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           読 書 猿   Reading Monkey
            第99号 (悪知恵がよく働く号)
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■■モンテーニュ『エセー』(岩波文庫)==================■amazon.co.jp

 「読者よ、このように私自身が私の書物の題材なのだ。あなたが、こんなつま
らぬ、むなしい主題のためにあなたの時間を費やすのは道理に合わぬことだ。で
はご機嫌よう。
 モンテーニュにて。1580年3月1日」

 哲学書を読むコツのようなものがあるとすれば、「別に10年くらいかかっ
たって、かまわないや」という悠長な心持ちになることだろう。昔は気ぜわしく
て、とてもそんな気持ちになれなかった。これは「よし、10年かけて読む
ぞ!」といった、古典に向かって正座するような窮屈な決心とはまったく違う。
証拠に、こういう悠長な気持ちで始めると、せいぜい3ヶ月くらいで読み終えて
しまうから不思議だ。
 鶴見俊輔という人が、一冊の本を50年60年かけて読むようなことを知識人
がしなくなったと危惧していた。この不良上がりの老知識人が言うことは、なる
ほど真っ当であるが、昨日今日の文献に追われる学業労働者(その他、職業読書
家など)の耳に届くとは思えない。この者たちに幸あれ。規制緩和論者に誰か口
の聞き方を教えてやれ。
 読書猿が陰に陽に繰り返してきたように、本なんて読まずにすめば、それに越
したことはないのである。

 ところでモンテーニュは今日もおもしろい。どのページを開いても、おもしろ
くって仕方がない。
 おそらくワイド版岩波文庫の世話になるような時が来ても(おお、嫌だ)、私
は『エセー』を読み続けるだろう。


■■藤子不二雄『オバケのQ太郎』(小学館てんとう虫コミックス)=====■amazon.co.jp

 回りくどいことは言うまい。
 20世紀最大の天然ぼけキャラ、この国民的オバケ(ユーレイでもバケモノで
もないと、本人が何度も口にしている)「オバQ」を我々は長く記憶にとどめる
だろう。
 この大食らいにして無能極まる、ドッグ・フォビア(犬嫌い)のお化けは、藤
子マンガ中、最高の「いやし」系キャラである。相田みつをの「人間だもの」も
通用しない(だってオバケだもの)。ドラえもんに見られるような「説教臭さ」
は微塵もない(そんなこと彼には不可能だ)。つまり「オバQ」は「なんにもな
らない」。そこが素敵だ。
 我々は、抜け殻のような服をトランクいっぱいにつめて、涙をためながら家出
しようとする彼の姿を(その家出の原因たるや、おやつを巡るちょっとしたトラ
ブルなのだ)忘れることはないだろう。


■■川上邦夫訳『あなた自身の社会:スウェーデンの中学教科書』(新評論)==■amazon.co.jp

 スウェーデンの学校で使われているホンモノの教科書。
 ホンモノは実践的だ。まず法律を誰が決めているか、次に13歳の、14、
15,16,17、18歳のあなたが(法律によって)何ができて何ができない
かが登場する。次の章のタイトルは「犯罪」。誰が犯し、誰が被害に遭い、あな
たが今どんなことをやれば犯罪となり、捕まって、どこに送られ、どんな処分を
されるか、が出てくる。このあたり、とても実践的で人気がある、若者向け法律
カリキュラム「ストリート・ロー」を思い出した。
 それから犯罪更正施設についての、「ムダだからやめろ、もっと厳しく罰し
ろ」から「もっと犯罪者ケアを充実させた方がいい」まで、いろんな大人たちの
意見が並ぶ。
 アルコールや麻薬についての「神話」がまな板にのせられる。
「中学3年生の男女を対象とした調査で、アルコールを全く、またはほとんど飲
まないものの割合は、非常に大きいことが判明しました。3人に2人は、年間に
数回飲むだけです」(笑)
「ハシシは感覚を広げる:この神話は、ミュージシャンやポップアーティストか
ら広まりました。常習者たちはやる気を出し、ファンタジーを高めましたが、何
も実行できませんでした」(笑)
「ハシシの影響下にある者はよくしゃべりますが、実は自分に対してしゃべって
いるのであって、他人に対してではありません」(笑)

 金持ちや貧乏な家庭の家計簿と暮らし向きが検討され、クレジットで物を買う
ことや、広告がどんな風にして購買意欲をかき立てるかを学ぶ。地域での暮らし
や、離婚や病気、障害者について、あるいは失業したり、年老いたりしたらどう
なるのかも重要なテーマである。
 もちろん愛と結婚についての章もある。これについては、スウェーデンの少な
くない人が、インドでの(親が決める)幼年結婚に否定的であることが触れられ
たあとに、スウェーデン人は親の義務を放棄しているという南インドのマドロス
のアロキアサミィさん(学校の先生)の意見が載せられている(大人たちの意見
はすべて実名入りである)。
 「私は、どうしてあなた達が、子供の人生が偶然に任されることを受け入れら
れるのか理解できません。ディスコとかパーティでのたった一回の出会いが、全
人生を決定してしまうのですよ。とても道理に適っているとは思えません。ス
ウェーデンの親には責任というものがないのですか。もし、子供が結婚相手を見
つけられないときはどうするのですか。親は何もしてやらないのですか。
 私はまた、あなた達が、恋愛や好きだという気持ちをとても重大だと考えるこ
ともよく理解できません。お互いが好きだと言うことが、結婚後もうまくいくと
いう保証にはなりません。好きだという気持ちは、時が経てばどこかへ行ってし
まいます。どうもあなた達は、結婚するその日に愛情が強いと言うことを重視し
ているようです。その後には、あまり関心を向けないようですね。
 私たちの場合は全く逆です。結婚するとき、2人はお互いに余りよくは知りま
せん。愛情についてはほとんど語られません。しかし、年とともに愛情は強ま
り、結婚の結びつきも強くなっていくのが普通です。重要なのは、結婚するとき
に愛情が強いことではなく、全生涯を通じてお互いが好きでいることです」

 あまり関係ないが、あの松田道雄の不朽の名著『恋愛なんかやめておけ』(昔
はちくま少年図書館、いまは朝日文庫)を思い出した。


■■大日方純夫『警察の社会史』(岩波新書)===============■amazon.co.jp

 ぶっちゃけて言えば「明治はエラくて、昭和はクズだ」と考える司馬遼太郎
が、「日本がダメになり出した」契機とするのが、外には日露戦争の勝利であ
り、内にはその直後起こった日比谷焼き討ち事件である。
 事を重大さを矮小化する恐れのある「日比谷焼き討ち事件」の名に違い、騒動
は東京全市に及んだ。検束者2000人、のちに被告となったのが311人、民
衆側の死傷者は1000とも2000人とも言われ、事件翌日には戒厳令がひか
れたこの「空前の大暴動」は、警察だけを標的としたものであったことが大きな
特徴である。東京中の8割に及ぶ258カ所の交番所・派出所が焼失したのを始
め、警察署も2カ所が焼失。「暴徒」たちは、ただ警察の破壊だけをもっぱらと
し、隣家への延焼を防ごうとしたばかりか、警官が類焼の害を訴えると放火をや
めたことさえあった。当時の新聞にも「警察署を焼き、分署を焼き、交番所を焼
き、内相官邸を焼かんとせしも他にも及ばず、巡査に抵抗するも兵士に抵抗せざ
るもの、其の証拠にあらずや」とあるほどである。
 民衆の暴動が警察だけに向けられただけでなく、この事件後の各層も警察に批
判的だった。東京弁護士会はただちに総会を開き、この事件で逮捕された被告人
への警察官の虐待を防止すること、無実の者が警察官に追わされた損傷を調査し
救済することなどを決定した。東京府と府会・市会議員たちも代表者を警察に派
遣し、のちには警視庁の廃止の意見書を可決している。
 人々も「無能警察」「東京市内の害物」「警視庁の信用は全然地に墜ちたり」
と叫び、警察官が大家に追い出されたり、警察官の子どもというだけで学校でい
じめられたり殴られたり、といったことまで起こった。

 しかし、このあとわずか十数年で、「警察の民衆化」と「民衆の警察化」が手
を携えて進む。小学生たちは警察署を見学に行き「おまわりさんはたいへんなし
ごとだと思いました。がんばってください」などと作文に書き、大人たちは自警
団なんかを組織し、大震災の後、虐殺を行うのである。
 我々の知る「警察」がどうやってできあがったか。かなり必読に近い仕事であ
る。



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