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           読 書 猿   Reading Monkey
         第14号 (作家になりたい人のための号)
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■■William Strunk,E.B.White: "The elements of style"========■amazon.co.jp

 1925年、Harold Rossという男が「New Yorker」
という雑誌を創刊した。

 1926年、すでに「King’s English」(1906年)という書
を公にしていたFowler兄弟のひとり(どっちだか忘れてしまった)は、
今も英文についての一大権威である「Modern English 
Usage」と出版した(現在も無論出版されている)。Fowler兄弟は
有名だから辞書にも載ってる。辞書も作った。

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 Fow・ler
 n. ファウラー
 H(enry) W(atson) 〜 (1858―1933) 《英国の辞書編集家で,
著書に Modern English Usage, 弟の F(rancis) G(eorge) 〜
(1870―1918) との共著に The King's English, C.O.D., P.O.D.
がある》.
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 書いたのは、長生きした兄の方だった。

 Fowlerが英語に与えた影響は絶大である。どちらかといえばアメリカ
英語に与えた影響の方が大きかった。
 Rossは、「Modern English Usage」を英文にとっ
て福音書だと考えた。ニューヨーカーに影響のあった「New 
Yorker」は、しばらくのあいだ、「Modern English 
Usage」に盲目的に従った。編集者は、著名な作家に手紙を書くことだっ
て辞さなかった。

 「John Updike様
   恐れ入りますが、あなたのお書きになったwhich(関係代名詞)
   は、すべてthatに変更させていただきます。」

 盲目的な信仰は、長くはつづかなかった。1950年代にはもう、編集者た
ちはFowlerの書を、神の啓示とは考えなかった(つまり支配は30年あ
まり続いた)。

 1957年には、アメリカ人(アメリカ英語)は、「英語の書き方」につい
て自前の権威を手に入れた。E.B.Whiteは、William 
Strunk Jr.の書いたもの(1918)に、「重点解説」の一章を書き加
え、マクシミリアン出版社はそれをWhiteとStrunkの共著として出
版した。そして85ページほどの本は、その手のタイトルを持つ本の最高峰の
ものとなった(現在も無論出版されている)。Strunkの授業を受けたこ
ともあるWhiteは、序文でその思い出について語っている。

「不要な語は削れ」と著者は66ページで叫んでる。その命令に、
ストランク先生自身、身も心も打ち込んでいる。私が先生の講義を
受けていたころの話だ。先生はいつも不要な語をあまりにも多く、
またあまりにも強引に削りすぎた。そのことに熱中しすぎて、削る
ことに夢中になり、余ってしまった講義時間をどうやりすごそう
か、いつも頭を悩ます羽目に陥った。……ストランク先生は、簡単
なトリックを使ってこの窮地を逃れた。同じことを3度繰り返し言
ったのだ。文章の簡潔さについての講義だった。先生は机の上に身
を乗り出し、背広の襟を両手でつかんで、しゃがれた声でこう叫ん
  だ。
「ルール17。不要な語は削れ! 不要な語は削れ! 不要な語は
削れ! 」

■■クルティウス『バルザック論』(みすず書房)============■amazon.co.jp

|「バルザックは不幸なことに、サント=ブーヴのような批評家にも、そしてい
|わゆる「講壇批評家」、つまり文学史を書く教授連にも気に入られていなかっ
|た。もし彼らの言うところを信じるならば、バルザックはその小説を誇張した
|お談義によって台無しにしてしまった(彼はおしゃべりだった)。バルザック
|の心理学は不十分であった(しかし体は大きかった)。彼には精神的な繊細さ
|が欠けていた(加えて大食らいだった)。自然に対する共感というものがまっ
|たくなかった(けれどお金は大好きだった)。彼は鈍重な俗物的な天才であっ
|た(いつも借金取りに追われていた)。最もまずいことには、彼には文体がな
|かった(それでひどい誤りがたくさん生じた)。しかし、人々はその間違いに
|けちをつけてしまったあとでは、それを大目に見ることにし、彼の長所さえ認
|めたのだ」

 「文学論」といえば、「けっ!」とはき捨てるように言われるのが、この国
に習いだ。昔の本を読んでいると、「学芸嫌いの我が文壇」なんて文句によく
当たる。なるほど、引退したスポーツ選手が監督やコーチ、評論家になる国だ、
小説家になれなかった者が評論家をやる、だから彼が最初に書くのは「歌のわ
かれ」ということになるのだろう。

 ところでドイツ人であるこの文学研究者は、その膨大な仕事に入る前の「徒
弟時代」をこう回想する。

|「フランス文学の研究を始めたとき、私は途方に暮れてしまった。はじめての
|休暇にコルネーユ一巻とフローベールの『ボヴァリー夫人』をたずさえて行っ
|た。コルネーユには退屈しただけだった。講義の時間に推薦されたその小説の
|方には反発を感じた。どうしてか? 不快で、愚鈍でできそこないの人間達の
|この集まりが、いったい人の興味を引くというのか? 砒素自殺がこの歌の終
|わりだったのか? そのようなことが起こり得たところが、どんな国、どんな
|国民であろうか? 偉大さ、愛、美、力のひらめきもないのか? だのにそれ
|を私に賞賛しろというのか? 18歳の私には、できないことだった。
| ところが一年後、バルザックを知ったとき、すべてが一変した。バルザック
|は作中人物のすべてに、計り知れない生命への渇望を分け与えた。ボードレー
|ルは言う。「彼らのすべては、バルザック自身の内部に生動していた燃えるよ
|うな生命力をうちに担っている」。バルザックは、美、悦楽、権力、認識、
|富、名声、恋、情熱への飽くことを知らない欲望でいっぱいだった。
|
| 「私は度を越して生きたい!」
|
|と彼の典型的な登場人物の一人は言っている」

(笑)。彼はさらに「度を越して生きたい!」というバルザックについて語る。

|「1833年夏、自分の小説を一つに結び合わせて一大体系に、一宇宙にしよ
|うという考えが突然彼(バルザック)の頭にひらめいた。高度の発揚状態と結
|びついたインスピレーションで彼はこの着想を得たのだ。その着想に圧倒され
|た彼は、パリ市街の半分をつっきって妹のもとに急ぎ、自分はいま天才になろ
|うとしている、と彼女に伝えた。
| 同じ1833年バルザックは恋人に宛ててこう書いている。「僕はヨーロッ
|パを支配するつもりです。もう2年の辛抱と努力です」。

 この大男(バルザック)に対して、もうひとりのフランス作家はどうだろう。

| 「フローベールの写実主義は入り組んだ精神的な根を持っている。彼の写実
|主義は放埒な夢想と空想の世界へと逃避してしまった一人の幻滅したロマン主
|義作家の反動のあらわれである。彼はいわば人生の価値を情熱的に否定して自
|己に復讐するのである。「何もかも永遠にみじめだ」。これが、彼が人間存在
|から引き出した総計である。フローベールの聖アントワーヌの幻覚は、自己を
|解体したいという自己否定の願いで頂点に達している。「素材の底まで落ち
|よ! 素材であれ!」。
| バルザックは人生に燃えるような関心をいだき、この炎を我々に伝えるが、
|フローベールの方は彼の嫌悪感を伝染させる。彼の時代のフランスについて、
|この写実主義作家の著作から得られる知識はほんのわずかであり、あったとし
|ても不愉快なことだけである。バルザックの場合まったく異なっている。彼は
|自己の芸術の目的を「わたしの世紀を表現したい」という言い方で述べたこと
|がある。彼の時代がなんといきいきと眼前にあることだろう。
| 彼の作品で人々がどれほどの収入を得ているか分かる。ある作品では一人の
|香水製造業者の好況を、われわれ読者は体験し、彼の破産とパリ取引所での彼
|の立ち直りをも目撃するのである。彼は、天国で栄誉を保証されていることを
|疑おうとはしない商人気質の殉教者として死ぬ。「これは正義の人の死だ!」
|と司祭が臨終の床で言う。こうしてパリのある商人の生涯は、17世紀の殉教
|者悲劇と張り合う近代のドラマとなるのである」

 バルザックを読もうと思ってる。ディケンズを読み始めた時、そのおもしろ
さを教えてくれたのはディケンズ自身だったが(ディケンズなしには、ポーも
カフカも手塚治虫だって有り得なかっただろう)、読む前にそれを教えてくれ
たのは、ナボコフだった。
 バルザックについていえば、それはこの今世紀最大のロマニスト、クルティ
ウスだったにちがいない。

■■ホラティウス『詩論』(岩波文庫)================■amazon.co.jp

 ホラティウス『詩論』は、それ自体が詩である。詩でもって詩論を書いてい
る。詩論でもって、詩論自身を実践してる。

16世紀の劇作家は、格調高い新古典主義にのっとって書くか(彼らの守護聖
人がホラティウスだ)、客にうけるエリザベス朝演劇の身をゆだねるか、とい
う二者選択の板挟みにあった。彼らは古典の学識を持っていたが、同時に民衆
がつめかける劇場も持っていた。美学的に「正しい芝居」を書くか、観衆に
とって「面白い芝居」を書くか。当のホラティウスは「ウケをねらえ」と迷わ
ずうたっている。

さて、長い時代、ヨーロッパの文学はおろか、芸術・審美観に大きな影響を与
えた『詩論』の最後は、こんな一節で終わる。肝に銘じよう。

| 「狂気の詩人が詩を書きまくるのは何故か?
|
| なぜ彼は詩を書きまくるのか、よくわからない。父祖の遺骨に放尿したせ
|いか、それとも雷が落ちた不吉な場所を穢したせいか ----- いずれにせよ、
|たしかに彼は狂っている。そして、あたかも熊のように、邪魔な檻の格子を破
|ることができたらなら、情け容赦なく朗読して、教養のある人もない人も逃げ
|ださせるだろう。だが、誰かを捕まえたなら掴んで離さず、殺してしまうまで
|読んで聞かせるだろう ----- 血をいっぱい吸うまで肌から離れまいとする蛭!
|(Non missura cutem, nisi plena cruoris hirudo.)」

 なぜこんなのから、あの辛気くさい新古典主義が生まれたのか、よくわから
ない。


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