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           読 書 猿   Reading Monkey
            第113号 (こいするどくしょさる号)
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■■プラトン『饗宴』(岩波文庫、他)==================■amazon.co.jp

 (列席者が順にエロス=愛についての話をやり、最後のソクラテスが話し終え
た後)物語の後半、泥酔したアルキビアデス(ソクラテスの元・彼)が乱入して
からの修羅場、のことだけを話すとこの作品について誤解を招くと言うが、多く
のあらすじ紹介が逆にこの修羅場を紹介しないのは、homophobia(同性愛嫌悪)
とまでは言わないが、少なくともフェアではない。
 美少年で本日の主催であるアガトンと、(美しい少年との)恋をしていない時
がなかったソクラテスとの間に、割り込んで横たわったアルキビアデスが、自分
とソクラテスとの交際の次第を告白するくだりなど、涙を禁じ得ない。ちょうど
風呂の中で読んでいたら、湯が波打つくらい笑ってしまった。
 ソクラテスがディオティマに教えて貰ったという、ヘーゲルも真っ青な弁証法
のお手本のようなエロス話も、もちろんすばらしい(「ヘーゲルみたい」「弁証
法」というのが、ほめコトバになるのかどうか少し自信がないが)。ただ、ヘー
ゲル話や、まともな弁証法というのは、内田樹氏がいうように、「風が吹けば、
桶屋が儲かる」的な筋運びの妙こそイノチであって、結論だけをいそぐと台無し
になるので、はしょることや要約することが困難である(第一、結論はヘーゲル
のそれとご同様につまらない)。
 あと、有名な男女両性併せ持つ球体のごときアンドロギュノス(そして、これ
が分かれて半球になってしまった人間は、互いに欠けたものを求めあって、恋に
狂うという所説)を語っているのは、(ソクラテスがもっとイヤな奴で登場する
『雲』なんて戯曲も書いた)古典ギリシャ最大の喜劇作家アリストパネスであ
る。彼に寄れば、男女(もしくは男男あるいは女女)が一体であった頃の人間
は、こんな感じの生き物だった。
 「突っ走ろうとするときは、とんぼ返りの踊り手たちが車輪のように足を回転
させながら、ぐるっ、ぐるっと、とんぼ返りをうって行くように、かつては8本
あった手足を支えに使って、ぐるっ、ぐるっと、急速度に回転しながら進んだの
である」
 そして修羅場を見事うやむやのうちに裁いて、美少年アガトンを隣にはべらせ
たソクラテス、そのあとの大量の酔っぱらいが乱入するラスト、最後まで飲んで
いたのは、アガトンとこのアリストパネス、そしてソクラテスであった。
 そういえば、この『饗宴』をテキストデータ等で入手できるオンライン・
ショップがあるが、そこでの紹介で、ソクラテスは「酒豪」という肩書きを得て
いた。


■■夏目漱石『吾輩は猫である』(今回は青空文庫で読みました、他)=====■amazon.co.jp

> 寒月君は返事をする前にまず鷹揚《おうよう》な咳払《せきばらい》を一つして
> 見せたが、それからわざと落ちついた低い声で、こんな観察を述べられた。
> 「この頃の女は学校の行き帰りや、合奏会や、慈善会や、園遊会で、ちょいと
> 買って頂戴な、あらおいや? などと自分で自分を売りにあるいていますから、
> そんな八百屋《やおや》のお余りを雇って、女の子はよしか、なんて下品な依托
> 販売《いたくはんばい》をやる必要はないですよ。人間に独立心が発達してくる
> と自然こんな風になるものです。老人なんぞはいらぬ取越苦労をして何とかかと
> か云いますが、実際を云うとこれが文明の趨勢《すうせい》ですから、私などは
> 大《おおい》に喜ばしい現象だと、ひそかに慶賀の意を表しているのです。買う
> 方だって頭を敲《たた》いて品物は確かかなんて聞くような野暮《やぼ》は一人
> もいないんですからその辺は安心なものでさあ。またこの複雑な世の中に、そん
> な手数《てすう》をする日にゃあ、際限がありませんからね。……」

寒月君、君は宮台慎司か?


■■内井惣七『シャーロック・ホームズの推理学』(講談社現代新書)===■amazon.co.jp

 信じられないかも知れないが、かつて「知性」を代表するキャラクターとして
「哲学者」というのがあった。現実にはどうあれ、「哲学者」であることはアタ
マが良いこと、人として備わることのできる最も望むべき知性を身につけている
ことを意味した。いや、要するに、そういう時もあったということだ。証拠とし
ては貧弱だが、トランプのK(キング)に哲学者の図柄が使われていたことだっ
てある。

 近現代においては、「知性」を代表するキャラクターのひとつは、「名探偵」
というものになった。証拠としては貧弱だが、「偉人名探偵もの」みたいなジャ
ンルがある。何よりも知性を重んじる現代人は、自分たちの価値観を歴史のあち
らこちらに押しつける。つまり歴史上の偉人たちは「偉人」であるくらいだか
ら、すぐれた「知性」の持ち主であるはずだ(「UFOをつくる宇宙人は高い知
性を持つ」みたいな偏見である)。すぐれた「知性」の持ち主であるくらいだか
ら、難事件だってきっと「名探偵」して解決してしまうはずだ、という訳であ
る。昔、同じロジックで、「偉人受験生もの」というのを考えたが(つまり歴史
上の偉人は高い「知性」を持つはずだから、受験勉強だってへっちゃら、という
ものである)、受験生は年々急激にバカになっているらしいので、却下されてし
まった。
 知性の人=名探偵というイメージの確立に、最も貢献したのが、この史上最も
キャラ立ちした名探偵シャーロック・ホームズであることは疑いない。ホームズ
の際だったところは、自分の方法論について強烈に自覚し、組織だった努力でそ
れを練り上げ、またその仕組みをワトスンのような人にも解説してしまうところ
だ。こうして我々は、「最も望むべき知性」がどのように構成されているのかを
知る。これは事件の解明などよりずっとスリリングでありかつ知性的だ。そして
彼の方法論をみれば、事件を解決するには、いわゆる知性だけではまるで足りな
いことがはっきり分かる。彼が化学実験に打ち込み、イーストエンドの下町に何
人もの有為な友人を持ち、変装術に長け武術にも長じるのはそうしたためだ。彼
は安楽椅子探偵にはほど遠かった。
 
 この書は、自分の推理から漏れる数々の事実や可能性を見過ごした「まぐれ当
たり」の感が強いと言われる(こともある)ホームズの推理を19世紀後半の論
理学や科学的方法論の蓄積の中に位置づけ、彼の方法がほとんど常に不足してい
る情報の下で、それぞれにはかなり危うい確率的推論同士を組み合わせ突き合わ
せることで、どのようにして事実と合致する「確率」を可能な限り高めることが
できるかに向かって組織されていることを証明する。あまり類書のない19世紀
の科学思想や科学方法論についての解説書であるだけでなく、すべてを知らなけ
れば確実なことは言えないという実に古典的な学問知(実際にはすべてを知るこ
となど不可能だから、ほとんどいつも何も言わない)と異なる、実際的な知のあ
り方を提示した本でもある。ずっとくだけて言うなら、クリティカル・シンキン
グみたいなものとは、雲泥の差で、ホームズのは役に立つ、ということ。


■■ローリー・キング『シャーロック・ホームズの愛弟子』(集英社文庫)===■amazon.co.jp

 そういう「知性のなかの知性」を持ち、退屈さの中に倦怠し、その倦怠をコカ
インで身体を苛むことで紛らわすしかなくなった名探偵が、自分と同様の知性を
持った、この上なく聡明な15歳の少女(しかも少年に見えるが実は多分美少女
という設定)と出会って、人生を取り戻しやがて人生のパートナーも得るという
お話。少女の方は名探偵の薫陶を受けてどんどん成長する。では、ミステリー界
の紫の上か?読書家の女性にとって、ホームズは「理想の男性」って本当なの
か?
 これは小説なので、しかも主人公が成長する教養小説でもあるので、成長する
少女の一人称で書かれている。あり得ない話だが、これが50過ぎの早すぎる引
退をした名探偵の一人称だったりしたら目も当てられなかっただろう(が、パス
ティーシュといってそういうものを書く人もいるのだ)。ナボコフがその持てる
最高級の文学的スキルとリソースを全投入しなければ『ロリータ』を書けなかっ
たのも道理である。


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