結合通信 17:

 幾何学は大切な科目の一つです。私たちは幾何学を通じてたくさんのことを学びます。私たちはいろんな形を考えたり実際に作ったりするし、いろんなものの大きさを調べたり測ったりしますが、幾何学はそれら全部と「接して」います。
 学園で学ぶ幾何学は、紙や砂の上に三角や円の図形を書いたり、定規とコンパスだけを使ったりするようなものだけでじゃなくて、結構複雑です。私たちはデコボコしたところに暮らしているので、そういったのだけではものの役に立たないからです。例えば重力はただで尽きることのないエネルギーですが、それを利用するためには高低差が必要です(熱についてもそうで、例えば日向と日影、温度の高低差があれば、そこからエネルギーを取り出して仕事をさせられます。例えばランキン・エンジン(シリンダー内に低沸点ガスを入れた機関))。どんなエネルギーについてもそうですが、それをうまく使うには、デザイン=ゲシュタルトゥンク(形のこと)が必要です。例えば私たちには「曲った空間に生きる人の幾何学」だってすぐにも必要なんです。
 (さて、ここからがいよいよ本論)接縁効果(エッジ・エフエクト)の理論は、それ自身が、幾何学とそれと接する他の学問と「接縁効果」から生まれたものです。
 その基本的なところは「物事は境界線上(接縁)で生起する」という至極当たり前で単純なものですが、学園の基礎デザイン(校舎や畑・生産施設の配置、カリキュラムやほかいろんな「仕方」)の「訳(理由)」を見るには一番わかりやすい「窓口」だそうです。
 例えば、「エネルギーや物質は、接縁に集まる」ひとつにしても、いろんなことを教えてくれます。すごく卑近な例だと、「ふきだまり」といったもののこと、例えば「風に吹かれた土やがらくたは、垣根のところに集まる」ということや、「急流と緩流の境界で、砂がたまる」が分かれば、燃料や良い土を拾うにはどういった場所を探せばいいかがわかります。
 例えば、(大きなモノを)ちょうどいい大きさに分割する境界線は、いずれも「接
縁」です。だから認知、分析、分類など、すべて接縁のデザインと関係します。
 「接縁は、二つ以上の環境のインターフェイス(対面)である」は、たとえば細胞膜を見ればその通りだし、このことはまた「接縁が二つ以上の環境を利用できる場である」ことも示します。古来、人間が棲んできた場所は、山麓と森と草原の境か、草原と湿地の境界か、陸と河口の接縁か、それらの組み合せかですし、珊瑚礁環境(珊瑚礁と外界の境界)やマングローブ生息環境(陸地と海の接縁)は、世界でもっとも生き物の種類が多く多様な生態系が見られる場所です。接縁効果を考慮に入れてデザインすることは、そういうものをうまく真似ることでもあるのです。
 接縁効果をより多く得るには、当たり前ですが、より多くの接縁が必要になります。もっとも人間が一度に取り扱うことのできる事物の(複雑さ×規模)は一定なので、それにも自ずと限界があります。複雑な図形は、膨大な接縁を持つ-脳、腸、フラクタル図形のように-のですが、取り扱う事物の規模が大きくなると、あまりに複雑な形にすることが難しくなります。これまでの「機械化」がおよそ低次の幾何学に律されてきたのはそういう訳です。大規模であれば、単純な形にならざるを得ませんし、逆に考えれば小規模であるほど、複雑な形を取れます。「円は完全」-同じ周辺長ならば、もっとも大きい面積を取れます。けれど、逆に言えば、同じ面積ならもっとも短い周辺(接縁)だということでもあるのです:接縁効果を得るには不適当な形です。この両方の要望の、ちょうど均衡点を見つけるのに、幾何学は大いに役立ちます。
 学園の一番小さな畑(サラダ園)は、それぞれの寮に隣接していて、大きさは直径2mくらいの螺旋形になっています。スプリンクラーで水を撒くには、円形が適しているのが、その特性を保ちながら、同時により大きな接縁を持つ形が選択されているのです。ちょうど貝殻を伏せたような形:いちばんまん中の螺旋がせり上がったてっぺんには、スプリンクラーが取り付けられ、影になった部分には陽に弱い野菜が植えられます。こんなにちいさくても、いろんな環境を詰め込んでいるのは、できるだけの接縁を得るように(そしてできるだけ複雑でないように)「形」を考えているからです。








目次へ
inserted by FC2 system