結合通信(2回生配当) 3:

 ゲーデルという人は、「数学(の諸命題)は、記号のアンサンブル(集まり)」という見方に乗っかって、「記号の集まり」に何ができて何ができないのかを考えました。「数学(の諸命題)は、記号のアンサンブル(集まり)」という見方は、ヒルベルトという人がはじめたものです。
 数学というのは、とてもちゃんとした(基礎を持った)学問だと思ってましたけど、計算親方に言わせると「そんなもんじゃない」そうです。親方は、元・遊歴算家の人で、世界中を旅して廻り、あちこちの町で数学を教えたり、地元の数学者となかよくなったり、勝負をしたり(勝負に勝つと、負けた数学者はその弟子ごと、親方の子分になるのです)、古い寺院や祠(ほこら)に祭られている難しい問題を解法したり、そういう遊歴をしていました。旅する度に弟子が増えて、今度はそういう人の家々を泊まり歩いては、地方の名士や物知りと交わり、強い数学者の居所や難解な問題の在処についての情報を集めながら、さらに勝負したり解法したりして旅を続けます。命を落すことだってあります。親方は今まで50戦、数学者と戦って一度も負けたことがありません。解いた問題は数知れません。あちこちで解決した問題は、歴代の数学者がそうしたように、またその地方の寺院や祠(ほこら)に奉納されます。納められた問題は、いつか次かその次の時代に、すごい数学者が訪れるのをずっと待ち続け、またその新しい解法から新しい数学が生まれもするのです。
 若先生によれば、何十年も前にたった一度だけ、親方が訪れた村でさえも、一度も訪れなかった周囲の村に比べて、誰もが格段に(親方が来たときには生まれてもいなかった小さな子供達でさえ)数学ができるということです。
 親方の弟子で、今でも世界を旅して回っている人もいます。けれども(これも若先生の話ですが)、事実上、親方は「最後の遊歴算家」なのだそうです。その怪しげな話によれば、親方があんまり凄すぎたので(親方は「いや、もっとすごい人もいた」と言いますが、そういう人は親方ほどあちこちを巡ったりせず、また親方ほど名を知られていませんでした)、到底かなわない「問題を解くこと」に努めるよりむしろ、「数学とは何だろう?」と考える方に行ったのだといいます。
 親方みたいな人には、「数学とは何であるか?」というのは、あまりに明らかでした。親方は、実際はそんな風には問うたり答えたりしないだろうけど、きっと「数学?オレのことだよ」と言うと思います。けれど技芸や才能に欠ける人、あるいは数学鑑賞者の人たちは、数学を「少数の命題(公理)から、厳密な手続きでもって導出される諸命題の体系」などと言うことでしょう。特に「少数の公理」というところが、みんなのお気に入りです。数学は、親方が旅して回ったよりも広大で深遠な全体ですが、人々はそういう全体なんかほっぽいても、「少数の公理」だけ押えておけば、「数学」(あるいは公理的に構成されるあらゆる学問でも同じことです)全部を手に入れられると思うからです。親方なら、フンと鼻をならすでしょう。
 実のところ、古代ギリシャから19世紀までの長い間、「公理的に構成」されていたのは、「数学」の中でも、いやゆる「ユークリッド幾何学」たったひとつだったのです。他のは、17世紀に登場した新参者の微分積分はもちろんのこと、「数」学というくらいなのに、数論も、代数学も、みんなみんな「公理」も「基礎付け」も何もありませんでした。「数学」は全然「幾何学」とは違っていたのです。
 「数学」が、「幾何学」みたいに公理化されるのは、ダランベールという人が「幾何学のスキャンダル」と呼んだ「平行線の公理」問題を巡って、「ユークリッド幾何学」という神殿に最後の一撃が加えられた19世紀半ば以降のことです。「打ち倒された」のは、ユークリッドが彼以前300年間に為された仕事をまとめ上げた成果ではなく、それに対する人々の盲信の方でしたが、とにかく打ち倒された「幾何学の夢」が、「数学」に「公理化の呪い」をかけたのかも知れません。実際、その後の「数学」には不吉なことが続きました。「完璧な体系」なはずなのに、「基礎付け」を進める度に、すべてを台無しにするかのような「パラドックス」があちらこちらで起こりました。「パラドックス」を封じ込めようとする企てが、また別の「パラドックス」を召喚してしまうことも度々でした。
 ヒルベルトはそういうのとは全然別の方法で、「数学の危機」に対処しようとしました。つまり「数学」の内で「パラドックス」と泥試合を演じるのでなく、「数学」を遠くから眺める方法です。ヒルベルトは、従来のように「パラドックス」を封じ込めるためには、「数学」を去勢することも辞さないという今までのやり方が嫌だったのです。それにそういうやり方では、ひとつ「パラドックス」を潰すたびに、また別の「パラドックス」が出てきて、ますます「数学」を骨抜きにしてしまうことになりそうだったのです。
 ヒルベルトの方法は、「数学」から、もうそれが何か意味があるようには思えないくらい「遠く」へと退き、そこから「ただの記号の列」を見張ろうというものです。記号列の作り方と、記号列同士の関係を律するルールだけは定めておきます。そしてその「記号取扱いのルール」に従う限り、ある「禁じられた記号列のパターン」(パラドックスのパターンです)が出てこない(どうしても作れない)ことを証明しよう、というのがヒルベルトの提案でした。最初は、「数学」には自由にやらそう、そして困ったことになったらすぐに助けて起こしてやれるように見守っていてやろう、と思っていたヒルベルト父さんは、この「証明」を一端やってしまえば、「数学」は転ばない(パラドックスは起こらない)という「保証」が得られるのだから、目を離しても大丈夫だと考えたのです。「数学」を遠くから眺めるのは、「数学」を「お前はもうどこから見ても心配ない」と、一人で歩いていかせるための準備だったのです。
 けれど「意味があるようには思えないくらい遠くへと退く」ことには、思わぬ副作用がありました。そこでは「数学的対象それ自体が端っから意味を持っているのではなく、それらの相互関係を表す命題によって意味づけられる」のであって、だから「点」とか「直線」とかいう数学的対象は、明示的に定義されるものではなくて、ただ命題全体によって、どういうものか決定されるのです。つまり「数学」における(命題や対象の)「意味」というのが変わってしまったのです。これまで定義とか公理とか言われていたものも、そういった「少数の命題」が体系全体を決める・支配するのでなく、逆に命題全体によってそれら「少数の命題」の含んでいた「意味」が明らかになる、あるいは「少数の命題」がどういうものかは「そこから導出される」命題全体によって逆に決定される、というのです。

(中断)





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