」発表(ドイツの学者によるもの
だ(笑))、があり喧々の論争があって最後にはどこからか爆弾が投げつけら
れるのである(笑)。

■■ルキアノス『本当の話 ルキアノス短編集』(ちくま文庫)■======■amazon.co.jp

 ルキアノスはあらゆる空想物語の父である。

 『ユートピア』を書いたトマス・モアは、ルキアノスがやりたくてギリシャ
語の勉強した。天才天文学者ヨハネス・ケプラーは、『夢(ソムニウム)』の
中で、娯楽としても宇宙論としても、ルキアノスのこの物語を持ち上げてる。
 ルキアノスがいなければ、その作品が残らなければ、『ガルガンチュワ物
語』のラブレーも、そして彼よりセンス・オブ・ワンダーで勝り学識では劣る
スウィフト(『ガリヴァ旅行記』『樽物語』)もなく(どうでもいいけど、こ
の本の解説って四方田犬彦だね(笑))、さらには『月世界旅行記』を書いた
ベルジュラックもなく、だったらメリエス(映画監督・奇術師)だって特撮映
画「月世界旅行」を作れなかったかもしれず、いまでも映画といえば工場の入
口をただ写してるみたいなのばかりで、円谷英二もなければスピルバーグもな
かったかもしれない。

 と書けば、すごく面白いように思えるが(元祖を尊ぶのは我々の悪い癖
だ)、いまでは素直にルキアノスを楽しめるのは(あるいは古代ローマにこん
なスゴイ書き手がいたのかと楽しめるのは)、かなりナイーブな読者だけだ。
もちろん本を読むのにナイーブで悪い訳がない。パロディに心躍らせることが
できるものは幸いだ(風刺に感心できる人もそうだ)。

 もっとも『ソフィの世界』を読むくらいなら、ルキアノスの「命の競売」
(「哲学諸派の売り立て」)を読んだ方がいい(それより日本随一のスピノ
ティスト中島敦の「悟浄出世」の方が数段上だけど)。ゼウスがヘルメスを場
立ちにして、ピタゴラスをはじめディオゲネス、ソクラテスなどの哲学者の魂
を次々オークションにかける。高値でつくもの、ただ同然の者、売れ残るもの
(笑)もいる。ソクラテス10円安、とか、そういう話。これには、二足三文
で売られた「哲学者の魂」が、ルキアノスのところへ復讐に来る続編がある
(「漁師」)。


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