カント × ディルタイ

精神科学の基礎付け


 ディルタイとカントとの関係は、ヴィーコとデカルトとの関係(→デカルト×ヴィーコ)に似ている。デカルトが旧来のスコラ哲学を批判して新しい方法を説いたように、カントは、イギリス経験論とデカルトを含めた合理論とを批判して、新たな批判哲学を構想する。それによって両者は、それぞれの時代の自然科学的認識の基礎付けを行なおうとしたのである。しかし、デカルトに対してヴィーコが現れたように、カントに対してもディルタイが登場する。
 ディルタイの主著の一つは『歴史的理性批判』と名付けられた。これは、サルトルの『弁証法的理性批判』と同様に、カントの『純粋理性批判』に由来するものである。ディルタイの試みは、ある意味ではカントの批判主義を受け継ぐものなのだ。しかし、ディルタイが目指したのは自然科学的認識の基礎付けではなく、精神科学の基礎付けであった(ここで、19世紀末から20世紀初頭の学問分類に触れることはできないが、「精神科学」とは、ドイツ独特の名称である)。歴史(学)はそうした精神諸科学の一つなのである。そして、ディルタイの時代、歴史主義が一つの流行でもあった。
 しかし、それならディルタイは、リッケルトたち新カント派の論客と同じ試みをしたのだろうか。なぜなら、リッケルトは、カントが扱った自然科学認識に加えて、ディルタイの精神科学に当るような「文化科学」の基礎付けを目指したのだから。
 しかし、そうではない。ディルタイが彼以前の哲学を批判する手法はカントの批判主義に則っていると言ってもよい面はあるが、ディルタイはカントに回帰し、その哲学そのものを復興しようとしたのではないのだ。というのは、リッケルトたちの企てが自然と文化、自然と精神(人間)、自然と歴史といった、まさにカント的な二分法に基づいていたのに対して、ディルタイが求めたのはそうした分割を排除した全体としての人間の姿(der ganze Mensch)だったからである。リッケルトたちが自然科学と文化科学を並立した二つの分野だと考えたのに対して、ディルタイは精神科学こそ根源的だと考えるのである。
 こうしたディルタイの試みは、「生の哲学」の流れの一つとして位置付けられ、ベルクソン、ジェームズ、西田幾多郎らと同じ系譜の上に置かれる。ベルクソンの「純粋持続」、ジェームズや西田の「純粋経験」に対応して、ディルタイは「直接経験」を強調する。ディルタイがベルクソンやジェームズと同様に、心理学に関わって行く(ジェームズは、元は心理学者だった)のは、こうした文脈を持っている。ただし、ジェームズがそうであったように(→ジェームズ対イギリス経験論)、ディルタイの心理学(記述的心理学と呼ばれる)も、彼以前の要素的心理学(連合心理学)への批判を含むものである。つまり、精神現象は、個別的な要素からなるものではなく、全体として与えられるものなのである。諸要素はむしろ、そこから分解された結果生まれるにすぎない。この点は次のようにカントと対比させることができる。つまり、カントは多様な感覚の内容が、悟性の形式によって整理されるのだと考えたが、こうした形式と内容との分離を前提とした形式主義ではなく、むしろ形式を内在させた内容(ディルタイ「経験と思考」)こそディルタイの言う「直接経験」なのだと。
 ディルタイのこうした試みは、やがてフッサールの現象学へと発展させられて行くことになる。
 カントが試みた自然科学の基礎付けにおいては、アプリオリ(先天的)という言葉が旗印であった。それは、自然科学は、経験に依存した(=アポステリオリな)知ではなく、いわば生得的な形式を持っている(→カント対ミル)。その形式をカントは、「純粋悟性概念」と呼んだ。即ち「カテゴリー」である。しかし、ディルタイにとって重要だったのは、そうしたアプリオリなカテゴリーではなく、人間精神の、具体的で生き生きとした全体的な体験から生まれてくるものである。つまり、歴史を構成しているのは、先天的な範疇なのではなくて、それ自体が歴史的に形成された範疇なのである。


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