トマス × シゲルス

神学と哲学の調和


 アキノのトマスと言えば、言わずとしれた中世スコラ哲学の大立て物であるが、ブラバンのシゲルスと言えばちょっと、いや、かなり知名度が低い。これで果して公平な戦いになるのだろうか。いやいや、知名度が問題ではない、要は中身だという人もあろうが、別にそう気張らなくてもよい。トマスの相手にシゲルスを持ってくるのは、十分な理由がある。なぜなら、シゲルスとはつまり「トマスの敵」の代名詞であるからだ。そして、なぜそうなのか、は、トマスとシゲルスとの戦いが一種の代理戦争であったと、ひとまずは言ってよい。
 この戦いでヘレナ(トロイヤ戦争の切っ掛けとなった、美女)の役割を演じますのは、アリストテレス。トマス的スコラ哲学とアウグスティヌス的教父哲学の境目は、このアリストテレス輸入にある。どこから輸入されたか?勿論イスラムである。そして、トマスらによって解釈が行なわれる以前に、既にアリストテレス学はイスラムで一つの極致に達していた。
 イスラムのいわゆる西方哲学の代表者がアヴィケンナ(イブン・シーナ)であったとすれば、東方哲学の中心はアヴェロエス(イブン・ルシュド)である。このアヴェロエスこそ、中世哲学界における「注釈者」を自らの固有名詞にしたほどのアリストテレス権威であった。勿論、中世哲学で「哲学者」と言えば、アリストテレスに決っている。
 キリスト教世界に輸入されたのは、彼らイスラム哲学によって解釈されたアリストテレスであった。しかし、イスラム哲学自体がイスラム教神学と不可分の関係にあり、それ自体一つの神学体系であったとしても(実際は、アヴェロエス自身がイスラム神学から批判を受けていた)、それをそのままキリスト教神学に取り入れることは不可能であった。それどころか、アヴェロエスが解釈しようが、誰が解釈しようが、アリストテレスそのものが駄目だとする極端な攘夷派もあった。ボナヴェントラがそうである。これらの勢力に対抗するためにトマスらが努力したのは、アリストテレスがキリスト教から見て正当であることを示すことだった。これに対して、アヴェロエス的なアリストテレス主義こそ正しいとする一派(ラテン・アヴェロエス主義)も生まれる。後者の代表がシゲルスだったのである。
 この両者の戦いの主戦場となったのは、能動知性の問題であるが、これはアヴェロエス対アヴィケンナに譲る。ここでは、二重真理説と世界永遠説について触れよう。
 神学=宗教(一般的にはヘレニズム思潮)と哲学(=ギリシャ思想)との関係は、既に、イスラム哲学内におけるアヴェロエスにとっても問題だったし、西洋中世哲学そのものにとっても、当初からこの問題は目の上のタンコブだった。中世哲学史とは、実にこの問題に対する対応の歴史でもある。
 理論的に言っても、この問題に対する解答は三種ある。第一は、哲学と神学ないし宗教とは全く別の次元の話だとする立場である。第二は、哲学を神学に順応させる立場である。第三に、哲学を全く排除する立場、信仰一本槍のファナティックな主張である。考えられる他のパターン、つまり、第二の立場の対=神学を哲学に順応させるというのと、第三の立場の対=神学を全く捨てるというのは、これは中世ヨーロッパでは破門→没落→死を意味したから、これは考えない。
 第一の立場がラテン・アヴェロエス主義であり、第二の立場がトミズムであった。
 アヴェロエス主義者は、基本的に、アリストテレス主義である。あるいは、自分たちは(自分たちこそ)アリストテレス主義だと思っていたのである。だから、アヴェロエス主義という命名は、アリストテレスとアヴェロエスとは違うという立場から見たものである。このことが何を意味するかというと、アヴェロエス主義者は、アリストテレスの考えは、自分たちアヴェロエス主義者が解釈したからキリスト教と相容れないのではなく、もともそアリストテレスそのものがキリスト教と違うのだ、という実に正当な考えを持っていたということである。だから、哲学(アリストテレス)の真理は、キリスト教に反するとしても、それは自分たちの主張なのではなく、アリストテレスの意見なのだ、という逃げを用意していたということである。
 具体的に問題点を挙げれば、例えば世界は永遠か否かという問題がある。アリストテレス(主義者)からすれば、世界は勿論永遠である。そもそも、世界は神の手による創造だとする方がむちゃくちゃなのだ。しかし、神による無からの創造というのは、啓示によって示されているのだから、これを切捨ててしまうのは、立場上、まずい。
 あるいは、キリスト教の根本教理である魂の不死。あるいは、神の摂理の問題。これらに関して、キリスト教など与かり知らなかったアリストテレスの「理性的な」哲学は、全く信仰に反するような解答を準備していた。これらは、哲学的には真である。言い換えれば、自然的世界に関しては妥当する。しかし、神には奇跡という超自然的な手がある。したがって、哲学において真であることが、信仰にとって真であるのではない。この二つは全く違った次元の話なのだ。ざっと、こうした考えが二重真理説である。
 これは、言うまでもなく、神学と哲学の調和を主張するものであり、更に言えば、つまり、キリスト教の立場から言えば、半分異端に足を突っ込んでいるようなものだ。なぜなら、キリスト教があればそれで十分なのだから、わざわざその外部に「哲学」などというものをおかなくてもよいではないか。哲学を云々するなら、哲学は利用するだけ、神学の下女で十分だ(もっとも、「神学の下女」としての哲学という言い方は、別に哲学を見くびったものではない、という解釈はある)。
 トマスの立場のいわば対偶は、哲学に神学を順応させる、という立場である。これならば形式的には五分の戦いになる。しかし、哲学を神学に順応させるというトマスの立場さえ、当初は猛反発を食らったのであったことを考えれば、哲学に神学を順応させる、という立場を飛び越して、哲学と神学のほぼ対等を主張するシゲルスの立場には、更に身の置きどころがないことは明かである。
 しかし、こうした二重真理説の起源であるアヴェロエスの考えはより徹底したものである。彼の考えは、神学と哲学の一致であり、より踏み込んで言えば、神学を哲学に回収する試みであった。彼が挙げた人間の三段階(→アヴィケンナ対アヴェロエス)の中で、最上位は哲学者であり、神学者は中間であるが、実はこの神学者が最も不健全であるとされる。宗教にとって必要なのは、預言者でこそあれ、神学者ではない。なぜなら、預言者の説くのは、哲学者の真理と同一であり、ただ後者はあまりにレベルが高いので、預言者は一般大衆に分り易いように感覚的、比喩的な表現で語っているだけなのだ。そして、そうである以上、ここに淵源を持つ二重真理説が、アヴェロエスより緩和された説であったとしても、キリスト教にとって不都合なことは明かである。
 こうして、キリスト教世界である中世ヨーロッパでは、二重真理説は圧倒的に分が悪いことになる。実際、シゲルスは、トマスの『知性単一説に関してアヴェロエス主義者を論駁する』論文が自分に対する異端告発だと思い(この論文がシゲルス攻撃だったことは確かである)、『知性論』とする反解答を著したが、一面で「こりゃ、あぶねえ」と思ったのか、教皇庁へ直訴してもいる。結局シゲルスは禁令の対象(1270年第一回)となり、また、トマスの影響を受けて、自分の立場を変えたとも言われている。しかし、上に述べたようにトマスのアリストテレス受容そのものまでも異端視する立場もあり、実際、アヴェロエス主義に対する禁令は、実はトミズミへの禁令を含んでいたのである(1277年の、第二回、第三回禁令)。反アリストテレス主義勢力(アウグスティヌス主義)からすれば、トミズムもアヴェエイスムも同じ穴のムジナであった。
 トマスとシゲルスの対立が一種の代理戦争だっただったというのはこうした意味である。つまり、アウグスティヌス主義を後門の狼とするトマス主義が、門前の虎としてのアヴェロエス主義(シゲルス)とにらみ合っていて、その更に背後にはアヴェロエスが控えているという図式。アヴェロエスを認めないという点でアウグスティヌス主義とトミストは手を握るが、この両者も実はアリストテレス受容の可否について対立しているのである。
 この論争が示すのは、哲学上の論争が「哲学的真理」を巡る争いばかりではないことである。この論争に決着を付けたのは、永遠の真理などではなく、教会という名の世俗世界における力関係だったのである。しかし、むしろ、そうした力関係を排除した、純粋な哲学的論争などが存在するのかどうか。

 


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