スピード

SPEED


 映画は毎秒24コマの映像を映し出すが、人の脳にはそれが融合 して知覚される。つまりこれくらいの速いと、それぞれの映像を別々のものとして捉 えることができないのである。これは眼というより脳の限界であって、映像の1コマ をまったく別の映像にさしかえると、知覚はできないが、潜在意識はその映像を捉え ている。これがサブリミナル映像である。
 もっとも眼の方にも限界があり、通常人の眼は1/50秒の速さを越えると捉えら れない。これを臨界融合周波数(Critical Fusion Frequency)という。我々が見て いるものは、結局は決して時間的に連続している訳でなく、高速度で撮影された映画 フィルムのように切り離されている。我々が眼にしている「客観的世界」は、こうし た「時間の格子戸」によって限界づけられているのである。
 私たちは、次の動きの主体になるべき身体が、次の空間にあることを見越して、そ こからの自分自身への意識を想定して動いています。
 腕などを動かしていると、意識されるからだは、すでに身体が「とおった」ところ の空間であることがわかります。「とおった」ところ、あるいは「とおった」位置 を、それが空気であれ「からだ」と感じることができるということは、同時に「も の」と感じることができるということです。感覚を意識する速度を遅くすることで、 より身体の「とおった」ところが、ながく「からだ」として感じることができます。
(森出『身体の平均律』)
 アリストテレスの物体落下法則は、次のようにまとめられる。すなわち物体の落下 速度は、物体の質量に比例し、媒体の密度に反比例する
 物体が、空気中を落下するのであれば、2倍の密度を持つ空気の中では、落下速度 は1/2になる。
 逆に、真空中を落下するのであれば(その密度は0であるから)、落下速度は1/ 0=∞、無限大になる。
 つまりどのような距離を行こうとも移動時間はすべからくゼロとなり、落下物体は 真空においては、あらゆる場所へ時間をかけずに移動することが可能となる。言い換 えれば、同じ物体が同じ瞬間にあらゆる場所に存在することが可 能となる。
 (もっとも、この不条理を、アリストテレス派は「真空の否定」のひとつの根拠と したのだが)。
「ヒューズ一人の存在だけで、フラーやマクルーハンの世界主義理論に対する最もラ ディカルな批判になっているのだ」(ポール・ヴィリリオ『速度と政治』)。
 ハワード・ヒューズのやり方は、情報を発するもの・媒介するものに手当たり次第 に資金を投入することだった。やがて衛生上の恐怖からすべて人間との接触を避け自 分を「隔離」することになるこの男は、ハリウッド映画、飛行機そして世界初の旅客 航空網、ラスベガスのカジノやテレビ局、そしてまもなく遠隔探査(リモートセンシ ング)から間大陸通信まで行なうだろう人工衛星をうちあげることになるヒューズ・ ロケットまで、あらゆるメディアに熱中する(そのうちのいくつかは、彼がメディア にまで押し上げたのだ)。

メディアはスピードだ。

「電波や光ケーブルで結ばれた、世界中と光速でやり取り可能 な端末」のかわりに、ヒューズは飛行機で世界を3日間で一周する。貧弱な「スーパ ーハイウェイ構想」は、〈ビデオ・オン・ディマンド〉において、アメリカが供給 (サプライ)できる「情報」は、結局過去の「映画」しかないことを露呈する。今 日、「グローバル・ヴィレッジ」などある訳がなく、かわりに小ヒューズはいたると ころにいる。

                、、、         
「あらゆる革命には交通が逆説的に現前する」


 輸送の結果としての孤独と連帯。
恋人は公共の交通機関で、あるいは自家用車 でやってくるだろう。
休日、都会へ帰る道路は渋滞してる。閉じ込められた二 人。
交通渋滞は戒厳令に、駐車禁止は集会の禁止に、それぞれ等しい。
そし て幾重にも流れを止め、整流する速度制限の法。彼らは帰り着く都会から隔てられ、 郊外につかのま置き止められる。
ディケンズ『BLEAK HOUSE』

「この子供は」と巡査は言う「何度、立ち止まってはいかんといっても、いうことを 聞かんので---」
「おいら、いつも立ち止まってなんかいないよ。お巡りさん」
男の子は垢のまじった涙を腕で拭った。
「生まれた時からずっとずっと歩いてたよ。これ以上、どこへ行けばいいんだよ?」



大衆とは、
チャップリンが描いて見せたように
「通行人」であり、
人民や社会の構成員のことではない。(『速度と政治』)


「社会人とは、定期券を持った人間だ」
(川崎ゆ きお「猟期王」)


 現在、路上にいる延べ時間の4/5を占める民衆は、飛行機に乗ったことがなく、 毎日望みもしない通勤(トリップ)の回路に投げ込まれている。
 一方、人口のコンマ数%のジェット族は、商務省の定義によるところの「歯ブラシ をもった旅行(トラベル)」をする余裕がある。
 アメリカでは、エネルギーの45%が輸送機関に投入されている。移動速 度が時速15マイルを越えると、社会の公平が低下する。
 社会的不公平とはエネルギーの不公平であり、畢竟移動速度の不 公平である。
 あるいは光よりは遥かに遅い速度だけれども、電気シグナルで互いに結ばれたター ミナル(端末)にアクセスする事ができる。輸送なしには、どちらの人も何事もでき ない。
 いずれにしろ、階級的な移動速度の差(不公平さ)が、交通網の形態を決定し、都 市の構成をも決定する。

速くて豊かな人々。貧しくのろまな自分。


ダーウィンの椅子:もと拷問道具。ダーウィン(エラズマス=チャールズ・ダーウィ ンの祖父)によって精神病治療の道具とされた。患者は、高速度で回 転する椅子に乗せられる、一種のショック療法の器具。


「すべての事実を急速に回転させるために、まずみずからの精神的踵で旋回運動をす るのだ」
(ポオ『ユリイカ』)

 粒子の速度を選別するための装置(速度選別器)には、次の4種類がある。1.ス リットを回転させて力学的に速度選別するもの(対象:低速中性子)。2.スタティ ックな、またはダイナミックな電磁場を利用するもの。3.飛行時間法によるもの。 4.チェレンコフ放射を利用するもの。  このうち2と4は荷電粒子に対してのみ適用可能である。2と3は低速粒子から光 速近くの粒子までかなりひろい速度に渡って利用できるが、4は光速近い荷電粒子に 対してのみ適用可能である。 一般に温度差は失われる一方で、自然に生ずることはない。この経験的事実は熱力学 第2法則の根底だが、分子論的には統計力学によって基礎づけられる。  しかし気体を入れた箱の中に隔壁を設けて小さい扉を付け、ある番人に速度の大き い粒子だけを選別して、一方の部屋にいれるようにすれば、統計力学により温度とは 粒子の運動量の平均であるから、「速い粒子の部屋」の温度はどんどん上がり、温度 差が生じていくことになる。マクスウェルが仮想したこの番人を、マクスウェルの魔 と呼ぶ。

                         …………都市の門、入市税、 税関は、大衆の流動性と移住を図る群れの浸入力に対する堰であり、 フィルターであった。ここに流れ(前進)が停止し、運動性がだしぬけに消 滅する。腐敗が始まる。スラム街、と「郊外」の発生(絶望的なスラム・クリアラン ス(浄化)の企て)。二つの速度の間(INTERVELOCITILIRY)。商品・食料・家畜・そ して労働力といった社会的物資がそこに保存され、物資の流れがそこで切断される。 スラムは低コストで都市民の衣食住を(そしてスピードを)支える都市の「遠隔地」 となる。

「まだ鉄道馬車で学校へかよったことのあるひとつの世代が、いま、青空に浮かぶ雲 のほかには何もかも変貌してしまった風景のなかに立っていた。(その雲のしたで 、)破壊的な力と力がぶつかりあい、爆発をつづけているただなかに、ちっぽけなよ わよわしい肉体の人間が立っていた。」
(ベンヤミン『経験と貧困』『物語作者』)
 ワットの蒸気機関の特許切れにはじまる(1800年)にはじまる19世紀は、通信よ りも輸送の時代であった。
15世紀後半から英語で用いられていたコミュニケー ション(伝達)という語は、当時「輸送手段」を指す抽象名詞になりさがっていた。 この語は、やがてトランスミット(送る)とシェア(共有する)の二つの焦点を持つ 楕円形を描くようになるだろう。
 鉄道は人間性の邪悪な面を強くおもてに出した。悪人はこれから邪まな計画をいっ そう手早く成しとげる。……その上、鉄道は懐疑主義と絶望の原因でもある。なぜな ら旅行が容易になると、人間は多種多様な自然と宗教に接することになり、その結 果、人間は途方に暮れてしまうのだ。
(マハトマ・ガンジー)

 イヴァン・イリイチによれば、その製作の社会的全過程、必要エネルギーを考慮に 入れるなら、対エネルギー、対時間比でいって、自転車がもっとも「速い」(効率の 良い)交通機関である。

「社会主義(しあわせ)は自転車(チャリンコ)で到来する(やってくる)」
(ホセ・アントニオ・ヴィエラ −ガリョサルヴァドル・アジェンデ政権司法次官 補)

 子供たちが冒険旅行に出るにも、まずは電車に乗って郊外にでないといけない。い きなり筏にのって川を下ることもできない。原っぱはすべて囲まれた「残余」にすぎ ず、歩いていける・歩くものをどこかへ導いてくれるものではなくなっている。いく つもの「道路」(それは沿って進むものには道路でも、それを横断するものにとって は障壁だ)を越えて、あるいは迂回して行かねばならない、遅い徒歩者はますます遅 くなる・余計な時間がかかる。地上のどこにも、歩いていける場所などないのだ。
地球から打ち上げられた物体が地表面に落下することなく人工衛星として飛び続ける ために必要な速度を第一宇宙速度(衛星速度・内速度とも)といい、その値は地表面 で毎秒7.8km。また、物体が地球の引力を振り切って、太陽系内の空間を人工惑 星として運行するために必要な速度を第二宇宙速度(脱出速度とも)といい、その値は 地表面で毎秒11.2km。さらに、物体が太陽系から脱出するのに必要な速度を第 三宇宙速度といい、その値は毎秒16.7km。


GOD SPEED YOU!!


 例えば性的交合による遺伝情報の撹拌・氾濫が、王朝の正統性を危うくするし、性 感染病の感染経路の追跡を困難にするだろう(高等生物に比して100万倍の 分子進化速度を持ち、つまるところ時系列に膨大な遺伝情報を増 殖させる・ばらまくジュネレーターとしてのレトロ・ウイルスの同定には、王朝・民 族の血統性の保証=遺伝情報の一元的管理と以上に、「系譜作成」が不可欠となる (たいくつな一夫一妻を繰り返す「ただの先祖」ですら、n代前には、2のn剰の人 間=遺伝子が存在する)。
 ましてHIVのような逆転写酵素を持つレトロ(RNA)ウイルスは、遺伝情報を 混信させることを旨としている。RNAをDNAに転写し、DNAを書き換えて人細 胞を工場にしてRNA(情報)を増殖させる。避妊は人口爆発とともに、(遺伝)情 報爆発をも制限しようとするが、人口管理(選別=抑制)は情報管理である。そして あらかじめ生命という信用(創造)を文字通り流産させる。でないと早晩、(ファラ オの予言者ヨセフが予見したような)信用爆発→生命恐慌が起こるのだ。
 古代ギリシャの都市国家では、道路建設が国家事業とみなされることはほとんどな かった。しかし後にローマ人たちは、その「版図」を拡大するのに伴い、一大道路網 を築き上げ、これによって「帝国」を維持した。というよりむしろ、ローマ帝国に は、広大な「領土」(=境界線による空間の分割)があるのではなく、逆に交通網 (ネットワーク)の「拡がり」が帝国そのものであったといえよう。
 ローマ人たちの道路建築の原理は、できるだけ直線の道をつくること、それによっ て「中央」と「地方」をダイレクトに結ぶことであった(付け加えるならそうした 「接続」が「中央−地方」の関係を完成したのである)。「すべての道はローマに通 ず」と云われる由縁である。
 現在でもそうであるが、インフラストラクチャはその建設よりも維持することの方 がずっと難しいし金も労力もかかる。マンハッタン島は、2、30年後には、橋の2 /3を失い、機能を停止するだろう(使用しながらの修繕ではもはや老朽化に間に合 わない、しかしどの橋も使用を・つまり通行を停止することはできない)。スチール の時代は早晩幕を閉じるだろう。ローマでも、紀元4世紀になると既存の道路の維持 がおぼつかなくなり、それと同時にローマ帝国は東西に分裂する。分裂後も、維持さ れない道路はさらに切れ切れに分断されていき、結果「帝国」は失われ、「ヨーロッ パ」が出現する。

虹は思はず微笑ひました。
「ええ、さうです。本たうはどんなものでも変らないものはないのです。ごらんなさ い。向ふのそらはまつさをでせう。まるでいい孔雀石のやうです。けれども間もなく お日さまがあすこをお通りになつて、山へお入りになりますと、あすこは月見草の花 びらのやうになります。それも間もなくしぼんで、やがてたそがれ前の銀色と、それ から星をちりばめた夜とが来ます。その頃、私は、どこへ行き、どこに生まれてゐる でせう。又、この眼の前の、美しい丘や野原も、みな一秒づ つけづられたりくづれたりしてゐます。けれども、もしも、まこと のちからが、これらの中にあらはれるときは、すべてのおとろへるもの、しわむも の、さだめのないもの、はかないもの、みなかぎりないいのちです。わたくしでさ へ、ただ三秒ひらめくときも、半時空にかかるときもいつもおんなじよろこびです 。」
(宮沢賢治「めくらぶだうと虹」)


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