ロスケリヌス × ギョーム

普遍論争第二ラウンド


 普遍論争における一方の旗頭であるロスケリヌスは、<普遍>は個物の後に形成されるもので、それ自体は実体的には存在しない(言葉でしかない→唯名論→ロスケリヌス対アンセルムス)と考えた。彼の弟子だったのがシャンポーのギョームである。しかし、師弟の間にはギャップが生まれるのが常である。この師弟は全く異なる立場を採った。ギョームは極端な普遍実在論の立場に走ったのである(これを「超実念論=シュールリアリズム」と呼ぶ)。彼の考えでは、<普遍>性に対する個別的なものの個別性(普遍的な人間性に対する、例えば「ソクラテス性」(なぜか伝統的に個別的な人間の「代表」と言えばソクラテスなのである)といったもの)は実体的なものではなく、偶有的なもの(アクシデンタルなもの)に過ぎない、むしろ<普遍>だけが実体である。
 しかし、極端になると困ったことが起こってくるのが常である。ギョームの説では、逆に「ソクラテス」であれ、「中曾根康弘」であれ、<普遍的なもの>としての人間性の度合は同じであることになる。これを拡張すれば、神であれ個々の人間であれ、実在性の度合は同じであることになってしまう。つまり、汎神論であり、行き着くところは無神論である。


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