アリストテレス × ダーウィン

「種」の起源


 「博物学」対「進化論」。これは対戦型哲学史であって生物学史でないというなら、「種」(エイドス)は、アリストテレスにとって、生物学的概念であり論理学的概念であったことを思い出しておくとよい(そんな訳で、ラテンな中世論理学では種を「スペキエス」といい、同じくラテン語命名法を保持してる生物分類学は種を「スペキエス」と呼ぶ)。というよりむしろ、アリストテレスは生物(分類)の原理から存在の原理を引き出したのである。彼は「種」の同一性を、次のような「生物の観察」から引き出す。ナスビのつるにヘチマはならない、蛙の子は蛙。犬が生むのは犬であり、人が生むのは人である。AはAを生む。AはAである。「種」の同一性は、種の再生産性、反復性による〔イデア的対象の反復=再産出=再現前可能性が思い出される(→フッサール対デリダ)〕。
 ところでダーウィンは「種(スピーシーズ)」なんてものは信じていなかった。「種」という分類=「不連続・切断」に対して、変種、亜種の「連続」こそがダーウィンの友であり、彼の進化論はそれを元にして作られた。進化においても(当然「分類」においても)、「発端の種incipient species」、「変種」、「亜種」、「種」(以上、違いの小さい順)まで、なだらかな程度の差しかないなのであり、したがってまた、ほとんど連続的な移行が、ある「種」と別の「種」を繋いでいるのである。ましてや「種」が、何かその「種」の《本質》のようなものによって、はっきり別の「種」から区別され隔てられるのだという考えなど、「進化論」の考えが受け入れられた暁には、断念されるはずだとダーウィンは考えていた。
 ダーウィンには、「種」を互いに峻別する「仕切り」など見えなかった(あるいはそんなものは無数に見えたのでないも同然だった)。同じことだが、ダーウィンは個体しか見なかった。個の多様性が、やがて「種」の境界=器を溢れ出ていこうとするところ(変種・亜種)から出発した(フランシス・ベーコンは『学問の進歩』で、逸脱者・異常物の研究を勧めている。アリストテレスの「オルガノン」に対抗して『ノーヴム・オルガーヌム』を書いたベーコンの「帰納法」の秘密がここにある(→アリストテレス対ベーコン))。この生物学の唯名論者は、『種の起源』という書によって、「種」が立ち現れるその《起源》をあぶり出すことで、「種」という普遍者の相対化・無効化を目指したのである。その進化論が「個体主義的」であるのは当然である。また、そこでの《起源》が、人類の、あるいは生物の「祖先」のようなものを意味しないのは明らかだ。


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