ヤコービ × スピノザ

汎神論論争


 「汎神論」という言葉については、様々な定義があるが、ここではシェリングにならって、「万物の神のおける内在」としておく。逆に言えば、神の外には何もない、である(→スピノザ対シェリング 汎神論)。スピノザの有名な標語で言うと「神即ち自然」である。
 この汎神論が幾度かの「論争」を引き起こしたのは、キリスト教の教義と抵触するためだった。人間は原罪を負っている、とするキリスト教の立場は、だから神と人間とは切り離して考えることになっている。なぜなら、原罪とは人間が持っている本質的な特性なのであって、神が人間に与えたものではなく、人間が自由に(勝手に)産み出してしまったものだからだ。汎神論は、こうした原罪を否定してしまう。なぜなら、「全ては神の中にある」なら、人間の罪は神の罪ということになってしまうからである。神は絶対に善なのだから、これは困るのである。逆に、すべては神なのだから悪は存在しない(スピノザの考えはこっちに近い)と考えるなら、これも駄目だ。何せキリスト教では原罪という「悪」がなければ教義が成り立たない。
 こうした神と人間との切断を別の表現で「超越」という。原罪を背負った人間に対して、善なる神は絶対の彼方に存在する。汎神論はこうした超越神論を否定してしまう。
そして、キリスト教の神と言えば超越神なのだから、汎神論は結局、無神論に行き着くことになる(内在神論=汎神論=無神論←→超越神論=有神論)。唯物論だとも言われる。もうむちゃむちゃでボコボコである。
 こうして、汎神論の親玉とされたスピノザは無神論者として葬られることになった(スピノザは名を「ベネディクタス」と言ったが、これは「よく・恵まれた(祝福された)」といったような意味である(英語でもベネディクション=祝福)。しかし、スピノザは(キリスト教徒)みんなから嫌われたので、「マラディクタス」つまり「悪く・呪われた」という有難くないあだ名を付けられたりした。とにかく「極悪人」の一人だったのだ)。このスピノザが改めて問題とされ、今度はスピノザに味方する(と思われた(本人には迷惑だったのだが))人も出てきた時代、それがドイツにおける「汎神論論争」の時代である。
 論争の発端は、ヤコービが、「最近死んだレッシングはスピノザ主義者だったようだよ」と言ったことから起こった。レッシングは勿論のこと論争に加われなかったが、メンデルスゾーンはレッシングを擁護して立ち上がった。なぜ「擁護」する必要があったかと言えば、上に述べたように、スピノザ主義=汎神論=無神論だから、「レッシング(程の文学者、思想家)がスピノザ主義だった」というのはとんでもないスキャンダルのすっぱ抜きだったからである。ヤコービはこうした論争を含めて、メンデルスゾーン宛の手紙(といっても、当時の手紙は論文と同じ扱いで公開だったし出版もされた)の中で全部ばらしてしまった。
 しかし、ヤコービは別にレッシングが嫌いだったわけではない。二人はむしろ友人だったのだ。彼が嫌いだったのはスピノザ(主義)だった。ヤコービは信仰と感情の人である。彼はスピノザが『エチカ』を書いたような幾何学的形式も、『エチカ』に含まれている機械論的な自然学も、汎神論も、とにかく気に入らなかったわけである。理性至上主義の典型に見えたのだった。@(→ヤコービ対カント 汎神論論争2) 上に述べたように、この論争の直接の当事者はレッシングとヤコービ、メンデルスゾーンだったが、ゲーテ、カントも巻き込んだ大論争になった(ゲーテはスピノザの賞讚者だった)。カント以降のドイツ観念論はこの論争から決定的なインパクトを受けている。これ以前、スピノザ(主義)は一種のタブーであって、彼に触れるときは批判するとき以外なかった。それが形勢逆転して、「スピノザ主義以外は哲学ではない」(ヘーゲル、シェリング)とまでされるようになった(一部では)のである。ヤコービにすれば、薮をつついて蛇を出したわけである。
 もっとも、そうしたスピノザ再評価(第一次スピノザ・ルネッサンス)がスピノザをちゃんと理解していたかというと問題があるが、それは今でも似たようなものだ。今でもスピノザを毛嫌いする人は多いし、逆に唯物論者の中には猫可愛がりにする人もいる。まあ、いろいろである。


inserted by FC2 system