=== Reading Monkey =====================================================
読 書 猿 Reading Monkey
第103号 (ルールが違えば史上最強号)
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■読書猿は、本についての投稿をお待ちしていました。
■■フルキエ『哲学講義』(ちくま学芸文庫)==========■
大学に入る前にフランスではたくさん「テツガク」を勉強することになってい
る。
これは「テツガク」に免疫をつけるためだと思われる。
「テツガク」(ここではテツガク史にでてくる代表的な議論の紹介)を「知
識」として得ることで、あとになってからテツガクする羽目に陥る可能性を
(すごい悪文)減らすことができるのである。
人間はテツガクする傾向を持っている。四六時中テツガクする訳にはいかな
いが、ちょっと気がゆるんだりすると、思わぬ僥倖にみまわれたりすると、お
もわずテツガクしてしまう。かなりの業績を上げた自然科学者やよりによって
哲学者までが、エッセイなんか書き散らすようになると(日本の学者の場合、
そっちの方がおもしろかったりして困ったものだが)、またまたテツガクして
しまう。毎年決まって「テツガクではなく、テツガクすることを学んでくださ
い」なんてカントのぱくりをする連中や(ほんとにカント読みだったりして目
もあてられなかったりするのだが)、「哲学研究者ばかりで哲学者がいない」
なんて言い出すやつに限って(周知のことだが、こういうのを「常套句」とい
う)、はずかしげもなくテツガクしている。本当は、かくれテツガク者ばかり
で、まともな哲学研究者がいない、とこう言うべきなのだ。中小企業の社長
だって、ちょっと成功していい気になるとテツガクをはじめる。魚屋の銀さん
だってテツガクをはじめる。こういうのを自然発生的テツガクという。
なぜ「テツガク」を学ぶことが、テツガクを避けることになるのか。なんと
なれば、オリジナルなテツガクなんてのは、二流・三流のテツガク者がずっと
以前にすましてしまってる場合が多いからである。テツガク史を学ぶことは、
「新奇さ」とテツガクとを遠ざける効果がある。
■■アドラー,ドーレン『本を読む本』(講談社学術文庫)==========■
本をたくさん読めば頭がよくなると思っている人がいる。
文字にすると、ものすごくバカバカしいが、自分では結構アタマもよくて勉
強もしているぞと「自負」している人に(も?)そんなことを信じている人が
いる。本を読むことは良いことで、アタマがよいことも良いことだと考えてい
るらしい。
以前にも書いたかもしれないが、「蔵書が1000冊もある」と言ってる
(書いてる)人がいて驚いたことがある。1000冊である、1000冊。ま
ず自分の蔵書を数える気になれることに驚いた。本をたくさん所有することが
良いことであると考えてるらしいことにも驚いた。一番驚いたのは「1000
冊も」というところであるが。
閑話休題。
利潤や効用なんかの最大化を指向するものではなく、「足りるを知る」経済
学が必要だと考えたシュマッハーは、それを「仏教経済学」と名付けた。「仏
教Buddism」という形容詞の用法を発明したのである。
■■エンデ、他『オリーブの森で語り合う』(岩波書店)==========■
この書の対談で、エンデは、フランス革命の三つの理想、自由・平等・友愛
に触れ、理想社会を構築したいと思う全ての人間のモットーとなったこのス
ローガンに触れて、
「これまでみんなは、いつも、この3つをひとつの鍋にぶちこもうとしてきた。
統一国家をつくって、そこで3つの理想を可能なかぎり実現しようと考えていた
わけだ。そのさい、まったく気づかれなかったこと、あるいは、気づこうとし
なかったことがある。それはね、国の使命は、理想を3つとも実現することじゃ
なくて、ひとつだけ実現すればいいってことなんだ」
と述べ、その「ひとつ」を「法のまえでの平等」であるとする。残りの自由と
友愛については、他の生の領域に属するものであり、それには国はタッチすべ
きではないというのである。
「自由な精神」とは各個人の才能や自分独自の生き方を探ることを指し、そ
れに関しては「どんな一般化もまちがっている」、つまり「「精神」は各人各
様の能力におうじて、それぞれ独自のかたちに形成されなければならない」と
しており、残った「友愛」については、本人自身「現代においては、なんとも
素朴、いやそれどころか滑稽にすらきこえるかもしれないのは承知で」と前置
きしてから、「友愛は近代「経済」に内在している掟である」という。
エンデは、シュタイナーのいう「社会有機体の三分節化(1919)」を下敷き
にしている。「世界史は《経済》《法律・政治》《精神・文化》の三分節化を
目指して発展してきた」というシュタイナーは、この3分節のそれぞれに、や
はりフランス革命の三つの理想、自由・平等・友愛を対応させている。エンデ
が示したとおり、この対応は現代人が普通に予想するものとは異なっている。
自由=精神・文化
平等=法律・政治
友愛=経済
「自由」が対応するのは経済ではなく、精神である。そして経済が要求する
理想は「自由」ではなく「友愛」である、というのである。
■■岩田昌征『現代社会主義の新地平』(日本評論社)==========■
岩田昌征は、「自由・平等・友愛」の3つの理想がもつ経済的含意を豊かな
カタチで抽出している。おおざっぱに述べれば、それらはいわゆる「私」
「公」「共」の領域と重なっていく。
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┃次 元 ┃ 第一系列 │ 第二系列 │ 第三系列 ┃
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┃経済人類学 ┃交換 │再分配 │互酬 ┃
┃近代的価値 ┃自由 │平等 │友愛 ┃
┃経済メカニズム┃市場メカニズム│計画メカニズム│第三メカニズム┃
┃所有制 ┃私的所有 │国家的所有 │社会的所有 ┃
┃経営管理 ┃私的経営 │国家的経営 │自主管理 ┃
┃分配様式 ┃賃金と利潤 │固定賃金表 │所得分配協議 ┃
┃人間類型 ┃極大化タイプ │標準化タイプ │適量化タイプ ┃
┃権利と責任 ┃個権・個責 │集権・集責 │共権・共責 ┃
┃社会問題 ┃不安と安 │不満と満 │不和と和 ┃
┃人間関係 ┃原子化 │位階化 │相互規制 ┃
┃社会構造 ┃階級社会 │階層社会 │連体社会 ┃
┃政治的決定 ┃多数決 │統裁合議 │全員一致 ┃
┃家族関係 ┃夫婦関係 │親子関係 │兄弟姉妹関係 ┃
┃象徴的死 ┃自殺 │他殺 │兄弟殺し ┃
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経済メカニズムについて、岩田昌征の数値例をつかって概観しよう。
自動車を(利益込みで)400万で売るAさんと200万で売るBさんがい
る。Bさんはより高い技術を持っていて、より安く自動車を作ることができる
(生産性が高い)ので、200万で売っても充分利益があるのである。
一方、自動車を買うのに400万出せるaさんと、200万しか出せないbさ
んがいる。
このような4人がそれぞれの経済メカニズムにおいて取引するしよう。
A.市場メカニズムにあっては、一物一価が成立する。
このことが市場から退出させられる者と、市場から利益(生産者余剰や消費
者余剰)を得るものとを生む。
供給曲線:
自動車の価格 200万未満 ……供給される自動車0台
自動車の価格 200万以上400万未満……供給される自動車1台
自動車の価格 400万以上 ……供給される自動車2台
需要曲線:
自動車の価格 200万以下 ……需要される自動車2台
自動車の価格 200万より上、400万以下……需要される自動車1台
自動車の価格 400万より高額 ……需要される自動車0台
供給曲線と需要曲線の交点、すなわち
自動車の価格 200万より上400万以下(たとえば300万円)で、自動車1
台が取引される。すなわち、自動車を売ることができるのはBさんだけであ
り、自動車を買うことができるのはaさんだけである。
B.計画メカニズムにあっては、一物二価(生産価格と販売価格))が成立す
る。このことで余剰を再分配し、市場からの退出者をなくす(補助金と税金の
システムなどもそう)。
自動車の生産価格を400万円
自動車の販売価格を200万円
とすることで、市場から追い出されていた者にも(400万で売るAさんと
200万しか出せないbさん)取引に参加できるようになる。
生産価格と販売価格の差はどう埋めるのか。この2重価格においては、
200万で売るBさんは、400万円の生産価格では200万円の生産者余剰
が
400万出せるaさんは、200万円の販売価格では200万円の消費者余剰
が
それぞれ生まれる。つまりBさんとaさんが得した分を集めて、生産価格と販
売価格の差を埋めるのである。この意味で計画メカニズムは、再分配によるシ
ステムであるといえる。
C.協議メカニズムにあっては、一物多価が成立する(価格は個々の関係と
ケースに応じて異なり得る)。
今回のような数値例の場合では、なるべく取引から脱落する者が出ないよう
に何らかの方法でコーディネートすることができるなら、400万で売るAさ
んと400万出せるaさんとの間でひとつの取引が、200万で売るBさんと
200万しか出せないbさんとの間でもうひとつの取引が成立する。この場
合、(強力な執行権力を必要とする)再分配は不要である。
振り返るならば、市場メカニズムは、誰かの所行が価格に影響を与えないこ
とを、すなわち無数の(充分多数の)供給者と需要者の参加を前提としてい
る。
市場システムが要求する、取引に参加する人々がそれぞれ匿名の存在になる
ほどの「多数性」は、協議メカニズムでは障害となる(「数え切れない」ほど
多数を相手にしたコーディネートは現実的ではないだろう)。逆にコーディ
ネートと、相互監視が可能となるほどの少数との関係(「顔が見える関係」)
が、ここでは必要となる。
■■岡将男『岡山の内田百間(ほんとは月)』(岡山文庫137:日本文教出版)==■
岡山へ行った時に世話になった。
「岡山の百科事典」をめざす岡山文庫シリーズの一冊。
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