ベーコン × ヴィーコ

レトリカの擁護


 帰納法の提唱や4つのイドラ説をもって、フランシス・ベーコンを「近代科学の祖」としてしまうなら、いささか公平さを欠くことになってしまうだろう。第一、デカルトのクリティカ(あるいは数理的学)に反旗を翻しレトリカ(あるいは人文的知)を擁護したヴィーコが(→デカルト対ヴィーコ)、なぜ自分の守護聖人に他ならぬベーコン卿を選んだのかがわからなくなる。
 未完に終わった『大変革』の手始めに、『学問の進歩』においてベーコンは学問の擁護と総点検を試みる。現行の学問に何が「欠けている」かを指摘するために、ベーコンは人間知性の分類から網羅的な学問体系(「知性の地球儀」)を構築する必要があった。これは、現在の学問のみならず、人間知性の可能性の総体、つまり未だ存在しないものもかつて存在したものも、すべて含めるという意味で「網羅的」であった。彼の批判が、スコラ学者がいかに「人間知性の可能性」を縮減し、学問をその可能性の実現から遠ざけたかを攻め立てる一方で、彼のその網羅性は誠実を極める。スコラ学者の数少ない典拠である大学者アリストテレスは、ベーコンにとって第一に攻め落とさなければならない「要塞」であったが、この大学者についても、ベーコンはその「網羅の誠実」を擁護することを忘れない(もちろん学説については、「アリストテレスは攻撃し葬り去るためだけに、それを紹介した」と言うことも忘れない)。たとえば、プリニウスたちの自然学に寓話を持ち込んだ件を批判したその手で、アリストテレスがどれだけ経験や観察結果に、物珍しいだけの伝説や風説を混ぜることを嫌ったかについて触れている。しかし当のアリストテレスの書にこそ、後代に「動物寓話」の材料を提供した自然学と寓話とが同居しているではないか。しかしベーコンは続けて言う。アリストテレスは、自分及び同時代の人間が「信じられない」という理由だけで伝説や風説を記録から削除することは、彼等の独断であり僣越であるに他ならないと見做したのだ、と。

 しかしベーコンの「レトリカの擁護」は、消え去らんとする旧学問にも居場所を分け与えようという消極的なものに止どまらなかった。彼はスコラ学者の「精緻であり、かつ止めどもない議論」が学問の進歩をどれほど衰退させ、どれほど物笑いの種にしたかを漏らさず指摘するが、「無益な議論」の批判を彼は「事実にだけ依拠する、もはや議論を要しない学問」の立場から行ったのではなかった。彼は科学者ではなく、まず弁護士から大法官へと登りつめた法律家だった。実生活がそうであるように、彼にとっては、事実なしで結論が出ることは有り得なかったが、事実だけで結論が出ることもなかった。議論はいつも生じる。意見は常に異なり得るし、見解は相違する。しかし法律家がスコラ学者と異なるのは、議論を際限なく続ける訳にはいかないことだった。正しく議論を行うために、つまり議論をきちんと終えるために、レトリカは用いられなければならず、またもっと鍛え上げられなくてはならなかった(そしてあの有名なイドラについて、それを破るのはデカルトのような理性の明証性ではなしに、むしろレトリカに属する「論破法」----その方面で発達は今後を待たなければならないにしても----であるとベーコンは述べている)。この件に関しては、ベーコンは、『レトリカ』を書いたアリストテレスすら「まだ足りない」と批評し、むしろデモステネスやキケロらの実際の弁論家に組みしている。

 「議論の余地がある問題」に目をつぶることは、それらを学から追い出すことは、「人間知性の可能性」を縮減することに他ならない。元デカルト学徒であり、かつ修辞学(レトリック)の教師だったヴィーコの批判は、デカルトの方法の全否定ではなく(彼はその方法の存在価値も強力さも十分に認めていた)、「しかし、それでは足りないではないか」ということだった。プレ・デカルトのベーコンは、未だ登場していなったデカルトを「欠けているもの」としなければならなかった。そしてポスト・デカルトのヴィーコは、ベーコンを守護聖人として、言葉や歴史や神話を「学問」に召喚する。『新しき学』として。


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