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   読 書 猿   Reading Monkey
    第130号 (小さい挑戦号)
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■読書猿は、全国の「本好き」と「本嫌い」におくるメールマガジンです。
 

■■バーバラ・グロス・デイビス 『授業の道具箱』(東海大学出版会)=■amazon.co.jp
■■B.G. Davis, L. Wood, R. Wilson 『授業をどうする! : カリフォルニア
大学バークレー校の授業改善のためのアイデア集』(東海大学出版会)= ■amazon.co.jp
■■浅野誠『授業のワザ一挙公開 : 大学生き残りを突破する授業づくり』
                          (大月書店)=amazon.co.jp
■■伊藤秀子, 大塚雄作編 『ガイドブック大学授業の改善』(有斐閣)=■amazon.co.jp

 大学の授業の仕方に関する本を何冊か読んだ。翻訳物と国産のと。
 翻訳物はいわゆる「大学の授業」のやり方や工夫が書いてある。目新しい情
報はむしろ少ない。
 おもしろいのは国産のものである。ほとんど小学校の授業法みたいな感じな
のだ。
 おそらく翻訳物にある技法が普通に使える大学は、日本だと全体の1割くら
いなんじゃないだろうか。
 あとの9割は、400名くらいの大教室で100人ぐらいが授業中椅子に寝転
んでいたり、学生がレポート以前に日本語がかけなかったり、辞書の引き方が
分からなかったり、3割の学生がヤンキーで1割の学生がヒッキーだったり、
出席不足+レポート未提出+試験欠席、それで呼び出しても出頭しなかったり、
携帯に連絡したりアパート、実家に電話したりしてやっと出頭させても課題を
やらない、しかし「単位くれ」とは言ってきたり、どうしようもないので不可
にしたらお礼参りされたり、研究室に火をつけられたり、その研究室というの
も完全に大部屋システムでほとんど職員室であったり、あと受験生獲得のため、
教員一人あたり数十校もの高校を割り当てられて高校まわりをさせられ、高校
の先生に「お宅の生徒さんにうちの大学を受験させてください」と平身低頭拝
みまくらなければならないような大学だったりするらしい。
 それでもなんとか授業を成立させ、学生に読み書きと計算力、自分で課題を
見つけ遂行させる力を身に付けさせようという人もいる、というのが「大学の
授業書」(国産もの)が存在する理由でもある。


■■本田由紀、内藤朝雄、後藤和智『「ニート」って言うな!』(光文社新書)
                                ==■amazon.co.jp

 ちょっとまえには成人病※と言われたものが、現在は「生活習慣病」と言い
直されてる(どちらも日本独自の言い回しで、多くの国では慢性疾患(英語だ
とCHRONIC DISEASE)と言われる)。あたかも、本人の「生活習慣」にすべて
の原因があるかのように。もちろん、成人病(生活習慣病)にも遺伝素因が大
きく働けば、その生活習慣も個人にままならぬことだって多い(過労死したく
てする人はいないだろう)。つまりは、同じ生活習慣であっても、成人病(生
活習慣病)になりやすい人もいればなりにくい人もいるし、望ましい生活習慣
が何かわかっていても、それが実行できるかどうかは個人だけの話で済まない。
 わりと最近まで、すべての交通事故の原因は「運転者の不注意」とされたこ
の国では、「わるいこと」はたいてい「個人の責任」にされることが少なくな
い。「自己責任」の合唱は、だれかの無責任に端を発している。しかもご当人
たちは(それこそ無自覚/無責任にも)そのことを失念している。
 
「1990年代半ば以降ほぼ10年間の長きにわたり悪化の一途をたどった若年
雇用問題の咎を、労働需要側や日本の若年労働市場の特殊性にではなく若者自
身とその家族に負わせ、若者に対する治療・矯正に問題解決の道を求めている。
「ニート」は、忌むべき存在、醜く堕落した存在、病んだ弱い存在として丹念
に描き出される。「ニート」は、可能な限り水増しされ、互いに異質な存在を
すべて放り込んだ形でその人口規模が推計される。「ニート」は、若者全般に
対する違和感や不安をおどろおどろしく煽り立てるための、格好の言葉として
用いられる。「ニート」はやがて、本来の定義を離れてあらゆる「駄目なもの」
を象徴する言葉として社会に蔓延する。」
(「まえがき」本田由紀)
  
 ※成人病:加齢に伴って発症する疾患(病気)の総称。代表的な成人病には、
ガン、糖尿病、高血圧、骨粗鬆症、心筋梗塞や脳血管障害などの動脈硬化性疾
患が含まれる。ガン、脳血管障害、心臓病の「三大成人病」だけで、日本の死
因の6割程度を占める。


■■Marsha Linehan『Cognitive-Behavioral Treatment of
       Borderline Personality Disorder』(Guilford Press)=amazon.co.jp

 これまで境界性人格障害のクライエントとは、一貫した治療関係を作り上げ
るのが難しいとされてきた。そのため、病態に応じて精神療法と薬物療法が行
われるるものの、治療中断になりやすく、また別の医療機関で同じことの繰り
返しという悪循環に陥る場合が少なくなかった。古い医療情報には「人格障害
は人格の病的に偏った状態であり、医療で根本的な問題解決をはかることは困
難と考えられている。実際に、神経症や精神病に比べて、治療的効果は乏しい」
などとされてきたが、近年では、境界性人格障害に対して弁証法的行動療法を
開発し高い治療効果を上げているリネハンらによって、その障害の本質は、感
情衝動のコントロール不全と捉え直されている。
 弁証法的行動療法では、セラピスト(治療者)とクライエント(患者)の間
に治療協力関係を作り上げるために、共同での目標設定とともに、それに対し
て行われる段階的支援がどのようなものかが説明される。目標設定は1〜3セッ
ションをかけて、クライエントが先攻、セラピストが後攻といった形で行われ
る。まずクライエントが治療に求めるもの(期待・希望)が出され、それに対
してセラピストとはどのような支援ができるかが応じる。セラピストが行うべ
き「診断面接」や「問診」、行動的介入のための「行動分析」は表面に出ず、
目標設定のための対話のあちこちにうまく織り込まれる。
 そうしたやり取りのあとに、クライエントとセラピストは、治療の共有目標
をどこに置くかを話し合う。クライエントとセラピストは互いに相手に何を期
待するか(してよいか)が話し合われ、双方によって合意される。弁証法的行
動療法のセラピーは双務的でなのである。
 もちろんセラピストは、クライエントが抱いている治療や「人格障害」につ
いての偏見や誤解を修正しておかねばらない。治療が引き起こすだろう変化の
速度や大きさも重要なテーマとして取り扱われる。クライエントは変化を求め
ているが、また同じぐらい強く変化を恐れてもいるからである。
 セラピーの第1段階ではまず、「ある程度機能し安定している生活パターン」
をクライアントが身に付けることに焦点があてられる。このために重要となる
のは、自殺行動や治療中断行動、生活の質(QOL)を台無しにする行動を減ら
すこと、そして行動的スキルを増やすことである。重篤なクライエントや自殺
を繰り返してきたクライエントの場合には、この段階に1年以上かかることも
ある。しかし「死んだクライエントはどんな療法でも救えない」(Mintz,1968)
ために、第一の目標がここに置かれる。
 同時に「弁証法的」な行動を増やすことも、処置のあらゆる面において、追
求される。セラピーにおけるほとんどあらゆる目標が、クライエントと話し合
われるのに対して、この目標が議論されることは稀である。なにより抽象的だ
し、話だけでは理解が難しいからだ。しかし「弁証法的」な思考は、極端な「
全てか無か」思考や行動様式をとる境界性人格障害のクライエントにとって恐
ろしく困難である、つぎのような作業を助ける。つまりクライエントが(1)
複雑で重層的なものとして現実を理解すること、(2)矛盾していて同時には
両立しない考えの両方を持ち続け、また統合すること、(3)そして一貫性を
欠いたことや矛盾といったもの(それは境界性人格障害の病態の性質でもある)
に苦しめられないようにすること。
 「弁証法」の強調は、クライエントの行動パターンにも適用され、相反する
二つのもの、たとえば感情的反応と表に現れた行動的反応を統合するのを助け
る。加えて、「スキルを強化すること」対「いまの自分を受け入れること」、
「問題を解決すること」対「問題を受け入れること」、「感情を整えること」
対「感情に寛容になること」、などの「相反する二つのもの」についても同様
である。行動の極端さについても、それが感情的なものであれ、認知的なもの
であれ、表面に出たものであれ、その行動をつづけることと同時に、よりバラ
ンスのとれた反応をとること(極端な反応とは、もちろん両立しない)が教え
られる。


■■Great Minds of the Western Intellectual Tradition, 3rd Edition
                    (The Teaching Company)==amazon.co.jp

 The Teaching Company社の、聞く「世界の名著」、もとい、聴く(視る)
「 人類の知的遺産」(中身は解説本なので)。 ラインナップは2.The Pre-
Socratics―Physics and Metaphysics、3.The Sophists and Social
Scienceあたりから、西洋の主な哲学者を経て、フロイト、エア、ウェーバー、
フッサール、デューイ、ハイデガー、ウィトゲンシュタイン、フランクフルト
学派、レヴィ=ストロースときて、その後 81. Rorty's Neo-Pragmatism
82. Gouldner―Ideology and the "New" Class 83. MacIntyre―The
Rationality of Traditions 84. Nozick's Defense of Libertarianismまで。
ひとつの巻はおよそ30分とコンパクトなのもよい。84巻あるから相当な時
間楽しめる(今はIpodなどmp3レコーダーがあるので、丸ごと携帯できる)。
オーディオの他にビデオやDVD版もある。トランススクリプト(文字に起こし
たもの)も売っているので、リスニングの勉強にも使えるかもしれない。 
The Teaching Companyには、他にも こんなシリーズがある。 * Great
Ideas of Philosophy, 2nd Edition * From Plato to Post-modernism:
Understanding the Essence of Literature and the Role of the Author
* History of the U.S. Economy in the 20th Century * Einstein's
Relativity and the Quantum Revolution: Modern Physics for Non-
Scientists, 2nd Edition * Great Ideas of Psychology  * High
School Level―Basic Mathなどなど。


■■『近代日本金融史文献資料集成 (第23巻) 』 (日本図書センター)==■amazon.co.jp

 この庶民・中小商工業金融機関編は、23巻に
・社会的制度上ヨリ観察シタル頼母子講
・稿本無尽の実際と学説
・青森県下に於ける小口金融機関特に十銭講及頼母子講に就て、徳島県下に於
ける頼母子講の特異性に就て、沖縄県下に於ける旧慣模合に就て
・頼母子講ニ関スル調査
・道府県頼母子講取締規則集
・頼母子講ノ現状及道府県ニ於ケル其ノ取締状況

といった頼母子講についての資料がある。

 京都のとあるコミュニティで現在も行われている頼母子講については、こち
ら。http://www.geocities.co.jp/WallStreet/1356/kuru/tanomosi.html
プロ(マチ金)も裸足で逃げ出す頼母子講である。

 頼母子講は日本でも中世からつづく庶民金融である。似たようなものが世界
中にある。古代ギリシアでも、Lysias弁論集にも「講仲間の悪言の告発」なん
てのが残っている。宇野千代が初めて買った札幌の家は、お仕立てでためた金
を頼母子講で運用して買ったものだった。韓国では今も頼母子講は盛んで(契
(ケ)と呼ばれている)、今風に整形手術のための契なども盛んらしい。『シ
ルミド』という映画に出演した全ての俳優たちは自発的に「頼母子講」も作り、
今も1カ月に1度以上は集まりを持っているらしい。
 ブラジルでは、「コンソルシオ」と呼ばれる頼母子講で、庶民がバイクを買
う。「バイクは欲しいけれども現金一括では買えない」「クレジットは金利が
高く、審査も厳しく使えない」「月々少しずつだったら払えるのに」といった
人たちがある程度の人数集まり、毎月お金を出し合って1台ずつバイクを買い、
くじ引きで当たった人から順番に引き取っていくシステムである。あるバイク
会社の年間販売台数の半分は、このコンソルシオをつかって買われたものだと
いう。
 山梨県内の飲食店では今も「無尽承(むじんうけたまわ)ります」のはりが
みがよく貼ってある。「無尽講」のことだ。これも掛け金を毎月持ち寄り、仲
間内で順番に融通し合う。現在は、金銭絡みは減り、気心の知れた仲間と、食
事をしながら交流する寄り合いの面が強い。職場や出身校、隣近所など様々な
単位で行われるが、月1度の定期開催が原則として引き継がれている。山梨大
の研究は、この無尽が健康・長寿によいのだそうだ。

 いまや「第二地方銀行」になってしまった、かつての相互銀行は、その昔は
一定の口数と給付金額とを定め、定期的に掛け金を払い込ませて、一口ごとに
抽せん、入札その他これに準ずる方法により掛金者に対して金銭以外の財産の
給付をすること(無尽)を営業として行う無尽会社(むじんがいしゃ)であっ
た。つまり頼母子講のようなものを専門に引き受ける会社であった。(頼母子
講と無尽の異同は、わかったようなわからんような細かい話になるので、ここ
では「似たようなもの」として押し通していく)。戦前および戦後すぐの段階
では、無尽会社は多数存在したが、1951年の相互銀行法(昭和26年法律第199
号。現在は廃止されている)の制定に伴い、1社を除く全ての無尽会社が相互
銀行(現在の「第二地方銀行」)に転換した。
 現在営業している無尽会社は、東京都・神奈川県・千葉県・埼玉県・茨城県・
山梨県を対象に土地や建物の給付を行う「日本住宅無尽株式会社」(UFJグルー
プ)http://www.nihon-jm.co.jp/のみで ある。



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