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■■『和英・英和 タイトル情報辞典』(小学館)1997■==========■

◆うっきー。またもや辞書である。その名も轟く『タイトル情報辞典』お値段
は税別で2800円。ISBN4-09-510192-X。

◆この辞書はそれ自身のタイトルが示すように、基本的に“邦題”が見出し語
になっていて、そこに“英題”と解説が記されているという辞書。巻末には、
英題と邦題(本文項目見出し)の対応を示す「英和事項索引」があり、一応、
邦題→英題、英題→邦題と双方向で引けるようになっている。

◆項目の例を挙げてみよう。

スター・ウォーズ Star Wars ジョージ・ルーカス監督によるSF映画
の名作(1977、米国)■宇宙を舞台にダース・ヴェーダー率いる帝国軍
とレイア姫率いる共和国軍の攻防;9部作からなるシリーズの第1作の
映画化;マーク・ハミル、ハリソン・フォード、アレック・ギネス出演;
特別業績賞などアカデミー7部門受賞。

●『スター・ウォーズ』が[Star Wars]?そのまんまやないけっ、って、そう
言われてもなあ。では、別の例を。

愛と青春の旅だち An Officer and a Gentleman リチャード・ギア、
デブラ・ウィンガー主演のロマンス映画(1982、米国)■暗い過去を
捨て海軍士官学校に入った青年の成長のさまを描く;テイラー・ハッ
クフォード監督作品;アカデミー助演男優賞(ルイス・ゴゼット・ジ
ュニア)

●[An Officer and a Gentleman]のどこが『愛と青春の旅だち』やねんな。
でも、原題を直訳して『士官と紳士』という邦題じゃ、何だかマヌケである。
『教授と美女』なら許せるが、『士官と紳士』ではいくら色男のリチャード・
ギアが主演でもむさ苦しい。ここは邦題の勝ちと言えよう。

悪魔のいけにえ The Texas Chainsaw Massacre 『サイコ』のモデル
となった実在の殺人鬼エド・ゲインをモデルにしたホラー映画
(1974、米国);ドライブに出かけた若者たちが途中で立ち寄った
農家は、チェーンソーを振り回す殺人鬼の家だった;マリリン・バ
ーンズ、アレン・ダンジガー主演、トビー・フーパー監督作品

●原題は「テキサス・チェーンソー虐殺事件」で、内容的にそのまんまやん
け、である。これも邦題の方が“雰囲気”だよなあ。 [Texas]って、ネイテ
ィヴアメリカンで「朋友」という意味だそうだが、それはともかく、原題をち
ょっと間違えると、[The Texas Chainsaw Massage]「テキサス・チェーンソ
ー・マッサージ」になるが、そんなタイトルの映画はまだ作られていない。当
たり前だが。でも、作れば面白い映画になるかも。

◆……と、まあ、『タイトル情報辞典』とはこんな辞書である。使うか、使え
るか、それはユーザー次第である。当たり前だが。

■■『新明解国語辞典』(三省堂)■===================■

 随分話題になって、いまは「辞書話の定番」になったので、やめようかと思
いましたが、最初出会った時の感動は忘れがたいので書いてしまいます。

ぼくがその「戦う辞書」を見つけたのは、なにげなくそれをぺらぺらめくって
いた時でした。まさか「戦う辞書」がすでにぼくの枕元に転がっていたなんて
少しも思いませんでした。
ぼくの目は、次の言葉の説明に止まりました。

五(ご)/ 四より一つだけ多い数。

戦慄に似た予感が走りました。ぼくはその予感を確かめるために、他の辞書を
引いてみました。たとえばあの広辞苑では、

五(ご)/ 数の名前。いつつ。いつ。

と単に《言い替え》られているにすぎない「五(ご)」という言葉が、ここで
はちゃんと《定義》されている!
もちろん、単なる苦し紛れにだされた、取るに足らないものかもしれません。
しかし、ここには確かに《苦しみ》、語句の《定義》が、ただの《言い替え》
に堕することに対する《苦しみ》と、そして《あがき》があります。言い替え
れば《戦い》がです。ぼくは続けざまにその辞書を引きました。

五(ご)/ 四より一つだけ多い数。
四(よん)/ 三より一つだけ多い数。
三(さん)/ 二より一つだけ多い数。
二(に)/ 一より一つだけ多い数。
……

これら「数」の定義は、まさしく「ペアノの自然数の定義」を思い起こさせま
すが、これは単なるその応用ではなく、言葉を言葉でもって定義付けようとす
る際の困難に真正面から取り組もうとするものが、等しく辿り着いた結論だと
いえます。この辞書の組織された定義は、数をとうとう「一」というものにま
で追い詰めました(帰着させました)。ここで、

一(いち)/ 二より一少ない数。

などとやってしまえば、全ては水泡に帰します。が、もちろん、そんなはずが
ない。

一(いち)/ 物事の数量を数えたり、順序をしめしたりする際の基準となる
自然数。物事の最初。

すべては始源より始まりき。この辞書で定義される全ての語は、循環や自家中
毒に陥ることなく(しかし本当はそれは不可能だが)、しかしいくつかの始源
に辿り着くことが予感される。

この辞書の序文はこう始められています。

「日本語の より良き使用の為に
本邦における辞書発達の歴史を顧みるに、(中略)どれをとってみても、海
彼・舶来の諸辞書の翻訳・翻案から出発したことは紛れもない事実である。こ
のような事実に起因し、創始期においては、この国の辞書は必ずしも 創意 
は求められなかった。これが猶 尾を曳いて今日の辞書界を毒している事実は
おおうべくもない。辞書における模倣・追悼が 小説におけるよりも 論文に
おけるよりも甚だしいことは、識者全ての認める所」

といきなりケンカ腰です。

「辞書が、文字習得・確認の為という より低い目的を超え、言語内省の為の
鏡の域まで進み、以て より高い社会的評価を克ち得るためには何程かの創意
をもつことが必要だろう」

そして「創意」は「戦意」、戦う意志となります。

「『明解国語辞典』は、新語を多数含む豊富な見出しを収めると共に二行主義
の明解な語釈の徹底にこれを求め、読書界に空前の浸透を見た。『新明解国語
辞典』は、見だし語の安易な多収を避け、寧ろ語釈の、真の意味における充実
をもっぱら心がけ、斯界における革命を図った」

ここにこの辞書の名と由来が明らかにされ、満を持して、いま「革命」が宣言
される!!

そしてぼくらは、この「革命」を準備した『明解国語辞典』の先駆、『三省堂
国語辞典』のあとがきに、あのわだかまりをぬぐい去る答えを見いだすでしょ
う。

「……この辞書の第一版は、少なくとも見出しに関する限り、現在の小型辞書
の源流をなすものである。だが、意味の書き方でも、第一版は新しい方法を編
み出した。それは、ことばでことばを写生する、という方法である。成否をみ
ずから言う立場にないが、「水」を化学教科書的解説から解放し、「石」と
「岩」と「砂」と「土」をはっきり区別し、「愛」「あいさつ」などの意味を
大きく書き改め、動物・植物の解説を身近なものにしたことは……」

ええい、もう一度書いてしまおう。

*「水」を化学教科書的解説から解放し
ええ、ぼくらはながらくそれを待っていたのです。

*「石」と「岩」と「砂」と「土」をはっきり区別し
「石=小さな岩」/「岩=大きな石」なんて説明を聞いて、大人が信じられな
くなりました。

*「愛」「あいさつ」などの意味を大きく書き改め
ああっ!!なんという歓喜!!
いまだかつて、「愛」や「あいさつ」の意味を書き換えてしまった「辞書」が
あっただろうか?しかも「大きく」である。ああ、大きく!世界の地軸はこの
「辞書」を通っているに違いない。

■■田中菊雄『岩波英和辞典』(岩波書店)================■

 古書店で、『岩波英和辞典』を買う。「なんでそんなものを?」と言われた
こともあるので、少し詳しく記すが、今、岩波の中小型英和辞典は、大辞典を
やった中島文雄の『岩波新英和辞典』が版を重ねているが、『岩波英和辞典』
こそはあの田中菊雄の手による中小型英和辞典の精華である(米語寄りの新辞
典のせいか、書店から消えてもう随分になる)。
 田中菊雄といってもダメか。
 OEDの編纂責任者だったジェイムス・マレーが、そしてヘンリー・ブラッ
ドリがほとんど独学だったように、田中菊雄もまた小学校卒の学歴で山形大学
教授にまでなったエライ人である。
 こういうこと書くとまた、「悪意」で書いているように思う人もあろうから
言うが、本当のところ、あの『岩波英和辞典』をつくった人、という紹介の方
が正しいのである。それだけでエライと思いなさい。
 語義を歴史順に配列した、このほとんど唯一の英和辞典は、OED(オック
スフォード英語辞典)の精読咀嚼(!)し、これをsimplifiedしたもの
(abridgedじゃなく)なのである(と序文にある)。OEDを精読咀嚼しただ
なんて、すごいやつである。
 田中菊雄には『現代読書法』という著作がある(講談社学術文庫に入って
る)。まこと、独学者の手による独学者のための手引きとなっている(もっと
もこれで田中菊雄になれるわけではないが)。同じ文庫のハトマンの『知的生
活』(渡部昇一が訳してる(笑))なんてドブに放りなさい。

■■アカデミー・フランセーズの『辞典』=================■

 ジルソン先生はデカルト研究から出発して、デカルトの中にある中世哲学の
用語を調べていくうちに中世哲学にはまってしまったフランス哲学史研究の大
権威である(最後の碩学といった趣がある)。デカルト研究、トマス研究を始
めとする中世哲学の研究の他に、絵画論の本なども書いている。

 ジルソン先生は、当然ながら、名誉あるアカデミー・フランセーズの会員で
ある。

「例えばアカデミー・フランセーズが、その会合のある度にその日の終わりの
時間を費やしている辞典がある。各会員の机には20頁くらいの分冊が置かれ、
各頁にはいずれも『辞典』の前の版の一段がまん中に張り付けられている。こ
の段は、左右のゆったりした欄外にある「『辞典』委員会による追加、削除、
訂正」という備考で囲まれている。
 『辞典』の校閲という仕事の下準備を托されたこの勤勉な委員会は、アカデ
ミーより仕事が速い。人数が少なく、そしてアカデミーが自分の仕事にかかる
前に整理しなくてはならない他のいろいろな問題のいずれによっても、この仕
事が妨げられることがないから、というにすぎないにしても、仕事ぶりは速
い。……私がアカデミー会員となる栄光に浴したとき、『辞典』の仕事はBま
で進んでいた。1946年のことである。きょう、1968年11月21日木曜日、つまり
22年後ということになるが、われわれの仕事はCに入った。……
 時折アカデミーはこの状況に懸念を抱く。この事態に対処しようと思い煩っ
て、『辞典』の校閲を急ぐ手段を講じるのに一日の会議を費やすこともある。

 ……
 ……
 アカデミーはこの危険をよく心得ている。
 ……
 この種の仕事について方法を論じることは難しい。
 ……
 アカデミーの『辞典』が自ら持すると称する控え目な限界内においてすら、
「完璧な辞典」という考えは無意味であるという確信がいつまでも残る。
 ……
 最後に問題が一つの残っている。
 ……
 しかしながら、アカデミー・フランセーズはこの事態を危惧した。……」

(ジルソン著、河野六郎訳『言語学と哲学』(岩波書店)より)


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