結合通信 7:


今日の授業は法律学だけ。
先生は、ローマ法とカノン法を修めた、最後の「両法博士」という人です(それって、「とっても偉い」ってことらしい。良く知らないけど)。ローマ法というのは大昔の帝国の法律、カノン法は教会の、つまりこれも今はなき神様についての法律です。
つまりどっちも今はどこでも使われてない法律です。何だかエスペラント語を勉強するみたい(でも本当はラテン語を勉強するみたいなものだそうです)。
どの国もまだ小さくてみすぼらしい時、自分の国ではまだ法律を作れなくて、ローマ法とカノン法をそのまま(あるいは手直しして)使っていました。自分たちの国で法律が作れるようになっても、ローマ法とカノン法にあるものはそれで間に合わせて、自分たちの国や地方でだけ問題になるようなローカルなことだけを自分たちで決めていました(法律の止むところで、ローマ法とカノン法は活躍したのです)。というのは、どんな国も元は「大昔の帝国」の中にあったのが独立しただけだったし、神様は「世界中を見守っていた」からです。そういうわけで、ローマ法とカノン法は今ある法律の元になっています(今の法律は、ローマ法とカノン法から必要な部分をみんな自分のところにコピーして、その後に「ローマ法・カノン法はいらない」ということに成功しました)。
例えば、今でも「結婚」が法律によるものであるのは、それがカノン法にそう書いてあるからです。昔結婚は教会でするもので、教会ですることは(神様や神様のしるしについても)残らず「法律」に書いてありました。秘蹟は、法律に書いてあるとおりじゃないと秘蹟とは認められないのです。
例えば、昔はどんな裁判も当事者同士が証拠を出し合い主張し合う相対裁判でした。たとえ犯罪者を裁くべき刑事裁判でも、加害者対被害者が対等の立場で証拠提出と弁論を繰り広げました(というか、誰かが誰かを一方的に「裁い」たりすることはありませんでした)。それが今のような形(当局者(検察官)が、被疑者の罪状と証拠を提出し、被疑者はそれに反論することしかできない対等でない形態の裁判)になったのは、教会の「魔女裁判」がそうだったからです。民事裁判と検事裁判が違うのは、検事裁判が「魔女裁判」の伝統を正しく受け継ぐ正嫡子だからです。
例えば「所有」(持っているということ)や「親権」(親であるということ)でどういうことができるのかについても、ローマ法とカノン法に書いてあります。決ったやり方じゃなくても双方が同意した契約は有効だ、とか、嘘をついて手にいれた利益は不当だから返さないといけない、というのもカノン法にありました。官僚組織や他の組織を構成するのに必要な「権限のヒエラルキー」は、司法権権限の階層構造がそのまま組織(の命令系統)の階層構造であった教会のそれから来ています。
それから例えば……








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