ニュートン × ボスコヴィッチ

原子と単子(モナド)2


 ボスコヴィッチは哲学史・科学史の中で大きく取り上げることのない人物である。取り上げられるとすれば、ニュートン的アトミズムとライプニッツ的ダイナミズムの総合者。と言えば聞こえがよいが、ようするにどっちつかずである。哲学史では科学者扱いされ、科学史では哲学者扱いされるとも言える。
 一般に、二つの説の総合であるということは、二つの説それぞれに似ているところと似ていないところがあるということである。簡単にいえば、ボスコビッチの物質概念は、粒子を質的なものでと考える点(逆にいえば、延長を持たない、したがって原子(=大きさを持つ)ではない)で、ニュートンから離れるし、その粒子が同質であるという点ではライプニッツから離れる(→ライプニッツ対ボスコビッチ)。
 こうした「点原子」を、ニュートン的引力−斥力説で動かすというのがボスコヴィッチの基本的なアイディアである(両者の引力−斥力説の違いは→ニュートン × ボスコヴィッチ 引力−斥力説)。
 ところで(「ところで」は常に唐突である)湯川秀樹は、「十九世紀の科学思想」を論じるにあたって、その前史として近代以後の物理学を回顧する中で、このボスコヴィッチに大きなスペースを割いている。「ボスコヴィッチの登場」と題された節である。
 「こういう一般的な傾向の中から、ボスコヴィッチという、やや特異な人物が出現した。1758年に出版された彼の『自然哲学の理論』は古典力学の立場に立って想定し得る最も単純な原子論ともいうべきものであった。即ち彼は、この世界は完全に同等な多数の点粒子からなり、それらのどの一対の間にも相互の距離に依存する同一の力が働くという大前提の上に立って、すべての物理現象を、それらの点粒子の相互の一の時間的変化として説明したのである。」 これは我々の上の説明とはやや違っていると言える。しかし、すぐさま「したがって、それはニュートン力学の枠の中で特殊なモデルを想定したことにすぎないように見える。しかし、」と切り返す湯川は次のように続ける。
「しかし歴史的に見れば、そこには原初的な形でのニュートン力学と異質的な性格が現れている。即ち、まず第一に、質量を持った点としての点粒子、つまり質点という概念は、上に述べたように、大きさと形を持った原子の存在を暗暗裡に想定していたニュートンにとっては、少なくとも実在に直接対応するものではあり得なかったはずである。」 これは上で我々が、ニュートンに遠く、ライプニッツに近いと述べた点である。湯川は他にも二点の違いを上げているが(その点は次の引用に要約されていると見ることができるから)、それよりも、次の「ボスコヴィッチの評価」の節を見よう。
 「………そういう(科学思想の主流の)側面からみると、終始一貫、質点間の遠隔力が中心的役割を果たしていて、近接作用という考え方とは全く無縁なように思われる。
しかし、見方を変えると、陽画と陰画はたちまち反転する。即ち、ボスコヴィッチの模型において中心的な役割を果たす遠隔力が、質点間の距離の、どのような関数になっているかを決定する法則は一体何であるか、という問題に注意を向けたとしよう。すると、それぞれの質点は、それからある距離を隔てた位置にきた他の任意の質点にある一定の力を及ぼすわけであるから、各質点は力の中心でもあることになる。つまり各質点を中心として、空間に力の場ができているわけである。そして各質点は逆に、他の質点のつくった力の場の中で、古典力学の運動の法則にしたがって動く。各質点が移動するにつれて、空間の各店の力の場も変化する。したがって、力の場のほうに着目するならば、その空間的分布や時間的変化を規定する場の力学の方が、質点の力学よりも前面に押し出されることになる。」 これが既に「ボスコヴィッチの評価」ではないことは明らかである。更にこの観点を展開した湯川は、この節の終りに次のように述べている。
 「………このように空間的に近接する諸点の力の場の間に一定の関係があると認めることは、エーテルのような実体が捨象されてしまったという意味での、非常に抽象的な形での近接力への還元であるとも解釈される。こういう見方をするならば、ボスコヴィッチ理論は遠隔作用を基本的なものとして認めるという十八世紀の一般的傾向を、そのまま反映しているという性格の他に、後に述べるように、十九世紀をとび超えて、二十世紀的な近接作用に直接つながる要素を含んでいたとも言えるのである。」 ニュートンの定式化した引力は、遠隔力であるか、近接力であるかは大きな問題であった。そこに登場するのがエーテル論である。近接力であるなら力を伝える媒質は必要ないが、遠隔力であるなら、その媒質が必要である。その媒質をエーテルと呼び、後にマイケルソン−モーリーの実験(アインシュタインの相対性理論の切っ掛けとなったともされる)によって否定的な結果が出されるまで、ほぼ二世紀の間、暗黙の内に前提されていた。湯川は、ボスコヴィッチが、基本的にこうした遠隔力の立場にあったという見方を否定して、質点→場の理論という展開を与えて全く逆の「評価」を与えるのである。
 湯川はこの後、二十世紀の流れを簡単に整理し、アインシュタインに触れた後、次のように述べてこの章全体を締めくくっている。
 「しかし、私は話がここで終っているとは思わないのである。はじめに述べた、ニュートンとボスコヴィッチの間にある、原子のイメージの違いは、現在でもなお意味があると思うのである。量子力学と相対性理論の段階では後者、即ち点粒子模型の方が有利であったが、非常に多くの種類の素粒子の存在が知られており、しかも、それらを統一的に記述する自己整合的な理論が発見されていない今日の状態においては、何か新しい意味での素粒子自身の時間的・空間的構造が考え出されねばならないであろう、と思う。だから話はまだ終っていないと言うのである。」 湯川秀樹が輝いていたのは、ノーベル賞を得た若き日ばかりではない。


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