History of computer2

コンピュータの歴史/どうしたらぼくは、あのひとのマニュアルになれるのだろう。
ぼくらは、コンピュータで何か出来ると思っていました。
    「コンピュータって何が出来るの?」
「おぼえたり、けいさんしたり、ならべかえたりできる」
「じゃあ、私と同じことが出来るのね」
万能チューリングマシン
    チューリングマシン
        機械が計算するということ
        人が紙と鉛筆を使って計算するところを、最小の単位で実現したもの
        翻訳するチューリングマシン、設計するチューリングマシン、分類するチューリングマシン、作曲するチューリングマシン、証明するチューリングマシン、……。
        テーピング
            テープと本体(テープヘッド)。
                外部記憶装置(メモリ)と有限内容状態(頭脳モデム、Aレジスタ)
            「黒板の前に立ち、文字を目で見て、頭に記憶して、文字を書く」のモデル。
            チューリングマシンのテープは1次元である。
                逐次処理の「記述」
                テープの始め/終りのマーク
                終らない機関/終りさえすればHappyEnd
ナンセンス・コードン
    トリプレット64種のうち、どのアミノ酸にも対応しないで、ペプチド合成の末端を支持するターミネーションの暗号と考えらた。UAA、UAG、UGAの3種があるが、UAG、UAAについては、サプレッサー遺伝子の作用で、別遺伝子に生じた「変異」を部分的あるいはほとんど修復する。アンバー・ナンセンス・コードン/オーカー・ナンセンス・コードン
            「はじめに〜ありき」
                事態の生起を、1次元の意味論モデルで記述するための魔法
                「語り起こし」が、事態の生起に追い付く(「語り」が「事態」に平走する)
                「はじめ」とは、あらゆる「事態」の始めである。ここにおいて、(てんでばらばらであった)「事態」が、「事態」全体=すべての「事態」として、取り扱われる。すべての「事態」に対して、「はじめの事態」が置かれる。「はじめの事態」は、単に置かれるのではなく、「すべての事態」に先行して、そして「すべての事態」を導出するものとして、置かれる。「始源」によって、「事態」は、「事態」全体=「事態」の集合として取り扱われ、さらに「事態」の集合に順序構造が持ち込まれる。すべての「事態」が残らず配列化される。諸「事態」(のシンタクス的構造)は、たかだか1次元意味論モデルで「記述」されるまでに退化する。
                「はじめに言葉ありき」
                    さらにまさしく事態は反転する。「事態」はもはや記述されるのではなく、語られ口にされるものに過ぎなくなる。一度口にされたものである以上、それ以上の次元の意味論モデルは必要でない。せいぜいが、かつて語ったとおりにさえ語れば(かつて「最初」に語られた「語り」が、だから「事態」と「語り」の限界である)それで十分なのだ。
コンピュータ前史=原理
    ゼノン→ホッブズ・ライプニッツ→ゲーデル・エッシャー化
    暗号:チューリング
    ノイマン/近目のウィーナー(元天才少年)
アンチ・コンピュータ
    シモーヌ・ヴェイユの「我々の文明の三つの怪物的疎外者」=金と機械主義と代数
    解脱したもの=コンピュータ
        不快を感じても不幸になり得ない。たくましい生命力を持ちながら罪を知らない。ただの生命の器としての生命体(オーガニズム)。涅槃(ニルバーナ)。有機体的幸福。
(現在の状況)
    ブラックボックス観
        中身を理解する必要はない。その「恩恵」に浴するだけでいい。
        理解は不用、忠実に従え
        コンピュータを最初に「習う」と、「(中身を分かりもしないのに)余計なことはするな」「(マニュアル通り)決まったとおりに従え」と「マナー」を教えられる(しつけられる)
        学習すべきことは、「原理」などではなく、「作法」である。
    知性の代替物としての/延長としてのコンピュータ
        フランケンシュタイン・コンプレックス
            人の手なるものが、人の手を離れ、人を害するのではないか/人にとって変わるのではないか
            ロボット三原則(アシモフ回路)−優先順位付き
                ロボットは人を害してはならない
                ロボットは人の命令に従わなくてはならない
                ロボットは自身を守らなくてはならない
            ただし、「三原則」にはFコンプレックス以上のものがある。
                →解脱したコンピュータを参照せよ
        エキスパート・システム
            エキスパートシステムがエキスパート(専門家)を代替するならば、専門家(の判断)はもはや不必要であるから、専門家はエキスパート・システムを使わないだろう。これまでエキスパート・システムが憂き目にあってきたのは、そのことを分からずに作ってきたからだった。エキスパート・システムの出す結果を用いることが出来るのは(判断することが出来るのは)、エキスパート(専門家)であり、だからエキスパート・システムの使用者はまずもってエキスパート(専門家)であるべきだったのだ。
エキスパートシステムがエキスパート(専門家)を延長するとき、エキスパート(専門家)はエキスパートシステムをしようすることになる
    「忙殺」するコンピュータ
        ソフトハウスは、「忙しさ」の廃棄場。
        M・エンデの「モモ」に出てくる灰色服の男やIBMの社員などが、「忙しさ」を減らすために「効率」を売り付けようとするように、そしてまた「効率」を買えば買うほど「忙しさ」はなくなるどころか、ますます増えていくように、コンピュータは人を「忙殺」するものだ。「忙しさ」を減らそうと努力することで、ぼくらはますます「忙しく」なる。まるでエントロピーの法則。こんなことはまずないのだが、コンピュータを買うことで、万が一「効率」があがったとしても、それは誰かに(どこかに)「忙しさ」を肩代りさせたに過ぎなくて、社会総体の「忙しさ」はますます増殖する。エアコンが部屋の熱を外に捨て去り、エントロピーを局所的に捨て去ろうと頑張るけれど、エアコンの能力は、部屋の内と外の温度差に依存していて、外に熱を捨てれば捨てるほど、外の温度は上がっていって、やがてエアコンは効かなくなる。都市は今みたいに「熱死」する。エアコンなんで、玄関前のゴミをとなりの家の玄関前に追いやるほうきみたいなもので、お互いが他人の家の方へゴミを押し付けあうがごとく。そして(非常にうまくはたらいて「効率」を上げてくれる)コンピュータは、「忙しさ」をエアコン/ほうきみたいに、他へやる。やがて「文明」は今みたいに「熱死」する。
        今までは、ほんの少しの人が「忙しい」かったに過ぎないのに、これからはありとあらゆる人が「忙しく」なる。
コネクションマシン
アルゴリズム
    アルゴリズムがアルゴリズムであること(そのアルゴリズムがうまくいくこと)はどうしてわかるか?
        チューリングの提唱
            この「提唱」自身は、決して証明できない。
            「アルゴリズムの存在する任意の論理過程はチューリングマシンによって実行できる」
            アルゴリズムが存在するか分からない場合:「存在するかどうか分からない」=パラドックス:「存在するかどうか分からないと証明することは不可能である」
人工知能
    前史−アルゴリズム・マシン
        単純に見えたアルゴリズムなるものの威力にみながびっくりしていた。なんだってできるのではないか?
    60年代−発見法(ヒューリスティック)の時代
        「考え方」が大事。アルゴリズムの発見法が一般的に解決すれば、すべての問題が(人の手を借りることなく)コンピュータによって解かれるだろう。
    70年代−知識(フレーム)の時代
        一般的発見法(ジェネラル・ヒューリスティック)の挫折
    80年代−AIの衰退
        AI挫折としてのニューロ復興
オートマトン
    ライフ・ゲーム
    カタストロフィ理論
        言語−外界をシミュレートする「形態」
            形態形成場(クレオド)−言葉(意味論上のクレオド)
                言葉は、言語という形態を形成する場である。場(クレオド)の重ね合わせにより、言語(の意味)という形態が形成する
            調整形態(ロゴス)−シンタクス的構造、文法カテゴリー
            一般n次元言語、一般n次元意味論モデル
            チューリングマシンのテープは1次元である。
                逐次処理の「記述」
                テープの始め/終りのマーク
                終らない機関/終りさえすればHappyEnd
            「はじめに〜ありき」
                事態の生起を、1次元の意味論モデルで記述するための魔法
                「語り起こし」が、事態の生起に追い付く(「語り」が「事態」に平走する)
                「はじめ」とは、あらゆる「事態」の始めである。ここにおいて、(てんでばらばらであった)「事態」が、「事態」全体=すべての「事態」として、取り扱われる。すべての「事態」に対して、「はじめの事態」が置かれる。「はじめの事態」は、単に置かれるのではなく、「すべての事態」に先行して、そして「すべての事態」を導出するものとして、置かれる。「始源」によって、「事態」は、「事態」全体=「事態」の集合として取り扱われ、さらに「事態」の集合に順序構造が持ち込まれる。すべての「事態」が残らず配列化される。諸「事態」(のシンタクス的構造)は、たかだか1次元意味論モデルで「記述」されるまでに退化する。
                「はじめに言葉ありき」
                    さらにまさしく事態は反転する。「事態」はもはや記述されるのではなく、語られ口にされるものに過ぎなくなる。一度口にされたものである以上、それ以上の次元の意味論モデルは必要でない。せいぜいが、かつて語ったとおりにさえ語れば(かつて「最初」に語られた「語り」が、だから「事態」と「語り」の限界である)それで十分なのだ。
        定性物理の可能性
            定量物理は、たったひとつの幾何学に帰着せざるを得ない
            定量的法則、変量の方程式
                ただひとつの座標系でのみ成り立つのでは、物理法則とはいえない。物理法則は「単位」系から独立でなければならない。
                (物理学的・ 定量的法則の)変量がその上に成り立つような空間では、アフィン変換(回転・拡大)が成り立たなければならない。
                (すべての物理方程式の変量は)故に、アフィン空間上の変量である。
                つまり、厳密な定量的法則は、法則の対象となる現象が、アフィン変換を満たす空間(我々の知る時空間)と密接に結び付いている場合にのみ可能である。
            (自然の)あらゆる現象が(究極的には一つの)定量的法則によって支配されている(大統一理論)という「要請」は、必然的にすべての現象をただひとつの幾何学に帰着させることを要請する。これは過大な要請ではないか?
サッポロ・シティ・スタンダート/カンザス・シティ・スタンダート
    プログラマ対話
        「この間、AT車事故ったでしょ。あれ俺の知ってる奴がさ」
「やばいよなあ。前の会社で原発やってたんだけど、いまさら直しに行けないし」(笑)
    「兵器」としてのコンピュータ
        コンピュータってのは、そもそも軍事目的で作られたもんで、だから出生からして「兵器」。「兵器」だから金を注ぎ込むのは当たり前で、注ぎ込むばかりで全然世の中潤わないのも当たり前。
        ところが「兵器としてのコンピュータ」というのは、もう前時代の遺物な訳です。早い話が役に立たない。それは当時とは、戦争の仕方が変わったからです。
        (狭い意味での)「軍事テクノロジー」というのは、少なくとも技術革新の足を引っ張る。そうなってもう随分になります。家庭電化製品のライフサイクルと「兵器」のそれを比べてみれば一目瞭然でしょう。半年、いや3カ月サイクルで「新製品」が生まれるけど、例えば戦闘機でそれをやるわけにはいかない。同じモデルを5年、10年平気で使う。使わざるを得ない。「兵器」であるから、そのサポート、メンテナンスを企業の勝手で打ち切るわけにはいかない。すると戦闘機の部品を作るラインも、たいして生産量もないのに、5年も10年もそのままにしておかなければならない。すごい負担。その間、となりの自動車やテレビの部品のラインは何十回もリニューアルしてるってのに。
        あの「湾岸戦争」でぼくらが一番驚いたことは、子供の頃名前を覚えた戦闘機が15年以上はたっているというのに、まだ現役づらしていたこと。捕獲した武器しかないゲリラならともかく、兵器輸出国がでかい面して出張ってる(だけの)「戦争」に、これではあんまりじゃないか。
    コンピュータ・チューン
記号処理(者)
    アマチュア論理学者
    アラビア人
存在論
機械論
    「よくできた機械」
繰返し
条件分岐
実数/コンピュータブルな数
代数が出来ない
リテラトロン
ミンスキー
    こびと
    社会の葛藤
再帰(リカーシブ)


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