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           読 書 猿   Reading Monkey
            第126号 (ハローハロー号)
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■読書猿は、全国の「本好き」と「本嫌い」におくるメールマガジンです。
 
 
■■古川 壽亮『エビデンス精神医療』(医学書院)=============■amazon.co.jp
 
 さて、周知の通り、都道府県別の新規措置入院患者数(人口あたり)を比較す
 ると、第1位の東京都と最下位の奈良県では40倍の開きがある。「東京は都
 会だからストレスがうんぬん」と、かつての中学生並みの大学生みたいな意見
 もあろうから申し添えると、第2位の高知県とブービーの岡山県の間でも10
 倍の差がある。措置入院とはご存じの通り、自傷他害の恐れのある精神疾患の
 者に対して行われるものであるが、その種の精神疾患の年間発症率が県によっ
 て10倍以上の開きがある理由が、何か思い付くだろうか?
 また、米国の電気けいれん療法(ECT)の施行についても、州によって大きな
 差がある。ECTは1/3の州ではまったく実施されていないが、実施される州
 で比べても施行率は最低の州と最高の州の間で200倍の開きがある。……例
 によって、こうした例は枚挙暇がない。
 含意を短くまとめるとこうなる。現在行われている医療は、病気の性質や、い
 わんや患者の価値観などよりも、医師の好みや地域差によって左右されてい
 る。これで困るのは、その病気について、現在人類に知られているかぎりで一
 番有効な、あるいは、一番副作用が少ない、療法が使われるとはかぎらないこ
 とである。もひとついうなら、どんなすぐれた療法にも功も罪もあり「良いこ
 とばかり」ではないのであるが、どのようなメリットをとり、どんなデメリッ
 トを受忍するか、という選択が、患者の価値観に則して行われない(そのため
 の材料が提示されない)ということでもある。
 
 もちろん「若気のラジカル」で、精神疾患なんてみんな「つくられた」もん
 だ、構築主義バンザイと、坂を転げ落ちるように、かつての反・精神医学へ向
 かっても、患者の苦しさは変わらない(場合によっては、よけいに苦しくな
 る)。
 
 上にようなことが生じるのは、いろんな原因があるけれど、煎じ詰めれば、新
 しい医学情報が伝わる速度がかなり遅く、しかもとてもムラがあるせいである
 (そして古いやり方がいつまでも残る)。たとえば、ある療法が開発され、さ
 らにできるかぎりバイアスを排除できる方法(たとえば無作為化対照試験
 randomised controlled trial=RCT)でその効果を確かめられたとしても、そ
 の新しい療法が教科書や学会のガイドラインに載るまでに20〜25年くらい
 かかる。医者の免許は更新がないから、20年前の教科書で勉強しただけの医
 者も(原理的には)仕事を続けられるけれど、彼がとる治療法は、(最悪の場
 合)最新のものに比べて20年+20〜25年くらい遅れている可能性があ
 る。そこまで極端でなくても、ある調査では、最新の治療指針の知識をどれだ
 け知っているかと、学校卒業後何年経っているかは、マイナスの相関がある
 (相関係数-0.30 ; P<0.001)としている。さらにいえば、これは有名な話だ
 けれど、とっくの昔にある種の精神疾患については第一選択となったある種の
 精神療法について、国会でお役人が「まだ学会でも議論があるうんぬん」など
 と答弁する笑えない一幕もある。ベーコンのイドラだね、まるで。
 
 「人生は短く、技芸は長し」(Vita brevis, Ars longa)ではじまるヒポクラ
 テスの箴言は、「Experientia fallax, Judicium difficile(経験は欺く、判断は
 難(かた)し)」と結ばれる。どれほど優れた、そして経験豊かな臨床家で
 あっても、人一人が経験できるものは限られている。一つの疾患について、一
 生のうちに経験できるのは、その多様な面の一部でしかない。経験は汲めど尽
 きぬ豊かな源泉であるけれど、己が経験のみに頼るならば、人は自分でも知ら
 ぬ間に欺かれるだろう。
 
 今日では、どんな病気のどんな療法について、どういうRCTがすでに行われて
 いるか、複数のRCTをまとめたメタ・アナリシスにはどんなのがあるかなど、
 簡単に検索できるようになっている(サマリーだけなら、PudMedなどで誰で
 も無料で探して読むことができる)。よい臨床家とは、豊富な臨床的経験と、
 現時点で人類が利用しうる最適な根拠(evidence)の両方をうまく用いるこ
 とができる能力を兼ね備え、患者本人のためを常に考え危険を避けるように努
 力している者となるだろう。なってほしい。ねえ、なって。


■■王欣太 , 李 学仁『蒼天航路』(講談社)===============■amazon.co.jp

 困ったことに大河ドラマ「新撰組!」が面白い。いま、私の中で『蒼天航路』
 と双璧である(笑)。
 新撰組を、日本を知らない人に辞書的に説明すると「日本で最も有名な白色テ
 ロ集団。江戸時代末期に活躍。内ゲバでも名高い」(33文字)となるだろ
 う。ちなみに「白色テロ」は「権力側から反政府運動、革命運動に対して行わ
 れるテロ」であり、「内ゲバ」は「組織の内部での暴力・殺人を伴う対立・抗
 争」のことである。
 さて『蒼天航路』だが、漫画の三国志ものではデファクト・スタンダードにあ
 たる横山光輝のものよりも、その原作である吉川英治のものよりも、その原作
 である羅 貫中のものよりも、おもしろい。
 なにがおもしろいかをやりだすと、とても読書猿では足りないが、ひとつだ
 け。山田風太郎の時代ものだと、同時代の有名人同士が鉢合わせ、というシー
 ンが必ず出てくる。読んでる方も期待しているので、今回は何だ、誰と誰が会
 うんだと、話を追いながらストーリーとはあまり関係がない「邂逅」を期待す
 る。おっと、そうきたか、というのがまた楽しい。
 「新撰組!」もそうなのだけれど、『蒼天航路』の「邂逅」は、かなりストー
 リーやテーマ(?)に関係がある。「新撰組!」は第1回目で、近藤勇と坂本
 龍馬を出会わしておいて、延々とその伏線(?)で引っ張る(なにしろ土方歳
 三が新撰組を内ゲバ集団としてでも近藤を「出世」させようとするのも、近藤
 に気に入られている坂本への嫉妬心から来ているらしいのである)。時代に
 乗っているが故になんら疑問を感じずに自分が目指す道をまい進する坂本と、
 時代錯誤な道を選んだが故に延々と「自分はこれでいいのか」悩み続ける近
 藤、というわかりやすい対置法なのである。
 三国志ものである『蒼天航路』で一番大きな対置法はもちろん曹操と劉備なの
 だけれど、実に有能で次の100年のためにあえて逆賊と呼ばれることさえ辞
 さない曹操と、金も女も好きだが「一番好きなのは民の笑顔を見ること」と
 「天然」で言ってしまえる(が、根性もなければ戦も弱いダメダメの)劉備と
 いうのは、いまさら「邂逅」と呼ぶのはおかしい、もっと端役やサブ・キャラ
 たちの「邂逅」がポイントで、たとえば曹操と神医とまで言われた華佗(字が
 出ないんだよ)の対決(張仲景の失敗したことまで書いた病気の記録(のちの
 『傷寒論』、漢方の大古典)を曹操が華佗に突き付け「お前は記録を残してい
 るのか?」「医者はこうしたものを残しません」「つぶさに残せ。そしたら医
 は儒(学)を越える学になる」といった応酬)だとか、あるいは岡本喜八の
 「ジャズ大名」の冒頭(奴隷船の中での数分のシーンの間に、何もなかったと
 ころからジャズができあがる、というしろもの)を思わせるような、中国に
 「文学」がはじめて出現するシーンを描く建安文学誕生の下りだとか、その曹
 操の子で建安七子の詩風を生んだ一人曹植(兄貴の嫁さんに恋慕していてかな
 わぬ恋で酒浸りになるだなんて、こんなに昔の文学くさいっていいのか)と、
 同じに育てられた何晏(ドラッグ流行らせといて、後では司馬懿を排斥して最
 後は司馬懿の反撃にあい殺される。老荘系で玄学の祖の癖に、現存する最古の
 論語の注釈者)との掛け合いだとか(改行どころか句点もなくてすまない)。
 一方で、小説ではなく史書の「三国志」から多くのネタを得ながら、もう一方
 で儒教化された三国志演義よりも、民間の講談が伝えた荒唐無稽な庶民の喝采
 系物語にむしろ近い(違いの説明:演義では曹操の追撃を橋のところで一人で
 押しとどめる張飛は、味方が全員渡り切った後に吊り橋を切り落として去るの
 だが(常識的)、巷に流布していた講談では、追って来る曹操軍に怒号一発、
 その衝撃に橋が壊れて落ちるのである(笑))。これはもう「おもしろい」と
 しか、言い様がない。


■■D.ブルア『数学の社会学』(培風館)===========■amazon.co.jp

 哲学と社会学のちがいは、たとえば頭に「マクドナルド」をつけてみるとわか
 る。「マクドナルドの哲学」では、主体はマクドナルドの方にある。つまりマ
 クドナルド自身が持っている(経営)理念や何かのことを言っているように感
 じられる。逆に「マクドナルドの社会学」では、そう言っている主体は、マク
 ドナルドの外にいる。マクドナルドを対象化して客体化して、つまりは外から
 何か悪口の一つでも言おうとしているかの様である。哲学の方が人気がある理
 由も、これで少しわかる。
 「社会組織そのものも、人々が儀礼的にあい集う機会を節目とし、それに支え
 られて成り立っている。連帯を生みだすのは、物事の儀礼的な側面である。集
 団がどれほど緊密に結びついているかは、日常的な出会いがどれほど儀礼化さ
 れているかによる。それゆえ、私たちが深く信じ込んでいる考えの多くは、実
 際的なものというよりは象徴的なものである。つまりそれらの観念は、私たち
 が集団の一員であることを示すものなのだ。そういうわけで、それらの観念を
 単に合理的な道具として用いて自分のまわりの世界を理解しようとしても、ほ
 とんど役に立たないのである」と、デュルケム・マニアのランドル・コリンズ
 は書いた。ある集団をそこで行われる儀礼から見ていこうとする態度は、なる
 ほど「社会学」な態度だが、それは儀礼を対象化しようとすることであり、儀
 礼に従わぬことであるから、嫌われる。儀礼はその理由など考えずに従うもの
 なのだ。儀礼に従わぬことは、その集団の人々には「冒涜」とうつり、激しい
 怒りを生む。
 さて「科学者コミュニティ」を科学者達が行うその儀礼から見る人たちがい
 る。複雑で厳守しなければならない「科学的方法」という儀礼を行うことで、
 「科学的真理」という聖なるものをあがめ奉る「部族」として科学者を、そし
 て科学のなりたちを見る「科学の社会学(儀礼論)」である。「科学的真理」
 に報じる彼らは、たとえば「国籍」を問わず「仲間意識」を形成する。「聖な
 るもの」を作り出すのは、彼らがすぐれた知能と莫大な時間を費やして身につ
 けた、複雑で厳守しなければならない科学的方法あってこそである。この儀礼
 を行わないもの(行えないもの)が発表した知見は、決して「科学的真理」で
 あるとは見なされない。その者は科学者として、科学者コミュニティ/ネット
 ワークに迎えられることはない。それどころか、「科学もどき」として彼等の
 行為や主張は、しばしば必要以上の怒りと排斥を受ける。科学者は聖なる「科
 学」のために、自らの直接的利害を越えて怒り(義憤)を爆発させ、「科学へ
 の冒涜」として執拗に「科学もどき」の排斥に勤しむ。
 「数学」は、自然科学ではないが、自然科学以上に「聖なるもの」への信仰と
 冒涜があり得るものである。「数学の儀礼論」がどれほどの反発を受けたのか
 は想像に難くない。そしてそれは、科学への科学的態度(科学自身を対象とし
 た科学)が、どれほど執拗に回避され排斥されてきたのか、科学者が己の科学
 への「ロマン主義」をいかに捨てきれないかの例証でもある。「科学について
 の科学」に取り組んできた者ですら、数学だけは「聖域」として残そうとする
 ことを逆にあぶり出す。この本は、その「聖域」にズカズカと踏み込み、どこ
 までも対象化の手を緩めないデュルケミアン科学社会学者のストロング・スタ
 イル(ほんとにストロング・プログラムというのだ)が圧巻だ。
 
 
■■張 仁 (著), 浅野 周(訳)『急病の鍼灸治療』『難病の鍼灸治療』(緑書房)==■amazon.co.jp amazon.co.jp

 さて、医学(エビデンス)、中国、科学、ときたので、まとめにこの本を取り
 上げる。
 中国医学のなかでも、漢方薬と鍼灸では大分違う。理由は、漢方薬はすごく強
 い薬を使うので(日本の「漢方」は実に少量しか使わない)、補瀉や寒熱、表
 裏(といった理論)を間違えて処方すれば、効果がないばかりか、病気が悪化
 したり死んだりするので、理論で締め上げる必要がある。それゆえに古来から
 の辨証理論から離れなれなかったのだが、鍼灸の方はそういったことがないの
 で早々に古典理論から離脱できた。これがまず一点。もうひとつは、かつては
 漢方薬と鍼灸は、ひとつのものとして同じように施されていたのだが、『傷寒
 雑病論』(さっき「蒼天航路」で出てきた奴ね)の登場以降、理論を備えた漢
 方薬の地位が上がり、逆に外科的な鍼灸は理論面の弱さから地位が低くなっ
 て、漢方薬と鍼灸が分離してしまったという歴史的経過が二つ目の理由。これ
 は第一であげた理由、漢方薬は理論で縛っておかないと危険だったという背景
 が、最初から効いていたということでもある。
 さて、鍼灸に限っても、現在の中国には、漢方薬を併用して鍼を補助とする派
 と、鍼灸を中心としてほとんど漢方薬を使わない派とがある。
 二つの派ができたのは文化大革命がきっかけだった。毛沢東は、自分の言動を
 否定するような言葉の記載された書物は、迷信であると断じた。しかし抗生物
 質もない貧乏共産党軍にとって、中国医学をなくすことはできない。そこで中
 国医学の「脱迷信化」が急務となった。「脱迷信化」は、二通りのやり方で行
 われた。
 ひとつは、それまでの中国医学から迷信的なものを見つけて取り除くこと。こ
 れは伝統的な中国医学のフレームは残してrevise(改訂)していくアプロー
 チ。ここからは当然、前者の、辨証配穴という漢方薬系の影響を受けた理論武
 装をしている、漢方薬を併用して鍼を補助とする派が生まれた。
 もうひとつは、迷信を含む考え方(理論)を一度「御破算」にして、ゼロから
 効く処方をあつめて新たに中国医学を組み立てていこうというアプローチ。こ
 ちらからは、理論よりも治癒率を問題にして、現在なされている有効な鍼灸処
 方を元にして治療を組み立てようとする後者の派(鍼灸を中心としてほとんど
 漢方薬を使わない派)が生まれた。
 実は漢方薬も方だって、もともと『傷寒論』や『金匱要略』の処方を元にし
 て、そこから処方を足したり引いたりしながら処方を増やしていった(その後
 に理論化した)のだから、後者の鍼灸の派は、それを同じことを鍼灸において
 もやり直そうとしている訳である。
 しかしゼロから作り直すのはあまりに大変である。そのため当初は、漢方薬系
 の理論を背景にした前者の漢方併用派が隆盛を極めた(学校で教えるにも「理
 論」が必要だったと言うことも、こちらの派の追い風となった)。逆にゼロか
 ら作り直す派は、ほとんど消え失せたかに見えたが、しかし水面下で着々と蓄
 積を積み、天安門事件以降、現代医学とのドッキングが可能だった(なにしろ
 伝統的理論よりも、効く効かないだけで組み立てようとするのである)後者の
 実証的な鍼灸派が主流となり、漢方薬の補助として使う辨証鍼灸は副次的なも
 のとなりつつある。清朝時代から鍼灸は軽んじられ、中華民国時代も軽んじら
 れた(だから台湾では、未だに漢方の方が圧倒的に偉くて、鍼灸は蔑まれてい
 る)鍼灸が、とうとう中国医学の中心となったのである。
 あげた本は、新時代の実証的鍼灸を代表する教科書(マニュアル)『急病鍼
 灸』『難病鍼灸』の翻訳。今回書いたような「中国医学三国志的」な話は、訳
 者のサイトに詳しいので参照されたし。
 
 


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