ベルクソン × ヴィンデルバント

哲学史


 様々な問題を扱ったベルクソンの著作に統一性を与えているもの、それは方法としての「直観」の概念である。
 時間概念の検討(『時間と自由』)から出発したベルクソンは、普通に考えられている「時間」なるものが、計測されるディジタルな時間であると指摘し、そうした量的な時間は既に「空間化された時間」であって、本来的な時間ではないとする。本来的な時間、空間化されない時間、質的な強度を持つ時間、彼の言葉に言う「純粋持続」としての時間、それは本来「意識に直接与えられたもの」(『時間と自由』の元のタイトル)である。空間化し、量化するのは科学である。その科学の方法をベルクソンは「知性」と呼ぶ。これに対して、哲学の方法、それが「直観」である。
 ベルクソンの表現によれば、知性は対象のまわりをぐるぐるまわるだけである。ところが、直観は、直接に対象=実在の中に飛び込んで行く。単に外から眺めるのではなく、そのものの中に入り込んで、そのものの流れに乗ること。これがベルクソンの言う直観である(→ベルクソン対ブラウアー)。
 ベルクソンはこれを、実在を捉える方法として練り上げたが、これは「方法」としては様々な対象に向けることができる。例えば、著作としては刊行されていないものの、ベルクソンは大学の講義で、過去の哲学者たちを取り上げており、その理解ないし解釈においても「直観」を用いる。あるいは、過去の哲学者たちの思考の中に、直観を見出そうとする。例えば、スピノザについてベルクソンは次のように述べている。
 「デカルト主義やアリストテレス主義に近い概念のうっとうしい塊の後にスピノザが持っていたのは、直観、どんな決り文句でも、それがどんなに単純でも、表現できないほど単純な直観なのです。」(『思想と動くもの』所収「哲学的直観」) スピノザの『エチカ』は、実体や属性といったアリストテレス風の用語、そしてデカルトに由来する(とベルクソンが解釈している)幾何学的方法を採用している。しかし、ベクルソンは、スピノザにとってそれらは単なる形式、入れ物にすぎなかったのだと考える。スピノザの本質的な思想は、むしろ、それらの大がかりな装置に先立つ、単純な直観に帰するというのである。「スピノザがデカルト以前に生きたとすれば、勿論書いたものは違っていたでしょうが、この根源的な直観に遡れば遡るだけ、スピノザが生きて書く限り、やはりスピノザの思想が確かにあるのだとよりよく納得できるのです。」 ベルクソンが時間に関して見出した直観という方法は、時間、そして実在の中に入り込む直観である。スピノザの場合も、そうした実在の直観こそが彼の思想を形成したのであって、その外的な形式は、デカルトやアリストテレスからの借り物、いわば「空間化された時間」のように皮相なものにすぎない。
 これに対して、スピノザにとってそうした形式こそが体系を成り立たせる条件になっていたのだという哲学史的理解も当然成り立ち得る。我々はそれをヴィンデルバントのスピノザ理解に見出すことができる。
 「幾何学的方法は、彼(スピノザ)にとって名前だけのものでも、証明の外面的な装置にすぎないものでもなくて、彼に、彼だけに固有の汎神論(ヴィンデルバントの理解する、「数学的汎神論」のこと)の最も内的な性格なのです。」 スピノザは、本質的に、幾何学的な哲学を打ち立てたのである。したがって、その体系は空間的な体系であって、スピノザの自身の言葉で言えば「永遠の相の下に」見た理性的論理的体系、したがって、時間の要素が入らない、静的なものである。そこには歴史が欠けている。ここでは、世界は幾何学的図式、数学的関係に還元されているのであり、それによって世界は「血と精気を失う」。これこそがスピノザに固有のものであって、それ以外の彼の思想の方が「借り物」である、そんなものは他の哲学者にも見出せる、というのである。
 我々がベルクソンとヴィンデルバントに見出したのは、スピノザという特定の哲学者に対する哲学史的理解である。しかし、こうした対照的な二つの理解は、ベルクソンやヴィンデルバントばかりではなく、至るところに見出すことができるものである。つまり、彼ら二人は、スピノザに対する対極的な解釈の典型的な事例なのである。しかしまた、スピノザを離れて見れば、二人の解釈は、その方法の点、つまり哲学史理解の点でも対照的である。
 幾何学的形式がスピノザの体系にとって本質的であり、数学的方法が彼の哲学の方法なのだとする解釈は既にヘーゲルによって主張されている。ヘーゲルは、哲学にはそうした借り物ではない哲学固有の方法があるのだ、と言いたいのである(それが彼の「弁証法」であることは言うまでもない)。また、スピノザの属性が実体の形式に過ぎないという解釈は、カントの感性的直観の形式に準えて主観的なものとして理解することも既に行なわれていた。ヴィンデルバントのスピノザ理解は、そうした、いわば伝統的なスピノザ解釈をラディカルに押し進めたものであると言える。
 ヘーゲルは哲学史を「哲学史」として成立させた張本人である。その哲学史理解が大きな影響を持ったことは言うまでもない(ヘーゲル派の哲学史の代表はシュベークラーやフィッシャーである)。しかし、ヴィンデルバントの時代、ヘーゲル主義に対するカント主義からの反動が吹き荒れていた時代であった(これを新カント派と呼ぶ)。その中でヴィンデルバントは、中心的な役割を果たしたのだが、その主な舞台となったのが哲学史である。つまり、ヴィンデルバントは専門の哲学史家として、一家をなした代表者である。したがって、哲学史観においてヴィンデルバントの対立者としてベルクソンを持ち出すのは、些かイレギュラーであり、ヴィンデルバントにとって失礼である。実際、ベルクソンが、スピノザの「根源的直観」なるものをどう理解していたのかは我々には詳細には示されない。しかし、ベルクソンの言葉は哲学史をどう考えるかについて一つの示唆を与えてくれると言える。 ヴィンデルバントは専門哲学史家として、彼の哲学史観を持っていた。それは「問題史」的なものである。したがって、それは個々の哲学者を問題にするというよりは、哲学者たちを縦断的に、テーマ毎に分解して論じるものである。神についてはこれこれ、方法についてはこれこれ、というよう。そして、奇しくも彼の代表作の一つは『一般哲学史』と名付けられている。
 ベルクソンの方法は、そうしたヴィンデルバント的な哲学史観に対抗するものではない。しかし、少なくとも、哲学史の方法の一つではあり得るだろう。


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