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           読 書 猿   Reading Monkey
            第51号 (850語で考える号)
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■■ジル・ドゥルーズ, クレール・パルネ『ドゥルーズの思想』(大修館書店)=■amazon.co.jp

「私がある作家について書く際の理想は、その作家を悲しませる、あるいは死
んでいる作家なら墓の中で涙を流させるようなことを何一つ書かないこと、つ
まり書いている当の作家を思いやることだ。その作家が一個の対象にはならな
いように、そして彼と一体化もしないように、彼を強く思いやるのである。学
者と親近者の二重の無知を避けること。その作家が与え生み出すことのできた
あの喜び、愛と政治の人生を少しでも彼に与え返すこと。今は亡き多くの作家
は自分について書かれたことで涙を流したに相違ない。我々が書いたことでカ
フカに喜んでもらえたと思いたい。だが、それゆえにこの本は誰も喜ばせな
かったのである」

どうしてこんなこと、いけしゃあしゃあと書いてしまうのだろう。泣いてしま
うじゃないか(笑)。

■■斉藤次郎・森毅『元気が出る教育の話』(中公新書)==========■amazon.co.jp

 吉野源三郎『君たちはどう生きるか』(読書猿36号で紹介)のどこがすば
らしいかといえば、そのタイトルにも関わらず、「どう生きるべきか」ではな
く「(君たちが生きる世の中は)どうなってるか」しか書いてないとことであ
る。(だからこれをもう一回やりたいと思った伊東光晴は戦後『君たちが生き
る社会』というそのまんまの本を書いた)。
 もう普通の本は思想統制で出せなくなっていた戦時中、その一方で「どう生
きるべきか」の押し付けばかりが吹き荒れたその時代というのを勘定にいれる
と、その抵抗は「際立ってる」ということになるが、今読んでも「際立って
る」のだとしたらどういうことになるのか。
 森毅がどこかで、戦後(民主主義)というのは、前だったら軍隊の中に閉じ
込められてたいろんなものが、軍隊がなくなった後に社会全体に希釈されて
(薄められて)広がったことだ、と言っていた。近代国家ではいつも軍隊と学
校は一対のものだった。だからこれは「学校的なもの」が社会全体に広がった
ということでもある。
 教育論といえばいまも「〜すべきだ」ばっかりで、『君たちはどう生きる
か』はだから今でも新鮮で際立ってる。けれど「こうなってる」だけでなく、
「だったら、どんな手があるのか」という次の話だってある。「〜すべきだ」
は常にたった一つしか提示しないが(おまけにそれが「唯一」なのだと言い張
るが)、「どんな手があるのか」はそんなのでは間に合わない。
 この対談は、森毅ならそれだけで1本エッセイを書いてるようなネタを何百
か使った、生ネタとエピソードの応酬で、ますます学校化する社会に対して
「だったら、どんな手があるのか」の膨大なカタログである。

■■スピノザ『エチカ』(中公バックス、他)==============■amazon.co.jp

 スピノザは17世紀オランダの人で、17世紀オランダと言えば、これはもうは
っきりと歴史の最先端に立っていた場所だった。新しい時代の旗手、デカルト
の哲学が根付いたのもオランダだった。
 スピノザはユダヤ人だったが、ユダヤ教にとって都合の悪いことを云ったと
かで破門ということになってしまったが、そのきっかけになったのがデカルト
哲学を勉強したからだという説もある。破門してからデカルトを勉強したのだ
という説もある。この辺はよく分からない。
 で、ユダヤ人社会からシャットアウトされた後、『デカルト哲学の原理』と
いう本を書いた。デカルト哲学の優秀な解説書だった(今でもそうだが)の
で、これでスピノザは名前が売れた。ドイツの大学からも呼ばれたが、公職に
付くといろいろと面倒なことがあるからというので断わった。
 次に出したのは『神学・政治論』という宗教と政治の批判だった。スピノザ
は、オランダの希望の星だったヤン・デ・ウィットという政治家のブレーンで
もあった。ウィットはこの後、暴徒に殴り殺されたのだったが。
 この本は匿名出版だったが、すぐにばれた。悪いうわさが流れた。キリスト
教の教会関係者がリークしたうわさだった。「スピノザは神を冒涜する本を出
そうとしている」というのだった。『神学・政治論』はもちろん発禁になっ
た。おかげで、『神学・政治論』を書く前からずっと書き続けていた主著は、
出版できなくなった。スピノザが死んでから、遺稿の形で地下出版された。そ
れが『エチカ』である。
 「エチカ」というのはラテン語で「倫理学」という意味だ。その倫理学(だ
けじゃなくて、ここにはスピノザの思考の全てが込められている)が「幾何学
的」な形式で書いてある。つまり、幾何学と同じように、倫理学にも、スピノ
ザは「定義」や「公理」や「定理」を持ち込んだのだった。この少し後、ニュ
ートンも幾何学的な形式を使って主著『プリンキピア』(自然哲学の数学的原
理)を書く。でも、スピノザの場合は倫理学である。「定理」だったら、それ
は当然「証明」しなければならないわけだが、実際スピノザは証明までしてみ
せる。うまくいったらお慰みだが、例えばこんな風だ。

 「自由人は、無知な人たちの間で生活しているとき、できるだけ彼らの親切
を避けようとする。

 証明 どんな人も自分の気質にしたがって何が善なのかを判断する(第三部
 定理32の註解を見よ)。だから、無知な人が誰かに親切にした場合、その親
切も自分の気質にしたがって評価するだろう。そして彼は、自分が親切にした
相手の人から、その親切が小さく評価されるのを見たら悲しみを感じるだろう
(第三部 定理42)。ところが自由人は他の人たちと仲良くしようとはするけ
れども(第四部 定理37)、でも、彼らに対して、彼らが自分の感情で判断し
てこれくらいはお返しして貰って当然と思うような親切をし返そうなんてこと
はしない。そうじゃなくて、自分や他の人たちを自由な理性の判断によって導
こうとするのだし、彼自身が最も重要だと考えることしかしようと思わない。
ゆえに自由人は、無知の人々から憎しみを受けないように、そしてまた、彼ら
の衝動に合わせるのではなくて、ただ理性だけに従うために、彼らの親切をで
きるだけ避けようとするだろう。」(第四部、定理70)

 スピノザは哲学者ということになっているが、こんな本を哲学者にだけ読ま
せるではもったいないと思う。でも、そのためにはもっと訳を工夫して欲しい
と思う(上の訳は今適当に作ったものだ)。

■■テオフラストス『人さまざま』森進一訳(岩波文庫)==========■amazon.co.jp
■■北杜夫『マンボウ人間博物館』(新潮社)===============■amazon.co.jp

*:電車の釣り広告で見たんだがね。
@:もしもし? 
 何だせんせですか、いきなりですね。こんにちわ。
*:いや、こんにちわ。何だか『他人をほめる人、けなす人』とか云うのが売れ
てるらしいね。
@:また何か魂胆がありますね(笑)。
*:いや、魂胆というほどのものはない。下心は常にあるが。
 ああいうのはなんだねえ、モラリストの仕事だねえ。
@:何が?ああ、『他人をほめる人、けなす人』ですか。いや、読んだことない
すから分かりませんけど。
 何すか、モラリストって。
*:いや、私も読んだことないけど。
 モラリストってのは、道徳ってときのモラルとあんまり関係ないんだがね、
モラルってのももともとは道徳というよりは、風俗風習浮世の姿のことだね。
そういうのを観察してる、まあ、時には少々嫌味も言ったりするのがモラリス
トでね、だいたいはフランスの特産だ。
@:堀田(善衛)さんが最近書いてたロシュフコーとかですか。
*:そうね、モンテーニュあたりから始まるんだが、そういえばモンテーニュに
ついても堀田さんが書いてたね。
@:しかし、そんな風に説明するとモラリストって人間通みたいなものですか。
*:そうね、一般的なイメージではそうだね。でもね、人間を観察して分類した
りね、この人はこういうタイプとかね、そういうのはユングとかあの辺に受け
継がれるわけだ。それに、さかのぼったら、むしろ博物学に近いね。
@:博物学ねえ。
*:アリストテレスは学校作ったね。
@:大木こだまひびきほどには切れのよくない話の転換ですね(笑)。
*:いや、繋がってるんだが、そのアリストテレス学校の、二代目の校長にテオ
フラストスって人がいてね、この人の専門はどっちかって言うと博物学だった
んだが、まあ、残念ながら書いたものはあまり残ってない。
@:下心はその辺ですな(笑)。
*:が、『いろんな性格』っていうのが残ってる。森進一っていう、文学・哲学
をやっていた人が訳している。
@:特に突っ込むのはさしひかえますが。
*:何のことだかよくわからんがそうするのがよかろう。君のモノマネはひど
いからな。
@:で、面白いんですか。
*:まあね、『他人をほめる人、けなす人』よりは面白いんじゃないかと思うん
だが、なにせ読んだことないからわからんが。
@:いつものことじゃないですか。読んだこともない本についてぱーぱーぱーぱ
ーとあることないこと(笑)。
@:北杜夫がほとんど破産したことがあったね。
*:(笑)。
@:その時にもうお金のためだけに書いた文章がやまほどあるんだが、そのなか
に『マンボウ人間博物館』ってのがあってね、それはほとんどテオフラストス
からの引用を膨らませただけのものなんだがね。
 で、内容だが、「無頼」とか、「無恥」とか人間のタイプを定義した上にそ
の例を挙げている。ちょっと読んでみる。
 「無駄口とは、思いつくままの言葉を、長ったらしくしゃべる話しぶりのこ
とである。だから、無駄口をたたく人とは、次のようなものだ。
 見も知らぬ人のそばに座りこむや、たちまちわが女房殿のことをほめちぎ
る。ついで、昨夜見た夢について、長々と話してきかせる。そのつぎは、飯ど
きに食べたものを、逐一詳しく御報告とくる。いよいよ話に身がはいってくる
と、近ごろの人間は相当たちがわるいですね、とか、アゴラの小麦の値段がお
ちてきましたねとか、外国人がたくさん入ってきてますねとか、ディオニシア
スの大祭がすんでどうやら海も渡れるようになりましたとか、もしゼウスさま
がもう少し雨を降らせてくださりゃあ土地の収穫もぐんとあがるんでしょうに
なとか来年は畑を耕すことになるんですよとか暮らしてゆくのみ楽じゃありま
せんなとかダミッポスがエレウシスの密儀にどえらい松明を奉納しましたよと
か音楽堂の柱は何本ほどですかとか、昨日私は吐きましてねとか今日は何日で
したっけとか九月にはエレウシスのう祭ですねとか10月末にはアパトゥリアの
氏子祭ですねとか12月にはディオニシュアの地方祭ですねとか……
@:ま、せんせも気を付けたほうがいいですね(笑)。
*:いや、北杜夫はね、他人を観察しないんだ、『マンボウ人間博物館』ではほ
とんど自分のことを書いている。


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