=== Reading Monkey ============================================
   読 書 猿   Reading Monkey
    第127号 (メールメーラーメイリスト号)
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■読書猿は、全国の「本好き」と「本嫌い」におくるメールマガジンです。
 
(ひさびさに人から読書猿ネタをいただけたので、もちろん冒頭に掲載してみる)

■■三島由紀夫『女神』(新潮文庫)========================■amazon.co.jp

三島由紀夫「女神」を読んでるのは「ピグマリオン」つながりだからである。
このバヤイ、とある女性を「最高級の女性」に仕立て上げるのはチチオヤである。対象はムス
メ。うげ。
 
ギリシャ神話「ピグマリオン」は自分の作った大理石(石膏説もあり)像に惚れるハナシだか
らま、筋が通っちゃいると言えば言えるが。

しかしまだ表題作の「女神」は手付かず。併録の短編10編をゆうべ読んだ。ひどかった。

なんかこー、女友達宛の装飾過剰自己陶酔のラブレターを無理矢理読まされたようなゾゾ気が
。 あ、合わねえ・・・生理的に合わねえ・・・なんでこんな奴が二回もノーベル文学賞候補
になったんだ・・・
しかし「女神」は読まねばなるまい・・・ここで投げたら買った理由がない・・・えらいこと
気がすすまんが。

でええええーっ、気色悪ーーーーーーっっっっっ……(エコー)>「女神」ヨミ中

   「読書についても父親の選ぶ本しか読ませず、いかがわしい現代小説から遠ざけた」

これ自体が「いかがわしい現代小説」じゃーーーーっ!

   「美術の鑑賞はなおざりにされた。なぜなら完全な美術品たる女性が、ほかの美術品を
   鑑賞するなどとはおかしなことだからである」
   「だから周伍は(父親ね)、ムスメが小説をよみすぎることも警戒し、小説におぼれた
   ロマネスクな女になることを戒めた」

あ、「娘」ね(笑)これだからワタシの辞書は(笑)

   「美に対する女性の感受性は、凡庸でなければならなかった。機関車を美しいと思うよ
   うでは女もおしまいである。」

悪かったな、三島(笑)

   「女性の美しさについて近来やかましくいわれる個性美というものを、周伍はあんまり
   信用していなかった。(中略)個性美とは飽きの来るものである。」
   
   「もっとも大切なのは優雅だ。女の個性が優雅をはみ出すと、大てい化物になってしま
   う。」
   
   「父はこう言うのよ。女は一種の美術品だから、女が絵を鑑賞するなんて、美術品が美
   術品を鑑賞するようなもので、ちゃんとした評価なんか出来っこないんですって」
   
   「僕はいわゆる美人を見ると、美しいなんて思ったことはありません。ただ欲望を感じ
   るだけです。不美人の方が美という観念からすれば、純粋に美しいのかもしれません。
   何故って、醜い女なら、欲望なしに見ることができますからね」
   
   「作者はこういう映画風の場面の描写にはあまり興味がない。若くて美男で、キャディ
   ラックを持ち、アメリカの大学を出、流行の白っぽいカシミヤの上着を着、どこといっ
   て非の打ち所のない青年と、たびたび述べてきた非の打ちどころのない優雅な美女との
   ドライヴは、もちろんゴー・ストップでとまる毎に、電車の停留所に立っている女たち
   の注目を一せいに浴びたが、こういう一組の描写は退屈を免れまい。読者が目をつぶっ
   て想像して下さったほうがよいのである。」

なめとんのかゴルァ!!

   「都会の土曜日は、いわば歯磨のチューブの口みたいなもので、六日間の週日の退屈の
   力に押されて、そこからいちどきに歯磨が、汚い歯列のような街へとび出すのだといお
   うか。どうもあまり詩的な比喩ではない。」

テメエの語彙不足をエラソーに開陳してんじゃねえぞこのボケ!!
のわにが「詩的な比喩」じゃ、このヘタレ!!

   「さあ、僕を踏みにじって下さい。僕を足蹴にして唾を引っかけて下さい」

・・・・・・・・。

   「朝子ははじめて夏の装いをした。純白のショーツをはき、自転車に乗って、まだ湿気
   を含んだ火山灰地の道を走り出すと、(略)」

なんで「夏の装い」の描写がぱんつだけなんだー!

読了。まあ、ハッピーエンドなんでしょおなあ、世間的にいうところの。
ピグマリオンでいけば、人間になった彫像が大理石に戻った、てとこでしょうかねえ。
山田くん、座布団全部持ってっちゃいなさい。


■■開高 健『知的経験のすすめ―何んでも逆説にして考えよ 青春愛蔵版』(青春出版社)=■amazon.co.jp

 ハヤク オトナ ニ ナリタイ  
 

■■コールマン『社会理論の基礎』(青木書店)=====================■amazon.co.jp

 数理社会学の本(のはず)なのに、数学的定式化に当てられた第5部を「数学が苦手な読者
 を考慮して、割愛した」という怒濤の翻訳。
 

■■John Bear『Bears' Guide to Earning Degrees by Distance Learning (15th ed.) 』
                           (Ten Speed Press)=====■amazon.co.jp

 フィルターを通すようになったので、スパムメールをあまり目にしなくなった。なにしろ、あ
んまりメールを見ないので、たまると大変面倒くさいのだけれど、来なくなるとかえって意識
がいくというのは、Speed SeductionでいうところのNeg Hitという奴(=乱暴にまとめると
「自己確信のある美人には無関心でいけ」というテクニック)だろうか?うちに来ていた海外
からのスパムメールは、だいたい3つくらいに分類できる。ひとつは男性器をenforceしない
かといった類のもの。ふたつめはクスリの個人輸入関係のもの。みっつめは(ここがオチなん
だが、いまどき)アメリカ市民にしてさしあげます、というもの(笑)。ブッシュ再選のとき
は、東海岸沿いの州とカルフォルニア州はカナダに併合させろ、といってたくせにね。
 
 最近、新手のメールがでてきた。タイトルは「○○(私の名前)Need a Diploma?」(学
位いらない?)。
 「色男、金と力はなかりけり」というくらいなので、日本でも色事とお金と力(権力)への意
志だったりするのだが、「アメリカ人になりたい」というのは世界で普遍的に意志(希望)さ
れることなのだろうか。いや、ちがった(笑)。学位が欲しい、というのは……、と言うべき
だった。
その点でいえば(よく言われることだが)、日本は低学歴社会である。学位は、仕事を得たり
や所得を上げたりにするのに(ほとんど)役に立たない。博士号をもってる社長なんて、あん
まりいない(名誉博士号を有り難がる/寄付してでも欲しがる社長や宗教法人代表などは結構
いるが。さて学歴インフレの先進国アメリカには博士号を持っている水道工なんてのも結構い
る。湯水の如く、博士(PhD.)があまってる。そして水道工事の腕にはほとんど関係ないよ
うだ)。もっと悲惨なのが、いわゆるNPOで、アメリカでNPOのチーフ・エグゼクティブ
(事務局長ってくらい意味かねえ)といえば結構な高給取りだが、日本だとボランティアに毛
が生えたくらいの低給である(無給の方がまだまだ多い)。そしてアメリカのチーフ・エグゼ
クティブは博士号を持っている。日本の事務局長で学位持っている人はいるにはいるが、たい
てい大学教員の口をさがしてる(子供が減っていく中、圧倒的に斜陽産業であることが予想さ
れる/すでにそうなっている部門に、身を寄せざるを得ないほどの実情という訳である)。
(さて、オチはコピペである)
アメリカには、お金さえ払えば(しかもよその大学で取得した単位を認めてくれたりして、寄
せ集めた単位で)学位をくれる大学もある。実態は住所地に私書箱しかなかったり、ビルの一
室に電話が引いてあるだけだったりするペーパーカンパニーならぬペーパー大学がたくさんあ
る。国際的には橋にも棒にもかからない日本の大学へ行くくらいなら、ましてや学歴詐称で辞
任するくらいなら、この本を読めばいいのに(←平凡な惹句)。 
この本には他にもいろいろ、普通でない(nontraditionalな)やり方で学位を取る方法が満載
である。
こんなやり方もあるのか、と目からウロコが落ち、腰から力が抜けるだろう(←平凡な結語)。
 
(余計な話)
 マックス・ウェーバーは、学者として大学に就職するには、僥倖(すごいラッキー)とユダ
 ヤ人でないことが必要だ、と言った。そのときウェーバーが念頭においていた、友人でユダ
 ヤ人で才能があり過ぎてなかなか就職できなかったジンメルは、「排除されていないものは
 包括されている」と書いた。虐められっ子の面目躍如である。
 

■■ダニエル ペナック『奔放な読書 本嫌いのための新読書術』=============■amazon.co.jp

読者の権利10ヶ条
 1.読まない権利
 2.飛ばし読みする権利
 3.最後まで読まない権利
 4.読み返す権利
 5.手当たり次第に何でも読む権利
 6.ボヴァリズム(ボヴァリー夫人みたいに小説に書いてあることに染まる)権利
 7.どこでも読んでもいい権利
 8.あちこち拾い読みする権利
 9.声を出して読む権利
 10.(読んだことを)黙っている権利

自身を振り返ると、もう権利を濫用している。しまくってる。
しかし、権利はいくら使っても使いべりしないものなのだ。
(アメリカに悪口を言うべきところで戦後教育の悪口を言う人たちは、そこのところがわかっ
ていない)。

ネットの書評は(特別に「とりわけ」を進呈しよう)アマゾンの読書レビューは、それはそれ
は、ひどいものがあるけれど、むしろ書評子を厳密に業界内から選んできた書評慣行よりはず
っと望ましい。
どう考えても、この人はこの本を読んではいけなかっただろう(そもそも字を少しでも知って
いるのだろうか)、という人たちだって書評を書いている。すばらしい。

人は書評にライナーノーツや仲人の花嫁紹介を求めるべきではない。いわんや要約を求めるべ
きではない。

読書は、読みかけのページみたいに、いつも開かれているのである。

for and againist readers!!

 


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