=== Reading Monkey =====================================================
読 書 猿 Reading Monkey
第1号 (本日創刊号)
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■読書猿は、全国の「本好き」と「本嫌い」におくるメールマガジンです。
姉妹品に、『読書鼠』『読書牛』『読書虎』『読書兎』『読書馬』『読書羊』
『読書龍』『読書蛇』『読書鳥』『読書犬』『読書猪』などがあります。
■読書猿は、本についての投稿をお待ちしています。
■■ウェブスター『あしながおじさん』(河出書房新社 他)========■
主人公の女の子はそのうちに、小説家になったり、玉の輿にのったりするのだけ
れど、そんなことはどうでもよくて、「みなしご」ではなかったけれど、字を覚え
るのだって遅かったし、それに一冊を読み切る根気をついぞ身につけなかったおか
げで、ずっと本を読まなかったし、読めなかった自分には、これは「遅れてきた読
書家」の物語なんだと思えてしまう。
孤児院出身で、大きくなってからもそこで手伝いなんかしていて、外の世界を知
らなかった(それに本なんて読む暇がなかった)女の子は、ひょんなことから、お
嬢様な学校へ通うことになるのだけれど、そこで彼女は自分が「あまりになんにも
読んでいない」ことに呆然としてしまうのだ(そしてそれは、本を読もうとする誰
もの「呆然」ではないか)。
「マ
ザー・グース」も「デ
ヴィット・コパフィールド」も「ア
イヴァンホー」も
「シ
ンデレラ」も「青
ひげ」も「ロ
ビンソン・クルーソー」も「ジェ
イン・エア」
も「不思議の国のアリス」も……。
利発な彼女のことだから、その「欠落」を取り返すべく、猛然とヨミを開始する
のだけれど(そして凡百のお嬢様方をかるく凌駕してしまって、学内誌に「作品」
を載せるまでになっちゃうのだけれど)、それよりもなによりも、ドレスに心躍ら
せるのと同じくらい(いや、それ以上に)胸高鳴らせてページを繰り、スチーブン
ソンの物語のことを、あるいは「ねえ、ハムレットって読んだことありますか?」
と、いちいち書き送る喜び一杯の彼女に心うたれる。このメールマガジンは何しろ
「本の雑誌」なのだから、まずは本を読むのが大好きな彼女にご登場願おう。
「わたしの愛読書ってなんだと思う?つまりたった今の。三日ごとに変わるんで
すけど」
(「あしながおじさん」谷川俊太郎 訳)
■■澁澤龍彦『都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト』(立風書房)========■
(文庫版)
論文であれ小説であれエッセイであれ,何かの文章を読むとき頭の中では音が,声
が響いている.自分自身の声ではなく,また特に具体的な誰かの声というのではなく
,もっと抽象的で,日頃の人の話し声を聞くときの感触が蘇るのか,とにかく読むこ
とは常に聞くことを伴う経験のように感じられる.
それは直接の作者の肉声でもない.漱石を読んで漱石の声は蘇らない.空想してい
るのでもない.しかし幻聴でもない.にも関わらず,漱石の記した言葉を追っている
とき声のようなものが伴走している.読書が個人的な体験であるとされる背景にはい
くつかの事情があるだろうが,その個人性の一端に,この声の経験があると疑ってみ
ることはできないか.およそ一般化できない,永遠に内面に閉ざされながら私のもの
ではない声の響き.
それでも何かの機会に作家の肉声を聞くようなことがあって,意外の念に打たれる
ことがあるのは,内面に響いているあの声を,空しいものとは知りながらもすれすれ
のところで作家の肉声と重ね合わせてしまっているからなのだろうか.
澁澤龍彦のこの最後のエッセイ集の冒頭に収めてある「都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タ
ルコト」と「穴ノアル肉体ノコト」の二編は,作者が咽頭ガンで声帯を失った後に書
かれた.この時点で澁澤は肉声を持たない存在であった.これらのタイトルが,本文
が普通の漢字かな混じりであるのに対して,カタカナが用いられているのも,作者が
既に肉声を失っていることの自覚があって工夫されたことなのか,どうか.
澁澤の最後の文章を辿りつつ,それらの言葉に寄り添って頭の中に例の声が立ち上
がるとき,その声があらかじめ誰のものでもないと知りながら,澁澤の声もまたこの
世に存在しないのだったと知ると,実に妙な感じがする.左右の鎖骨の間に新たな器
官として人工的に穴を穿たれて,オブジェとしての肉体を自ら体現するに至ったと書
く澁澤は,しかし肉声を失ったことについて惜しいとも何とも書いていない.
■■棟方志功『板極道』(中公文庫)===================■
棟方志功の『板極道』を帰りのバスの中でぱらぱら読む。序文が谷崎潤一郎で、
解説が草野心平である。うーむ、いつの時代の本だろう。泣ける話、何だかほろほ
ろする話が多い。おやじさんが鍛冶屋というのも私好みである(関係ないが、ディ
ドロの父親も刃物鍛冶だった。更に関係ないが、因みに私は19世紀は嫌いで18世紀
が好き)。恐ろしいことに、親の因果が子に報いというわけか、志功が晩年には超
近眼に加えて隻眼になったことは皆さんご案内の通りである(分らない人は柳田国
男を読みましょう)。ところで、「板極道」というのは、本人の希望では、「バン
ゴクドウ」と読んで欲しいらしい(志功という人はめったやたらと新造語が多いら
しい)。「道を極める」というより、やっぱり「ごくどう」なのだそうだ。
■■ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』(岩波文庫)===■
|メトロクレス(キニク派、犬のディオゲネスの孫弟子にあたる)
|
| メトロクレスは、ヒッパルキア*1の兄。彼は以前はペリパトス派のテオプラ
|ストス*2の弟子であったが、あるとき、弁論の稽古をしている最中に、どうし
|たわけか、おならを出してしまった。そのために、彼はすっかり気落ちしてし
|まって、家に閉じこもり、食を絶って死ぬつもりでいた。そこで、このことを
|聞き知ったクラテス*3は、身内の者から頼まれたので、彼のところへやってき
|て、わざとハウチワ豆を食べた後で、まず、こんなふうに言って、言葉で持っ
|ても、彼が何ひとつへまなことをしたわけではないことを彼に説いて聞かせた
|のであった。つまり、(腸内にたまった)プネウマ*4だって、もし自然に従っ
|て体外に解き放たれるのでなかったら、異常な事態になっただろうから、と説
|明したのである。そして最後には、クラテスは自分でもおならを出して、実際
|にも彼と似た行為をすることで慰めながら、元気づけてやったのである。そこ
|でその時以後、彼はクラテスの弟子となり、哲学に十分習達した人となったの
|である
(「ギリシャ哲学者列伝」より引用)
これではしょうがないので、注をふくらませてみる。
*1 ヒッパルキア
あるときクラテスの話ぶりにも(乞食同然の)くらしぶりにもすっかりほれ
こんでしまい、他おおぜいの求婚者たち(の財産にも、家柄にも、見栄えに
も)には目もくれず、クラテスと結婚させてもらえないなら自殺すると両親を
脅した。両親は、彼女を説得できるのはクラテス本人をおいて他にないと、娘
をあきらめさせてくれ、と頼んだ。クラテスはできるかぎりのことをはやって
みたが、とうとうヒッパルキアを説得することができなかったので、立ち上が
って彼女の目の前で衣服を脱ぎ捨て、「これがあなたの花婿です。そして彼の
財産はこれだけです。さあ、これもよく見て、心に決めなさい。そしてまた私
と同じ仕事(こじき哲学者)にならないかぎり、私の配偶者にはなれないでし
ょう」。彼女はまよわずクラテスを選び、哲学者になった。兄とはたいした違
いであるような気もするし、そうでもないようにも思う。
*2 テオプラストス
アリストテレスの一番弟子。アリストテレスの引退後、彼の学園を引き継い
だ。
*3 クラテス
犬のディオゲネスの弟子。一説には孫弟子。やせ我慢が好きで(それが彼ら
の哲学でもあった)、夏は毛皮のオーバーを着て、冬はぼろぼろの服を着た。
それから日記をつけていた。こんなのである。
“料理人には10ムナ、医者には1ドラクマ、
おべっか使いには5タラントン、助言者には煙、
娼婦には1タラントン、哲学者には3オボロス。”
(ちなみに1オロボス=6ドラクマ=600ムナ=36000タラントン)
彼には「扉をあける人」という(かっこいい)あだながあったが、それは彼が
どの家にでもすぐ上がりこんだからである。
*4 プネウマ
(せっかく辞書を買ったので引いてみたいのである。ギリシャ文字がうまく打
てないので、例文ははしょる)
πνευμα
1 wind,air
2 1.breath
2.spirit,inspiration
3 a Spirit,spiritual Being
ここでは「ガス(おなら)」のこと。
■■???『少年感激小説ハーモニカ少年隊』(???)==========■
[探求書]
百万遍の古本屋、吉岡書店に行ったら、均一本セールのところに、「少年感激小
説ハーモニカ少年隊」というのと、「こども倫理学バベルの塔」というのがあった
(勿論他にも本はあったのだが、私の目を特に引き付けたのはこの二冊であっ
た)。両方とも第2次大戦前後の本。後者は対話篇になっている。しかも、「こど
も認識論」以下のシリーズになっているという凄い企画である。今思い出して、
買っておけばよかったと思っている。
■■星里もちる『いきばた主夫ランブル』(徳間コミックス)========■
家事についてのトータルな知識と、主夫業の精神が得られる得難いマンガ。誰か
が(家出とかかけおちとか単身赴任とかして)いきなり家事をしなきゃならなく
なったら、これと「檀流クッキング」(料理人たる弟によると中華は速い。檀流も
速度において「中華」的であるそうだ)とカレー皿(おかずもスープも場合によっ
てはご飯(ライス)も入れられる万能食器。どんぶりでもいいけど、心がすさむ)
をプレゼントすることに決めている。まだしたことはない。
全然関係ないが、友達のケンちゃんは、友人に子供が出来たらディズニーのビデ
オをプレゼントすることに決めている。どうゆうことかというと、名作モノなら物
心ついた子供ならたいていタイトルくらいは知ってるだろう。その子が物心ついて
から、遊びに行くのである。「白雪姫って知ってる?」「知ってるよ」「それはお
じさんがビデオをあげたからだよ」とやるというのである(笑)。何で、いった
い?(笑)ケンちゃんは昔から「計画倒れ」のところがあった。それも計画がうま
く行かない以前に、つまり計画の内容とか細部以前に、その志向(めざすところ)
が「倒れている」のである。
■■ハイネ『ドイツ古典哲学の本質』(岩波文庫)===========■
さて、この本の本当のタイトルはこんなにいかめしくなくて、「ドイツの宗教と
哲学の歴史のために」という、何かパンフレットみたいなものなのだけど、元々は
ドイツ文学を少しばかりかじっていい気になってるフランス人に、「ドイツ哲学」
なるしろものを示してみせるために書かれたものだ。
けれど本当は、詩人兼革命家であったハインリヒ・ハイネというドイツ人は、こ
とによると日々の労働やその埋め合せのための慰安や革命運動に忙しくて、哲学書
なんて読む時間がないのかもしれない友達たちのために、自分の革命運動に忙しい
中、これを書いた。
たとえば何故君が哲学書なんかを読むべきなのか、あれらのこ難しげな書物は、
君にとって(そしてまた革命にとって)どれくらいの意味があるのかを、ぼくは
語って見せようと思う、とハイネは言っている。
この本の中には(「ナントカの世界」なんて本と違って)女の子なんて出てこな
いけど(そして「救い」なんてあるようでないけど)、実はこれが一番わかりやす
くて、かつ実用的で、加えてチャーミングな西洋哲学のブックレットなのだ。なん
となれば、ハイネには、誰も読めもしない「テツガクショ」を書くつもりも、書く
時間もなかったからだ。
革命詩人は、ドイツの妖精(コボルト)から語り起こし、ルターの宗教改革が、
スピノザの堅い殻にかくされた「おいしい思想」が、それからレッシングが、カン
トの「三批判」が、「ドイツ国民に告ぐ」というアジテーションをとばしたフィヒ
テにはじまるドイツ観念論が、いかに思想の天空上の革命であったか、いかにぼく
らの頭を押さえつけてきた古い亡霊や迷信や何かを払拭するために、役に立ったの
か(そして役に立つのか)を、順番にやさしく述べていく。
ドイツ哲学の歴史をヘーゲルまで駆け抜けた後、このかわいらしい本は、こんな
くだりで終わってる。
| 君達はギリシャ神話のオリュンポス山のことはよく知っているだろう。あの山で
|男女の神々が、はだかのままで、神のたべる酒や食物を酔い食らって、たのしんで
|いるあいだにまじって、こうしたよろこびや楽しみのさなかにいながら、よろいを
|着て、兜をかぶり、槍を手にした一人の女神を見つけるだろう。
|
| それこそ知恵の女神だ。
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