カント × ボスコヴィッチ

自然単子と点原子


 カントは、ライプニッツ−ヴォルフ流の「単子(モナド)」概念を受容し、それを自然哲学として展開した『自然単子論』を書いた、と一般に考えられている。しかし、ここで考えられねばならないのは、そもそもモナドの規定については、ライプニッツとヴォルフとでは食い違っていた(→ライプニッツ対ヴォルフ)ということである。ヴォルフはモナドから表象概念を取り除き、したがってモナドを物質の粒子としてのモナドに改変した。カントの自然単子は、表象概念を欠いているために、ヴォルフと同様に系譜におくことができる。ライプニッツとの類縁関係は、命名に由来するにすぎない。
 しかし、カントの自然単子は、原子論の原子とも異なる。なぜなら、デモクリトスやニュートンが原子を大きさと形によって規定していたのに対して、カントはむしろ延長ではなく、力によって定義しているからである。この意味では、ライプニッツのモナドに近いとは言える。
 以上のような意味で、カントの自然単子概念に接近するのは、ボスコヴィッチの点原子である(→ニュートン対ボスコヴィッチ)。ボスコヴィッチの点原子も、ニュートン的な剛体としての原子ではなく、力を持つ質的な原子であったが、ライプニッツ的なモナドとは違って精神性は持たない。
 これだけではなく、カントとボスコヴィッチの近似は、彼らが自然単子、点原子に与えた力が、ニュートン的な引力−斥力であったという点にもある。しかし、カントとボスコヴィッチが異なるのも、この引力−斥力説においてである。というのは、単子や原子が持つ力が同様に引力、斥力として考えられているにもかかわらず、その引力と斥力との関係の規定が異なるからである。つまり、ボスコヴィッチにあっては、引力と斥力とは、ニュートンにしたがって、交互作用するものであった。これに対して、カントの場合、二力は同時に作用するものと考えられているのである。
 これは、単に引力、斥力の関係の問題に尽きない。なぜなら、交互に作用する対立する二力であるということは、その根源に一つの力を想定することを妨げないが、カントのように同時に作用する対立的な二力を想定すれば、これはその二つの力がどこまでも対立状態にある、つまり独立した力であることになるからである。カントは後の批判期に、力を「根源力」と呼ぶのはこうした意味においてである。
 カントが『負量の概念を哲学に導入する試み』を著したのも同様の文脈においてであると言えよう。これは、マイナスの力を実在的なものとして評価しようとするものであった。言い換えれば、ここではマイナスとは非実在性ではなく、実在的なものとして導入されているのである。しかし、そのマイナスが実在的であるのは、そのマイナス量そのものが実在的であるということではなく、プラス量との対立においてである。
 したがって、引力−斥力説においても、カントが求めていた実在性は、引力や斥力そのものではなく、それら二力の対立にこそあったのである。しかし、カントのこの立場は、硬直したものだとして、シェリングおよびバーダーから批判を受けることになる(→カント対シェリング 第三の力)。


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